4話
突然慣れない環境に放りだされたために心身の疲れでぐっすり眠ったヒロトとは反対に、シャミアはうまく眠りつけなかったらしく怠そうな顔つきだった。
研究室以外に部屋が一つしかないため、同じ部屋で二人が寝ることになったのが原因だった。よく知らない人が近くにいたら睡眠が浅くなってもおかしくない。特にシャミアの場合は人に対して神経質になりすぎるきらいがあるから、仕方のないことだ。研究室は寝具を置けるほど整理がされておらず、整理することないし整理されることをシャミアが嫌がった。
睡眠だけではなく、ヒロトの居候が決まってから、シャミアの態度が若干硬化しているような気がする。彼女の過去を考えれば致し方ないとはいえ、一緒に住むというのは選択を誤ったのではないかと後悔を覚えた。
「ちょっと訊きたいことがあるのだけれど」
ヒロトが作った朝食を口に運びながら、シャミアが言った。
水や火は魔道具により日本と同じように使えたため、不便はなかった。食材も揃っており、なぜか調味料も豊富だった。貴金属や宝石に興味がないシャミアにとって研究以外で楽しみといえるものは、寝ることと食うことらしい。だから高い調味料や食材があるのだという。とはいえ、彼女は家事をしないので、無駄に豊富な調味料はろくに使われていないようだった。
「……これ、おいしいわね」
「ありがとうございます。一時期、自分で料理をしなければならなかったので、いろいろ調べたものですよ」
「じゃあ、料理は全部ヒロトに任せるわ。私がやると基本的に焼いて塩をかけるだけだし」
実際のところヒロトの料理の腕なんてたかが知れているのだが、シャミアの普段の食生活がひどいせいで、それでも美味に感じられるようだった。
「それはともかく、あなたは今日からどうしたいのかしら。何もしなくてもいいけれど……、たぶん退屈だと思うわよ。こんな辺鄙なところに娯楽なんてないのだから」
「とりあえず家事はします。でも家事だけじゃあ……。そうだ、シャミアさんの研究を手伝うというのはどうですか。それか、俺が魔道具を作ってみるとか」
「ゼロから知識をつけるとなると、どんなに頑張っても数年はかかるわよ。それに魔道具の開発や製作にはたくさんのマナを持ってないといけないの。普通は複数人で行うし、マナビトでもマナの多い人じゃないと一人でやるのは無理よ」
「つまりシャミアさんはマナビトの中でもマナが多い方ということですか」
「まあね」
「そういうことなら俺は無理そうですね。じゃあどうしましょうか」
「家事以外だと、畑を作業をしてもらうとか。何年も触ってないけど、家の裏手に畑があるから。重労働になるけど、興味があるならいじってみればいいわ」
「わかりました」
「あとはマナノキの管理ね。オードの森では全員がマナノキを管理することを義務付けられているの。もちろん私もよ。どの範囲を管理しなければならないのかも決まってるから、それを手伝ってもらうというのもあるわ」
マナノキの管理は具体的には害虫の駆除と剪定になる。剪定は多少知識がいるので、ヒロトは害虫駆除をやることになるだろう。
シャミアが請け負っている管理の範囲は、彼女自身が魔道具の研究などのために使用することもあり、かなり広いそうだ。となると、家事や畑仕事と合わせると、暇な日々を過ごすことはないだろう。
「ひとまず全部やってみます。こっちに来てから身体能力がなぜか大幅に上がってるんで、力仕事なら役に立てるんじゃないかと思います」
食事を終えると、眠くて頭が働かないから少し横になると言って、シャミアはベッドに倒れ込んだ。
睡眠の邪魔になってはよくないと、ヒロトは外に出ることにした。
「一人で遠くに行っては駄目よ。家が見える範囲までにしなさい」
「迷子になったら困りますもんね。畑でも見てみます」
「小さな掘立て小屋に道具が入ってるから使っていいわ。何年も使ってないから、使えなくなっているものもあるかもしれないけれど」
「わかりました」
ヒロトは家の裏手にまわってみた。
たしかに一部土の色が違い、畑の残骸のようなものがありはしたが、数年放置されていただけあってもはや畑といえるものではない。土を掘り起こすところから始めないといけないため、かなりの重労働だろう。朽ちかけていていまにも倒壊しそうな掘立て小屋を覗いてみたが、耕すための機械はもちろんのこと、その代替となる魔道具もなかった。クワやスコップは鉄製だったので、まだマシなのかもしれない。
クワとスコップを取りだしておき、ヒロトは軽い柔軟体操を始めた。
昨日に重い荷物を持ってみて身体能力が向上していることを感じた。その大荷物を持ってシャミア宅まで足場のよくない森の中を帰ったが、やはりあまり疲れを感じなかった。膂力だけではなく、タフにもなっているということなのだろう。
となれば、どのくらい体が動かせるのか確かめてみたくなるものだ。
そこで、短距離を走ってみたり、筋トレをしてみたりしたのだが、明らかに身体能力が上がっていることえを確認できた。上がっているどころではなく、体が作り替わったかのようだ。
正確な距離や時間を計測することはできないが、冗談のようなタイムが叩きだされるはずだ。全力疾走からの切り返しやサイドステップをしてみると、もはや人間の域を超えているような気がする。腕立てや腹筋もきつくなってくるはずの回数をこなしても、呼吸が荒くならなかった。呼吸が乱れたとしても、回復がかなり早い。
ただしバランス感覚は特に変わっていないように思う。反射神経や動体視力も変わらない気がするので、何もかもがよくなっているのでもなさそうだ。
肉体の検証が終わったので、畑仕事に精を出すことにした。
地球の基準で人間離れした肉体を手に入れたわけだが、農業だけに従事するわけでもないため、畑の規模は家庭菜園の域を出ないだろう。農薬の散布なんてできないだろうから、虫や雑草は手で除かないといけない。畑に使えるほどの水を魔道具では出せないらしいから、水は近くの川まで何度も行き来しなくてはならない。
オードの森では食糧を自給することを推奨しているが、自給率は高くないのだと昨晩の夕食でシャミアが教えてくれていた。あくまでもマナノキが主産業で、その研究や加工をする人が多いからだ。とはいえ、マナの地で育つように品種改良された農作物は味がよいことから、これはこれで産業として成り立つため、農業に力を注ぐ人も一部いる。
したがって、食料の多くはオードの森の外から仕入れているという形になる。
「よくもまあ午前中だけでこれだけ土を掘り起こせたものね。放置された地面は固かったでしょうに」
どこか呆れた声が後ろからかかってきた。
振り返ってみれば、一心不乱にクワを振り下ろした成果があった。
「ああ……、なんだか体が異常によく動くのが面白くって、つい」
「無茶はしない方がいいわよ。もうお昼だけど、何か食べたら? 私は寝てただけだからいらないけど」
「そうですね、じゃあ軽く何か食べます」
「これだけ体を動かしたならお腹も空いてるんじゃないの? 私のことは気にしなくていいわ」
「それがそうでもないんですよね。燃費もよくなったんでしょうか?」
「私に訊かれてもね……。その調子なら、午後からはマナノキを見てまわるつもりなのだけれど、問題はなさそうかしら」
「大丈夫です」
日中は気温が上がるせいでヒロトは全身汗まみれだった。川で水を浴びて、着替え、手早く昼食を摂った。




