18話
ヒロトも喜ぶが、同時に疑問が湧く。なぜもっと前ではなく、援軍はここで止まったのか。確かにここも乱戦が起こっているが、激戦地はもっと前のはずだ。
「退却せよ。ここは我らが食い止める」
援軍を率いた騎士が轟雷のような声を発した。彼の声はこちらに向けられていた。
護衛の騎士にも促され、シャミアは動かないわけにはいかなくなった。ヒロトが彼女の腕を支える。
援軍が守ってくれている間に退くだけだという安易な発想は打ち消された。視界にいる敵兵の数が増えている。
ヒロトやシャミア、護衛の騎士たちでさえも勘違いしていた。彼らのいるこの場所こそが、すでに最も自軍本陣から離れているラインであった。だからこそ援軍は付近で足を止め、戦闘に加わったのだ。
援軍は正規の騎士で構成されていた。騎士は強いが、倒せば金になる。アルワ領に雇われた金目当ての傭兵が集ってくる。
護衛の騎士が奮戦し、道を作る。しかし次から次へと襲いかかってくる敵兵のせいで歩みはのろい。
ヒロト一人ならば力任せの突破も可能だが、シャミアを担いでとなると無理がある。ヒロトはその筋力のおかげで、重量はあるが頑丈な防具で身を固められている。重装備といっていいくらいだ。一方でシャミアは軽装備だった。魔道具に関する指示とともに、その記録を取るなどするための道具を持参しているためだ。
「シャミアさん、自分の足で立てますか?」
「ヒロト……?」
「俺がどうにかしてみます」
ほかの部隊が手助けに来るが、優勢になり士気の高まっている敵軍は勢いに乗っていた。抑え込むどころか、押し込まれている。
ヒロトは静かにシャミアの腕を下ろした。
ヒロトにしてはゆっくりとした速度で走り、敵の傭兵へと接近した。傭兵はヒロトを認めるやにやりといやらしい笑みを浮かべる。ヒロトは間合いに入る直前で猛烈に加速した。突きだされた鉄棒は傭兵の胸部を捉え、彼の体を空中へと投げだした。胸部を砕かれた傭兵は受け身も取れずに水面に叩きつけられ、うつ伏せのまま浮かんでいる。
ほぼ確実に絶命しているだろう。深いショックは受けなかったが、まるで過酷な運動をしたかのように心臓が激しく脈動する。
ヒロトは動揺を覆い隠すかのように声を張り上げ、向かってきた敵兵の剣に鉄棒を振り下ろした。あまりの衝撃に敵兵は剣を持ち続けることができず、無手になってしまう。ヒロトはすかさず首に鉄棒を叩きこんだ。
技術のなさは身体能力で補う。恐ろしいまでの速さで動き、膂力での勝負に持ち込むという捻りのないスタイルを愚直なまでに貫き通す。魔物の革で作られた重装備のおかげで、顔面などの致命的な斬撃以外は無視できた。川で機動力が削がれることがプラスに働いているのもあり、ヒロトは八面六臂の奮闘をしていた。
唐突に敵兵を魔法が吹き飛ばした。イルファなど数名のマナビトが駆けつけていた。
彼らの協力もあり、ヒロトたちは川から脱出でき、真っ直ぐと退却する。その時点でフルー領軍の生きている兵士の大半は川から出ることに成功していた。
アルワ領軍は追撃を続けるが、待ち構えていた騎馬隊に粉砕され、撤退を余儀なくされる。
こうして戦闘は終了を告げた。
川から出たヒロトはシャミアをおぶって、脇目も振らずに本陣へと駆けていた。彼女はもうヒロトを咎めるだけの力は残っていなかった。
「カイラさん! シャミアさんが!」
「落ち着きなさい。体内のマナ濃度が低くなって気分が悪くなっているだけよ」
カイラは新しい魔道具を起動させ、シャミアの首にかけた。あとは時間が経てば回復するとのことだ。
「休ませておくとよい。シャミアは女性であるし、マナビトでもあるから、ほかの負傷兵とは離した方がよかろう」
「ご配慮ありがとうございます」
ジャムシッドの申し出に、カイラが頭を下げた。
戦争は引き分けという形に落ち着いた。
戦死者と負傷者を合わせると両軍ともに三、四割に上り、続行が困難になったからだ。オード川の資源を両領がどのように利用することになるのかは、これから詰めることになるのだろう。
幸いにもマナビトには軽傷を負った者しかいなかった。ただし大量に魔法を使ったことや魔道具の不調により、シャミア以外にも体調の優れない者が多数いた。マナの地以外でマナを大量消費した経験がなかったから起きた不測の被害だ。
そのために、日が沈み始めているがオードの森に帰還する。ジャムシッドが用意した馬車で帰る手筈となっていた。
木箱に布を敷いただけの簡易的なベッドにシャミアは横たわっていた。戦後処理の喧騒は遠くから聞こえる。これでもかなり休みやすい環境だ。
二時間ほどの休息のおかげで、シャミアの顔色はだいぶんよくなっていた。ヒロトはその傍らでずっと彼女に付き添っている。
そろそろ帰り支度はできただろうかとぼんやりしていると、天幕の外から声がかかってくる。
「儂だ。よいか」
「ジャムシッド様でしょうか?」
「うむ」
外を窺うと、ジャムシッドが護衛も引き連れずにいた。中に入れないわけにもいかず、ヒロトはジャムシッドを天幕へと入れた。
シャミアが体を起こそうとするが、ジャムシッドが手で制した。
「シャミアよ、危険な目に合わせてすまぬな。儂が至らぬばかりに」
「いえ、そのようなことはございません」
「自分に戦の才能がないことを痛感した。多くの兵を失い、得られるものもない。あまりの不甲斐なさに笑いすら込み上げる」
それきり二人の会話は途切れてしまった。
口を挟めるような空気でもなく、ヒロトは突っ立ったまま傍観していた。なぜジャムシッドがここに足を運んだのだろうか。領主であり軍のトップである彼が暇を持て余しているはずがない。マナビトたちに謝罪をしてまわっているのだろうか。それにしては不自然な会話な気がする。
気まずそうに視線をさまよわせているヒロトに、シャミアが言った。
「あなたは外に出ていなさい。いづらいでしょう?」
「えっと」
「気にしなくていいわ。それにずっとここにいても暇でしょうし、カイラさんのところにでも行って手伝えることがあれば手伝ってきなさい」
「お主は戦いが終わってから、ずっとシャミアのそばにいたのか?」
横槍を入れてきたジャムシッドにヒロトは首肯した。
「そうか。そういえば、儂はお主が単騎で突入するのを見ておったぞ。とんでもないことをしおると呆れるよりも、あまりの足の速さに我が目を疑ったがな。まさかあれほどとは思わなんだ」
「ははは、短慮を起こしてしまってお恥ずかしい限りです」
「慕われておるではないか、シャミア。ただともに住んでいるわけでもなさそうだな」
「そんなことは……」
「責めているのではない。よいことではないか。それもお主の人柄ゆえだ」
シャミアはどこか居心地悪そうに身を捩った。
対して、ジャムシッドは嬉しそうな笑みを浮かべている。
「ヒロトとはすでに会っていたが、お主ら二人が揃っているのは初めてだ。良好な間柄のようで安心した」
「ジャムシッド様」
「ならばあえてヒロトを追いだす必要はないのではないか」
どういうことなのだろうかとヒロトが内心思っていると、ジャムシッドは確認するようにヒロトを見てから言った。
「普段から魔道具の提供をしてもらい助かっているぞ。今日も指導ご苦労だった」
「……はい」
「謝礼は弾もう。このくらいしかできず心苦しいが」
「いえ、謝礼は結構です。領地の発展にお役立てください」
「もうお主には返せぬほどの恩を貰っておる。試作品と称し、タダ同然の魔道具を提供され、それはどれも領地に役立つもの。だが儂は何も返せておらぬ。……お主を追いだしてしまい、お主に会うことさえもままならぬ」
「もうおやめください。……そのお言葉だけで私は十分です」
「長居しすぎたな。シャミアよ、元気でな。何かあれば相談に来るとよい」
ジャムシッドが出ていくと、シャミアの瞳から涙が溢れた。腕を顔面に押し付け、それは声のない号泣だった。
ヒロトはそっと天幕から出る。彼女を一人にしてやるべきだと思ったし、はっきりしない彼らの関係性を知りたい気持ちもあった。
ヒロトの足音で、ジャムシッドは振り返り足を止めた。
「ヒロトか。獅子奮迅の活躍、見事であった。望むならば騎士隊への入隊を認めるぞ」
「ありがとうございます。でもそんなことを話しに来たんじゃないです」
「そうであるか。歩きながら話そう」
ヒロトはジャムシッドのゆっくりとした歩みに合わせた。
「儂と妻はなかなか子に恵まれなかった」
「え」
「だからこそ妻の妊娠が発覚し、無事に出産したときは喜びもひとしおであった。その子は女だったが、関係なかった。特に妻は石女などと面罵されていたりしたから、狂喜したと言ってもよかった。幸いにもそのあとは次々と子が産まれた」
「はい」
「子供たちは手塩にかけて育てられた。だから裏切られたときは、憎しみも大きい。裏切られたわけではないのだがな。そのような過去があったから、そのように感じてしまったのだ。儂もそうだった。ひどく愚かなことだ」
「…………」
「幼い子供とはいえ、自分でものを考えられるような歳だった。自分に向けられる感情を理解できる歳だった。その理由さえも、いかに理不尽かさえも」
陣の端に設けられたマナビトたちのための簡易的な療養所は、慌ただしく動きまわる兵士たちのような忙しなさとは無縁だった。彼らの喧騒は遠くに聞こえ、まるで隔離されているかのようだった。シャミアの天幕はその中でも最も離されている。
「妻ほどではなかったが、儂もまた絶望し、躊躇なく引き渡したのだ。儂は償わなければならぬ。それでも与えられた恩を返さなければならぬ。こんなにも愚かな儂では、一生かかっても返せぬ負債だ」
出陣の前日で執事に言われた言葉が蘇る。よき友。たしかにそういう誤った見方をしてしまってもおかしくない。内情を考えなければ、持ちつ持たれつなのだから。少なくともジャムシッドは律儀と見えなくもない。
本人がそのために奔走していたとしても、だ。
いや、ジャムシッドが幼い頃から仕えていたという執事でさえも、そのような見方を持ったのだ。きっと執事は本心だったろう。
「負債ではないでしょう。シャミアさんだって何かを貸し付けているとは思っていないはずです。シャミアさんがそれを目に見えない資産だと思っているのだとお考えですか?」
「そうでないといいがな。儂にとっても、シャミアにとっても」
「シャミアさんは貸し借りだけの関係なんて望んでいないでしょう」
「そうであろうな。しかし政治的なやりとり以外では、厚顔な真似などそうできるものはない」
ジャムシッドは自嘲した。
「シャミアもよい男と巡り合えたな。ヒロトよ、シャミアをよろしく頼むぞ」
「ジャムシッド様も、今後ともよろしくお願いします」
「はっ、生意気なやつだ」
どうしてシャミアの家はひどく質素なのか。研究者は森の中では最も収入が多いはずなのに、なぜシャミアはお金を持っていなさそうなのか。
魔道具の販売で収入を得ているのに、その魔道具を格安で提供していたならば裕福になれるはずがないだろう。
シャミアは有用なものしか作らないと言っていた。有用とは、誰にとって有用なのか。自分にとってなのか、それともオードの森にとってなのか。ヒロトを転移させてしまった魔道具は、そもそもマナを別の場所に移転させる目的があった。マナビトにとって必要なマナを、なぜ別の場所へ移転させるのか。普通は逆だ。
誰にとって有用な魔道具の研究をしていたのかは明白だ。
そんな不器用な方法でしか自分の主張ができなかったのだろう。苦しい過去を持ち、人付き合いが苦手になってしまったのならば、致し方のないことだ。しかし自分を認めてほしいという欲求が消えることはなかった。ひょっとするとシャミアは承認欲求が人一倍強い可能性もある。ただし間接的なやり方しか知らない。ヒロトにお金を渡すから好きなものを買えばいいというのも、同様なのではないか。それでいて束縛が強くなってしまうのは、失いたくない思いの裏返しなのではないか。
ヒロトは兵士たちの喧騒へと戻っていくジャムシッドのすすけた背中を見据えていた。
認めてほしいという気持ちと、後悔と贖罪と返済。すれ違う二人が交わることはないように思えて、ヒロトはひどく複雑だった。言葉での説明は何の意味もなさない。理屈や理解が必要なのではないからだ。
一方ですれ違ったままの方が双方にとって幸福なのかもしれないとも思う。ずっとわだかまっていたもやもやや違和感が氷解したからこそそう思った。
手配された馬車がやってきた。馬のいななきが帰宅を呼びかけているように聞こえた。




