6話
ヒロトの朝は早い。
異世界にやって来てから二週間が経っていた。環境の変化に慣れてきたおかげで、日の出の前には目が覚めるようになった。九時までには床に入っているから、睡眠時間は確保されている。
研究室を片付けてそちらで眠ることをしないシャミアを起こさないように、ヒロトはこっそりと外に出る。大きな桶を二つ手にぶら下げて、向かうのは小川だ。
照明や火や水は魔道具により現代日本と同じように利用できるのだが、そのためにかかるコストが桁違いだった。というのも、魔道具の使用で消費するマナは粉末化したマナノキを使うのだが、マナが空になった場合にはこれを新しいものに交換するほかない。つまり充填することができないのだ。また燃費もよくないことから、魔道具があっても極力使わないのがオードの森での不文律になっている。魔道具を使わなくても生きていけるのだから、その分のマナノキを研究なりに使った方が有用だということだ。
ちなみに、オードの森では全ての家庭に日常に便利な魔道具が据え置かれているが、森の外では魔道具は高級品で富裕層しか所有していない。マナノキの供給が少なく、魔道具の製作並びに使用の両方にそれを消費するのだから当然といえる。
したがって、労力により解決できるのならば、労力で解決すべきだ。両親が亡くなってから、より吝嗇家となったヒロトが魔道具をほいほいと使うはずがない。たとえシャミアに気にするなと言われていてもだ。
小川では水を汲む前に、上裸になって筋トレをするのが日課になっていた。腕立てやらランニングで汗を流し、小川で行水する。仕事はどれも肉体労働だから体が鈍ってしまうことはないが、時間を潰すためにやっている。日も昇っていない早朝だと小川を往復するくらいなら問題ないが、それ以外の仕事をするには支障があった。
少し休憩して、桶に水を汲んで家に戻る。そして薪を拾っていると、日も昇り始めていてあたりが明るくなっている。
次に、必要があろうとなかろうと家の横で薪割りをする。うるさいのだが、それが目覚ましの役割を果たすのだ。シャミアは朝が弱く、起こしてやらないとなまじ照明の魔道具があるせいで生活リズムが不規則になりがちだ。声をかけたり肩を揺すったりして優しく起こすべきなのかもしれないが、なんとなく気恥ずかしいのと、彼女が起床直後は機嫌が悪いので近寄りがたい。
そのあとは朝食を作り、掃除洗濯や畑仕事をして、昼食となる。午後からは主にマナノキを見てまわることに時間を費やすが、一応自由時間という括りになっている。
自由時間といっても、どうせ娯楽も何もないじゃないかとヒロトは思っていたのだが、さすがに娯楽はないものの、これが案外探せばいろいろやることはあるのだ。
ヒロトはシャミアに行先などを告げて、外へ出た。彼女の方は研究室に引きこもりに違いない。あなたのおかげで研究に避ける時間が増えたわと喜んでいたので、ヒロトの存在はシャミアの引きこもり具合を悪化させているようだ。研究者とは元来そういうものなのかもしれないが、それが良悪は判断がつかない。つかないことにして、カイラなどにはその事実が伝わらないように努めていた。
さて、ヒロトが足を向けるのは集落である。
オードの森に住むマナビトの総数は二百を超える程度で、そのうちカイラがいる集落に居を構える人となると、全員の名前を覚えるのが難しくないくらいの人数になる。二週間もあれば集落の全員と顔を合わせることは可能だった。
両親が存命していた頃は都内のマンションに住んでいたが、近所付き合いがひどく希薄だったとヒロトは記憶している。戸数が百を超える大きなマンションだったのと、両親が共働きだったのもあるかもしれない。祖父母に預けられてからも似たようなものだった。
だから近所付き合いの重要性を理解しておらず、自分のことを棚に上げて森に住む人たちと仲良くしなさいと口を酸っぱくするシャミアに最初は辟易したものだ。異世界生活二日目と三日目に集落とその周囲に住む人たちのもとへ、二人で挨拶にまわったからもうよいではないかと。
その認識は間違っていたといまでは思える。
集落に入るとすれ違う人が挨拶をしてくれる。初日のように、誰だこいつと不審な目は向けられなくなった。
「こんにちはー」
一軒の家のドアをノックすると、きれいな奥様といった感じの女性が出てくる。カイラと同じように三十歳程度に見えるが、実年齢は不明だ。
「あら、ヒロトくん。あの人なら畑に出てるわよ」
マナビトとしては珍しく、結婚し一緒に住んでいる世帯だ。森にやってきたときの年齢が小さいほど、集団で行動したり夫婦になったりすることに忌避感が小さい傾向がある。
十分以上女性とおしゃべりし、ヒロトはその家の主人がやっている畑に赴いた。
つまりお手伝いだ。結局仕事なので、自由時間に仕事ってどうよと思わないでもないが、経験のないことをやってみるのも娯楽に近い面白さがある。また人付き合いを円滑にするのにも役立つ。
「おお、よく来たな」
「今日はよろしくお願いします」
「こっちこそよろしくな」
ヒロトがやっている家庭菜園規模の畑とは異なり、事業としてやっている大きな畑に着くと、日に焼けた筋骨隆々の男がフレンドリーに手を振ってきた。
ライという名の彼の腕に、大根のような藍色の作物が抱え込まれていた。
広大な畑であるため、収穫などの繁忙期になると、ライ一人では手が足りない。彼の妻も仕事があるためいつも手伝えるわけではなく、暇の空いている人に手を貸してもらっているのだ。
ライの畑の手伝いは今日が初めてではないから、ヒロトは早速収穫に取り掛かる。土に埋まった1キログラム超の作物を雑草でも抜くように引っ張って抜き、籠の中に収めていく。
「おめえ、さすがだな。線は細いけど、俺よりも力あるよな。こないだも思ったけどよ、それが異世界人の普通なのか?」
「いや、こっちに来てからなぜか飛躍的に筋力が上がってるんですよ」
「ふうん? まあ、悪いことじゃねえから、いいか」
雑談をしながら畑作業が進められる。
「ここんところは畑を荒らされることがちょくちょくあってなあ」
「魔物ですかね」
「ああ。追っ払ってるんだが、あいつら逃げ足速えから」
マナの地に住む人が特殊であるのと同様に、動物もまた多くのマナを保有する特殊な生き物だ。特徴としては、体が大きく力が強い。
マナビトたちは魔法でもって自衛するが、ヒロトは魔法が使えないので、魔物と遭遇したら一にも二にも逃げることだけを考えろとシャミアにきつく言われている。
「俺、魔物って見たことないんですけど、好戦的な性格ってわけじゃないんですね」
「動物にいろいろあるように魔物にもいろいろあるってことだ。そもそも動物が変化したのが魔物なんだからな。畑に来るようなのは草食だから、臆病なのが多いんだよ。たまに雑食のでかいやつが来ることもあるけど、そのときは人呼んで囲んでボコるわけだ」
「なるほど」
「ヒロトは力強えし、魔法が使えなくても魔物の一体や二体ぶっ殺せるだろ」
「どうなんでしょうね……。でも戦闘技術は何も学んでないですし、無理な気がします。それにシャミアさんに魔物を見たら一目散に逃げろって言われてますし」
「あいつも意外に過保護なんだな……。全部が全部やべえってわけじゃないんだが」
「でも、駆除しなきゃいけないマナヒトデみたいにあえて狙う必要はないですから。魔物の肉はおいしいらしいですけど、食料には困ってないですし」
「まあな。シャミアは優秀な研究者だから金には困ってないだろうし」
たくさんの金銭を貯めている人はオードの森に多いが、金銭は森の外との取引で使われるのみだ。森の中では物々交換で取引が行われることが多い。
「でも魔物もマナノキみたいにマナの地では重要な産業なんだぜ。魔物を狩って生計を立ててるやつもいるくらいだし」
「それはそうかもしれませんね。マナの地にしか生息しないわけですから、マナノキみたいに希少価値があるってことになりますもんね」
「毛皮なんかを金持ちや好事家が欲しがるんだよな。そういえば、そのうち戦えそうな連中を集めて、集団で狩りをするって話を小耳に挟んだぞ。作物の被害が多くなってきて、危険なやつも出没頻度が多くなってきたから、だとよ」
「へえ。そういうのってよくやるんですか?」
「魔物が増えてきたと思ったらだな。カイラなんかがやろうって決めるんだよ。あいつは森のリーダーだから。俺も参加するだろうな。お前も参加したいって頼んでみたらどうだ」
「俺もですか……。俺は魔法が使えませんからねえ」
狩りに参加は許してもらえない気がするが、見学くらいなら許可してもらえるのではないか。魔法を使って凶暴な生物を討伐するなんて胸が弾むようなファンタジーな光景を、是非見てみたいという願望もある。
「見学だけでもしたいですよね」
「そうだな。普段関わりがない川の向こうの連中に会ってみるいい機会だろうし」
オードの森の北には山があり、そこから大きな川が流れている。オード川と名付けられており、オードの森を東西で二分割している。シャミア宅のそばにある川はそれから枝分かれしたものだ。
一カ所だけ橋がかかっており行き来できるようになっているが、カイラなどの一部の者しか普段は交流しないらしい。
「オード川は雨期に氾濫してしまうんでしたよね。だから川の近くに住居はなくて、東西を行き来しようと思ったらけっこうな時間がかかるでしょうし、交流がなくても仕方ないですね」
「それもあるんだがなあ。西の連中とは東の俺らとは考え方がちょっと違うんだよ。俺たちはマナビトはみな家族っていうふうに考えてるんだが、あいつらは集団ではなくて個人を重要視してるんだな。個々人が幸せなら、それがいいってこった。損得を重視しているっていうか」
ライは奥歯にものが挟まったような言い方をした。
「川を一つ隔てただけでこんなに変わるんだから、人ってよくわかんねえよな。つっても、話の通じないやつらじゃねえし、魔物を狩るときも協調性を見せてくれるから、問題はねえんだけどな」
「そうですか」
嫌いではないが、積極的に関わりたくないというところだろう。おそらくライの感情は東側のマナビトに共通しているのではないかと思う。
これは集団が集団に対する感情であり、苦手意識以上の対立関係にはならないだろうから問題ないが、個人に対するものになると非常に危ういことになる。それがシャミアが近所付き合いを強要した理由だ。
村八分とまでいかなくとも、それに近い状況になってしまえば、この森では大変生きていきづらいはずだ。
逆に近所付き合いを怠らなければ、過ごしやすくなるといえる。
「今日はお疲れさん。こいつを持っていってくれ」
「ありがとうございます」
「また頼むな」
背負い籠いっぱいに作物を渡される。バイト代といったところだろうか。昼過ぎから夕方まで働いて野菜だけかよと思ってはいけない。手伝いが厚意ならば、そのお返しもまた厚意なのだ。
とはいえ、貰った作物は出すとこで出せば少なくない金額になるのだが。
貰った野菜の一部はその日の夕食として供されるのだった。




