36、同情
目を強く瞑る。頭部に来るであろう痛みに耐える用意をする。しかし、痛みは来なかった。
「ふっ………ぅう……………」
ぽた、ぽた、と頬に落ちる雫。恐る恐る目を開けると、中里は振りかざしていた手を下ろし、泣いていた。
ちくしょう、と中里のまぶたから漏れた言葉。それは私の頬に落ちると、伝って首筋に流れた。弱々しく零す声とは裏腹に、胸ぐらを掴む手はギリギリと音をたてた。
中里は吐き捨てるように呟く。
「………ってるよ…………」
「分かってるならその手を離そうか。」
ハッとなり顔を上げると、そこにはマイロニーの姿があった。開け放たれた扉の前に立ち、カッコつけている男。中里に胸ぐらを掴まれている私にニッコリ笑いかけると、そいつは
「若いっていいね☆」
なんてほざいた。
「で、話はだいたい聞いていたんだけど、これは傷害事件として捉えていいのかな?」
「!?」
中里は何も言わない。ぼろぼろと流れるままの涙を拭わず、マイロニーを睨んでいる。マイロニーは中里を薄ら笑いながら見つめ返す。
「待ってよマイロニー!傷害事件なんて…そんな大事にする必要はないでしょ!?」
「夢子はバカだねー。実際君、左目をケガしてるじゃないか。」
「これはお互い不可抗力で……!」
「君が祐也をかばう理由を当ててあげようか。」
ぐい、とマイロニーが人差し指を私の鼻に押し当てる。
これは、どっちなのだろう。教師としての顔?それとも、芸術家の顔?
どっちもだ。この顔は、マイロニーが教壇に立ち、生徒の絵を批評している時の顔だ。今、マイロニーは私を分析した。
「おそらく祐也に同情でもしているんだろう?」
「……っ!」
「憧れの人から拒絶された祐也に同情をしているんだろう。夢子の大事な場所を荒らしてまで感情を抑えられなくなった祐也がかわいそうかい?」
同情。その言葉には今までで一番の悪意を感じた。もちろんその言葉自体が嫌な言葉だとは思わない。だが、こういう時、どうしても差別をした意味に捉えてしまう。
「…マイロニーが、私ばかり贔屓をするからじゃないの?」
屁理屈でもいい。筋が通らなくてもいい。私は中里に同情をしたんだ。そうだ、かわいそうだと思ったんだよ。なら中途半端に気持ちを変えず、最後まで同情しきってやるのが礼儀ってものではないかと思ったんだ。




