世界に輝く車メーカーのお膝元<後編>
この話も「エキ・者・カタリ」からの移動作品です。
さくらが色っぽく見える。
彼女に見つめられている俺は、身動きが取れない。
そんな俺が、本能のまま見てしまうところは、彼女の艶っぽい唇。
吸い込まれそうだ。
思わず、俺の方から唇を近づけていく。その行動がさも当たり前かのように。
接する。
「ん・・・」
彼女も迎え入れてくれているようだ。舌を突入させる。そして絡める。
「ふふふ。良いものが撮れました」
そんな声が聞こえてくる。唇を離す。
さくらが、物足りなさそうな表情をしているように見えるのは、俺の気のせいだろう。
声の方向に視線を向けると、顔を赤く染めた後輩、もしくは妹分の姿が。
その表情は、恍惚に溢れている。手にはスマホを構えているが。
そんな彼女を見て、徐々に思考を回復させていく。
俺の両腕はさくらを抱き寄せ、彼女の背中に回されている。
さくらの両掌は、俺の胸に添えられている。
目の前には、目がとろんとしているさくら。
顔に熱が帯びていくことを感じた。赤くなっているのだろう。
両腕を外してさくらを解放しようとした。
が、彼女が重力に抗うことなく倒れそうになったので、片腕を残して諦める。
「・・・撮った?」
友美に確認する。
「はい。永久保存版です」
いい笑顔で答えてくる。奪おうと腕を伸ばすものの、避けられる。
友美は、俺たちから離れて逃げる。
「再生・・・と。・・・うわー緒方さん、積極的ですねー」
感想を述べる彼女の言葉を聞いて、心の底から恥ずかしくなってくる。
「これをさくらさんに見せると・・・。今からでも楽しみ・・・」
悪いことを考えているような顔をする。そんな彼女を睨む。
「あー、緒方さん、安心してください」
俺の視線に気づいた彼女は、笑顔を崩さずに、そんなことを言ってくる。
「さくらさん、緒方さんのこと、間違いなく大好きですから」
「え」
思わず声を漏らした俺に向けて、友美は最近あった出来事について話してくれた。
仕事場の女性たちが集まって、いろいろ話をする「女子会」でのこと。
俺とかなり仲がいいということで、つきあっているのでは、という疑惑が話題になったようだ。
彼女は、最初は否定していたのだが、執拗な攻めに屈服して、悩み相談みたいな体になったらしい。
周りからは「告白すればいいじゃない」というアドバイスが飛んだ。
仲がいいし、緒方さん自身も貴女のことを良く思っているよ、間違いない、と。
しかし、彼女は顔を真っ赤にしながら、そのアドバイスを拒み続ける。
告白の結果、俺との関係が変化して、「俺に頼られている後輩ポジション」を、失ってしまうことを恐れ、尻込みしているのだな、周りは勝手にそう解釈することにした。
それからというものの、俺とさくらの動向を温かい目で、見守っているという。
「まあ、この映像見せたら、さくらさんも観念するのではないでしょうか」
友美はそんなことを言う。
「そうか」
小さくそう答え、自分の気持ちを整理するため、考え込む。
流れでさくらにキスをしてしまった。
一瞬だが、彼女を「結婚相手」として思い浮かべたことがあることも思い出す。
今、このようなことをした後でも、後悔をしていない自分に、驚いている。
相手に了承を得ていないという、罪悪感。
そして、彼女に知られず、自分だけがキスという「気持ちいいこと」をしてしまった背徳感。
彼女は俺のことが好き。ならばいいのだろうか。
大きく息を吐く。
ただ、彼女自身から直接、「好き」という気持ちを聞いていない。
一応は聞いたのか。酒が入っている状態ではあるが。
彼女の意識はあったのだろうか。
お酒の力を借りて告白、ということは聞かない話ではない。
どちらにしても、彼女が正気に戻らないことには、解決しない悩みだ。
それよりも。
「卓也、タクシー頼んでもらっていいか」
店長の卓也に声をかける。
「2台か?」
2台。そうか、俺とさくらの分か。
その時点で、彼女の住処の詳しい住所を知らないことに気づく。
さくらに聞こうと思い、そして、諦めた。
彼女は、俺の首に両腕を回して、すでに寝息を立て始めている。
「1台でいい」
そう答えて、少し途方に暮れる。
お互いカウンター席に座ったまま。
彼女の体がこちらに傾いている形になっている。
意識がないためだろうか、彼女の体重がそのまま俺に伸し掛かる。
「・・・少しは警戒しろよな」
そう言いながら、彼女の頭を撫でながら、近くにある顔を観察する。
そこにあるのは、いつも見慣れた同僚の顔。
そのはずが、眠っているせいなのか、大人しく、美人に見える。
「寝てる顔は美人だったのか・・・」
小さく呟く。何とも言えない色っぽい顔をしていたことを思い出し、首を振る。
「緒方さん、その言葉は失礼です」
妹分が突っ込んでくる。聞いてやがったか。
「さくらさんは、美人で大人で綺麗で、素晴らしい女性じゃないですか!」
「それは、褒めすぎだろう」
「そんなことはないですよ。お客さんの中にも、さくらさん目当てのひと、多いですし」
ああ、確かにいるな。
あきらかに俺のレジが空いているのに、さくらのレジを待っている男性客。
「こちらのレジへどうぞ」と言っても無視しているヤツら。
今までは、里美目当ての客の方が多く、厄介なヤツが多かったので、失念していたよ。
里美とさくら。
2人とも同じ時期に入って来て、長く勤めているので、それなりに常連客と仲が良い。
若くて容姿も良いし、人当たりも良い。常連客以外からも当然人気があった。
そのため、トラブルも多かったのだが。
里美の場合は、レジでの接客中や品出し中に話しかけてくる、手を握ろうとする、そういえば、ゴミ捨てを手伝う変なヤツもいたな。
とっさのことにかなり弱い彼女は、予想範疇外の言葉を掛けられると、混乱してしまうらしい。
その混乱の中、彼女自身が考えついた上での判断が、相手が勘違いしてしまいそうな行動、態度になってしまい、面倒なことになってしまうことが多かった。
比べて、さくらの場合は、当たり障りのないお客様対応に徹していた。
のらりくらりと執拗な言葉を躱す。
それに加えて、すぐに俺か店長など男性店員を呼びに来てくれるため、大きなことにはならなかった。
~カラン カラン~
ドアが開いた音がする。
タクシーが来たようだ。
「おい、さくら。タクシーに乗るぞ」
彼女の肩を叩いて、声をかける。
「・・・うー、ん?・・・ん・・・」
かすかに返事が聞こえる。
目はつむっているが、イスから立ち上がった。
が、ふらついているので、彼女の左腕を肩に回し、左側から支える。
「あ、そうだ。卓也。勘定」
俺はそう言って、卓也に向けて財布を投げつける。
「お代、そこから出しておいて」
卓也は、俺の財布をまさぐり、お金を取り出す。
そして、俺の左手に財布を持たせる。
「・・・おめでとう」
「ん?何が?」
「・・・お持ち帰りだな」
「・・・よせやい」
わざわざ女性たちに聞こえないような声で、そんなことを囁いてくる。
そんな配慮は余計だ。
友美に至っては、すでに想像しているように見える。
見送っている目線が、すでに温かい。
「またのお越しをお待ちしております」
親友は、店長として杓子定規な言葉で締めてきた。逃げたか。
「またのお越しを、おまちしておりまーす」
妹も兄のマネをしてきた。若干ムカつくが、放って置こう。
タクシーにさくらを押し込み、乗り込む。
「三河豊田駅までお願いします」
ドアが閉まる。タクシーが走り出した。
豊田市駅の明かりが左側を通っている。
ふと、さくらの頭が俺の右肩に乗っていることに気づいた。
心地よい寝息が聞こえる。
良い気なものだ。安心しきっているのか。
俺がホテルに連れ込んだり、イタズラしたりしないと、思っているのだろうか。
天井を見つめ、思いを巡らす。
今から、彼女を、初めて俺の家に連れていく。
明日、彼女が起きたとき、どんな顔をするだろうか。
責められるだろうか。怒るだろうか。
驚かれるだろう。
そのときに俺は、彼女に対して、どんな対応をするのだろう。
それによって、彼女との関係が、良くも悪くも変化するのは、間違いない。
最悪、彼女が仕事を辞める、ということも考える必要がある。
これ以上、辞められると、シフトを組むのが大変だ。
大きく息を吐く。
そして、今考えても結論が出ないこと。
諦めて、隣で眠っている、無防備な彼女を見守ることにした。