28、毒素
「離して、よっ!」
立ち止まったマイロニーの手を振り払う。するとそれは、さっきまでの力はどこに行ったのか、簡単にはずれた。文句を言ってやろうと口を開いたが、マイロニーの姿を見て私は口を閉じた。
マイロニーは、その場で座り込んでいた。両足をだらしなくのばし、猫背で、まるで子供のような座り方だ。
周りを見てみると、目の前には大きなお屋敷が建っていた。いつの間にか敷地内に入り込んでしまっていたのか。見る限り随分と古い屋敷だが、手が行き届いている。石の壁は、高いところは少し汚れているものの、キレイに輝いている。庭の雑草が抜かれてまとめられている様子もあり、先程まで誰かが掃除をしていたことが見てわかる。
「ちょっと…ここ、他人の家じゃない。早く出よ!」
「待って………」
マイロニーはそこから動く様子はない。目はまるで焦点が合っていない。とは言ってここにいるとやばいし、無理やり立ち上がらせようとマイロニーの腕を引っ張るが、見かけによらずこの男は重い。
「待ってじゃないよ!勝手に入っちゃまずいでしょ!?とりあえず立って……っ」
無駄だと分かっていながらもう一度マイロニーの腕を引っ張る。びくともしない。するとマイロニーが掴まれていた腕を寄せて、逆に私がマイロニーに近づく形になってしまった。
「ちょっと、あんた!大体ねぇ」
「あれ、コスモスだよ。」
「は………?」
マイロニーが私の肩を寄せて指をさす。指の先の方向には、もう少しで咲きそうな蕾を持ち上げた植物が花壇の中で立っている。
「あっちはチコリー。コーヒーの風味付けに使われるんだ。こっちのはゼラニウム。キレイな赤い花が咲くんだよ。」
指の先を変えながら、マイロニーは淡々と私の耳元で呟く。中には、まだ咲いていない花や、芽だけのものもある。
詳しいなんてものじゃない。まるで、この花壇のどこでなんの花が咲くのか、知っているみたいだ。
「なんで………?」
「あそこの小さな鉢には、僕がラベンダーを植えたんだ。」
マイロニーはそっと指を下ろす。目には微かに光が戻っていて、私はほっとする。
でも今、『僕が植えた』って……。じゃあ、ここは
「僕の実家だ。」
森のお姫様が住んでいそうなお家が、マイロニーの実家………?
「実家…?マイロニーはここに住んでたってこと………?」
マイロニーが顎を下げ、前髪がふわりと揺れる。
別に変な話じゃない。有名な絵描きは、だいたいが金持ちか貧乏に分かれる。ピカソやゴッホがその一例。でも、なんだろう。この違和感は。
「そう、ここは僕が住んでた家さ。10歳までね。」
「10歳まで……?どうして?」
「それが僕の秘密さ。」
マイロニーはうーんと体を伸ばすと、そのまま後ろに倒れ、地面に寝そべった。マイロニーの薄茶色の瞳に、茜色の空が映る。ゆっくり、ゆっくりと流れる雲を追いもしない。マイロニーはじっと空気を見つめていた。
「秘密、聞きたい?」
ちらりと私を見やる。その顔は、いつものマイロニーの顔に近くて、でもいつもよりも清々しそうで。子供らしさが倍増している。
「…当たり前じゃん。何のためにアンタについてきたと思ってるの。」
フフフとマイロニーが笑う。
まだ、終わっていない。マイロニーが全ての毒素を吐き終えるまで、私たちの旅はまだ終わらない。




