7話
異世界に転移し、シャミア宅に居候をしてから一月近くが経っているが、生活のサイクルは相変わらず変わっていない。
ただ、一カ月も経つとシャミアが付きっきりになる必要性がなくなってきて、自己判断で行動することが多くなってきている。
ヒロトが一層努力したのは、シャミアが任されているマナノキの管理範囲の地形を頭に叩き込むことだった。四カ所のマナノキ密集地をマイルストーンとし、少しずつ行動範囲を広げていった。
まだ完璧とはいいがたいが、地理にはかなり明るくなっていた。
ヒロトがいるのは、平べったい皿のような形状のものが折り重なるようになっているマナノキだ。マナノキの中でも特殊な形の緑色のそれは、樹木や岩にくっついている。似たようなキノコを見たことがあるため、ヒロトはキノコ型マナノキと勝手に名付けていた。
このキノコ型マナノキは樹木の形のマナノキに比べて非常に小さいが、その代わり数が多く成長が早い。成長すると皿の数が増えるのだが、数が増えると斜めに反り上がるようになり、反り上がったものは収穫できる。ヒロトでも容易に採取していいかどうかの判断ができるため、キノコ型マナノキの群生地は最も訪れる回数が多い。
しかしながら、この群生地を訪れることにシャミアはいい顔をしない。
シャミアといえば、最近は彼女との会話が減っていた。というのも、日を追うにつれてヒロトが仕事や生活に慣れ、物事の説明をし尽くしつつあるからだ。必要のある事項や研究内容には口が滑らかになる彼女だが、中身のない話になるととたんに口数が減る典型的なコミュ障である。ヒロトが苦心してみても、なかなか会話は弾まない。
このことにヒロトは悲しいとか残念とかいう感情よりも、焦燥感が先に立っていた。
それはさておき、キノコ型マナノキの群生地に行くことをシャミアにいい顔をしないのは、魔物が多く出現するポイントだからだ。
マナノキを食すのはマナヒトデとごく一部の小さな芋虫だが、例外的にキノコ型マナノキは草食、雑食の魔物に食べられる。食べられるといってもごく少量なのだが、それでもキノコ型マナノキを求めて魔物が寄りつく。そしてその草食や雑食の魔物を捕食する凶暴な肉食の魔物が、この場所を狩場として利用するのだ。
実際、すでに二度ほど魔物を見かけている。ウサギとタヌキだが、人を襲うような魔物ではないため、向こうから逃げていくかこちらの存在を気にしないかのどちらかだった。
きっとそのうち凶暴なのとも遭遇するんだろうなあと漠然とした危機感を抱きつつ、キノコ型マナノキの群生地に来てしまうヒロトだった。森を歩く以上はそのリスクが常に付きまとうと開き直っているのと、単に危機感が薄いからだ。
ヒロトは成長しすぎたマナノキを手でもぐ。パキと硬質な音を立てて、根元から折れたそれを皮袋にしまう。前にこのポイントに来たのは五日前だが、もう採取できるほどまで成長した個体がいくつか見られた。
稀に濃淡のあるものを発見でき、そういったものは装飾品として価値が高くなる。
しばしば目につくマナヒトデもついでに始末しつつ、そろそろ移動しようかと皮袋の紐を縛っていると、どたどたと地を蹴る音がヒロトに近づいてくる。
ヒロトは護身具としてシャミアに持たされた鉄棒をぐっと握り、腰を落とした。握っている鉄棒はただの棒ではなく、シャミアが数年前に自身の護身用に製作した魔道具であった。この鉄棒で打撃を受けると、マナの循環を乱してしまうという代物だ。対魔物では刃物よりも使えるとシャミアは話していた。
彼の前に姿を現したのはずんぐりむっくりした鳥だった。鳥のくせに飛べず、その代わりに脚が異常に速いという特徴から、オードの森では有名な魔物だ。臆病なので人を襲うようなことはないのだが、鳥はヒロトへ一直線に走ってくる。
迎え撃とうとするヒロトだが、鳥はそんな彼に脇目も振らず、真横を全速力で通り抜けていった。ヒロトは唖然としてその後ろ姿を目で追った。
「なんだありゃ……」
一人ごちてから、なぜあの鳥は自分に向かって疾走してきたのだろうと考え、戦慄した。なすりつけられたのだ。
恐怖を覚えるほどの静謐が訪れていた。
ずんぐりむっくりした鳥のことは、以前に二度見ている。警戒心が強く、一定以上近づくとさっきのように一目散に逃げるほど臆病だ。逆に考えれば、危険が近づかなければ疾走しないということになる。
もしも魔物に襲われそうになった場合、家か集落のどちらか近い方に逃げることになっている。ここからならば家の方が近い。全力で走れば十分もかからないはずだ。
ヒロトは護身のために持っている鉄棒などを除いて、残りはその場に置き、走りだした。
同時に数匹の魔物が彼の後ろを追いかける。ぶち模様の犬かキツネに似た体高七十から八十センチの魔物だ。ヒロトを狩りの対象にしているハイアという魔物については、シャミアから聞いている。十匹前後の集団で狩りをし、肉体ではなく知能の発達した狡猾な魔物だと説明されていた。
「あのクソ鳥……!」
ハイアの群れを押し付けてきた鳥に歯ぎしりをするほどの苛立ちを覚えた。ハイアは頭がいいためマナビトでさえ手を焼く魔物であり、素人のヒロトではほぼ確実に歯が立たない。
背後のハイアたちは一定の距離を保ちつつ、追跡をしていた。背後にいるのは三体だが、左右、そして前方にも何体かいるのがちらちらと視界に入った。教わった通り十匹程度いるようだ。きれいに囲まれている。
すぐに襲ってこないのは幸いだ。統率のとれたハイアの群れを、ヒロトは子細に観察しながら木々の隙間を駆ける。こちらの目標はやつらを討滅することではない。あくまでも家まで逃げきることだ。
家までの道程を半分消化したところで、前方に背の高い雑草が現れる。ハイアたちは自身の姿が隠れるこの場所で襲いかかってくるに違いない。
見通しの悪いこの一帯で仕掛けられたらひとたまりもない。よって不意を打つことにした。
ヒロトは足を止め、後ろを振り返ると、腰に引っかけていた巾着袋の中身を背後を追っていたハイアにぶちまけた。ヒロトに襲いかかる寸前だったのか、目の前にいた二体が巾着袋の中身の粉を全身に浴びた。
二体のハイアは苦しそうに呻き、吸い込んでしまった粉を吐きだそうとえずいている。吸い込むと呼吸が困難になる、マナの地ではポピュラーな道具だ。
不意を打てたと一息つく間もなく、右側から一体のハイアがヒロトに飛びかかる。顔面を守るために、とっさに右手を振り上げると、鉄棒がハイアのあごにめり込んだ。飛びかかってきたハイアは半回転して背中から地面に着地し、泡を吹いている。
瞬く間に三体を撃退したが、ヒロトの快進撃はそこまでだった。
油断をしていたつもりは一切なかったが、頭上にはまったく注意を向けていなかった。仲間がやられたハイアたちが一旦距離を取ったことを雑草の揺れや音などから察し、汗を拭った瞬間に、木に登った一体のハイアが枝から跳び下りて体当たりを敢行してきたのだ。
ハイアたちの目論見はまんまと成功し、体勢を崩したヒロトに一気に群がっていく。
両足首に噛みついてきたハイア二体を振りほどこうと意識を向けた瞬間に、右手に別のハイアが噛みついてきた。ヒロトは思わず鉄棒を手放してしまう。
苦肉の策として呼吸阻害の粉を振りまいたり、強烈な光と音を発する破裂玉を使ってみたが、ほとんど効果がない。
腹に噛みついてきたハイアを殴りつけるが、体勢が悪いからなのか勢いが乗らない。
次にどこを噛みつこうかと構える二体のハイアのほかに、数体が遠巻きにヒロトを囲んでいる。予備戦力ということだろう。しかし目先のことに必死になっているヒロトが、ハイアの群れが常に万全の態勢で狩りをしていることに、気付けているはずもなかった。
ハイアたちが勝負を決しにきた。一体のハイアがヒロトの喉笛を食いちぎらんと肉薄する。ヒロトの体を蹴り上がり、ふらつく彼の首元に鋭い牙がきらめく。
一瞬目で追えなくなるほどの瞬発力。気が付いたときには爪が体に食い込んだ痛みを覚え、眼前に大口を開けた獣がいた。
どうあがこうとも間に合うはずがない。しかし、反射的に、唯一自由になっている左腕で防ごうとした。
いつの間にかヒロトはハイアの首根っこをつかんでいた。
「は?」
自分でも何が起こったのかわからず呆然としてしまう。首をつかまれたハイアも心なしか呆けているように見えた。
なんだかわからないがラッキーだ。ヒロトはそのまま放り投げようと手に力を込めると、グキャと湿った音がした。ハイアの首を握り潰したのだ。
そこでヒロトは異常なほど力が湧いてくることを自覚した。
続けて右腕を噛んでいるハイアの頭蓋を握力だけで潰し、腹に食いつくハイアに拳骨を落とした。
足を執拗に潰そうとする二体のハイアの上から、彼らの仲間たちが降ってくる。
生き残ったハイアの群れの判断は非常に早いものだった。
近くにいたハイアたちは素早く離れ、そのまま標的だったヒロトを一瞥もせずに走り去っていく。がさがさと雑草がいくつかの方向で揺れ動いていき、一分も経たずに視界から完全に消えた。
巾着袋の粉を思いきり吸い込んだ二体のハイアも逃げたようで、泡を吹いて気絶している個体を始末すると、周囲には四つの死体が横たわる。
魔物は金になるが、撲殺や絞殺したとはいえ多少血が流れている。自分の流血と合わせて、血の臭いに誘われて別の魔物に襲われるのは避けたいため、放置することにした。鉄棒だけ拾って帰る。キノコ型マナノキの群生地に諸々の荷物を置きっぱなしだが、盗む人もいないだろうから明日にでも取りに行こう。
走って家にたどり着く。ちょうどシャミアは薪を取りに行っていたようで、腕にはいっぱいの薪を抱えていた。
「あ、シャミアさん。ちょっと早いけど、いま帰り――」
「ヒロト!?」
シャミアは抱えていた薪を落として、素っ頓狂な声を上げた。
「どうしたの、その格好!」
彼女はヒロトに駆け寄った。
言われて、ヒロトは自分の格好を顧みる。厚手の布でできた衣服はぼろぼろになっており、ところどころが赤黒く染まっている。革のブーツを履いていたが、ハイアの牙は易々とそれを貫いていた。
「ハイアの群れに出くわしてしまって」
「ハイア!? とりあえず治療をするわ」
散らばった薪もそのままに、シャミアはヒロトの手を引いて家に入った。
椅子に座らされたヒロトは服を脱がされ、傷薬を塗りたくられる。マナには、魔法使用や身体能力向上のほかに、治癒能力を向上させる効果もある。この傷薬は塗布することで体内のマナを利用して、外傷を治すものだ。
「……出血の割には傷は浅そうね」
服を脱いでみてヒロトも初めてわかったのだが、シャミアが言うように傷は深くなかった。
しかし、ハイアの牙は長く鋭かったし、あごの力だって弱くないだろうから、悪いことではないとはいえ傷が浅いのは腑に落ちない。ヒロトは首を捻りつつ、傷口をぼんやりと眺めていた。
「そうだ、荷物を群生地に置いてきちゃったんですよ」
「そんなことはどうでもいいわ」
「背の高い雑草が生えてるとこがあるじゃないですか。あそこに殺したハイアも数体そのままにしてて」
「……殺した? あなたが?」
「ええ、まあ。なんかいきなり体に力が――」
「私は魔物を見たら一も二もなく逃げろって言ったわよね」
シャミアは底冷えのする声でヒロトを遮った。
「知能の高いハイアの恐ろしさは事前に教えたはずよ」
「でも、逃げられなかったから」
「だからって何体も殺すほど応戦するのはおかしいでしょ! あなたに持たせた道具は逃げるためのものであって、戦うためのものではないわ!」
シャミアは握りしめた手を震わせ、顔を真っ赤に染めて激高した。
感情を露わにする彼女は初めてで、ヒロトは鼻白んだ。
「す、すみません」
「警戒が甘すぎるのよ。そもそもあそこは魔物が出没しやすいのに……。ここに住むなら私の言うことをまもりなさい!」
シャミアは乱暴に傷薬を塗りたくると、荷物を回収してくると家を出ていった。乱暴にドアが開け閉めされ、その音にヒロトは体をすくめた。
塗られた傷薬の臭いがつんと鼻をつく。
「なんだよ……」
ヒロトは一人呟いた。
「俺だって好きで撃退したんじゃないのに……。逃げきれなかったから、仕方なく戦って、命からがら家までたどり着けたっていうのに」
シャミアに言えなかった台詞がぽろぽろとこぼれ出す。
けれども、シャミアの赤い顔や涙を湛えた瞳、水分を含んだ声を思いだすと、すさまじい罪悪感が体を支配するのだ。こぼれ出した愚痴がとても下らなく思えてくる。
詫びの代わりに夕飯は手間をかけたものにしようと立ち上がるが、体はひどく重かった。




