17話
千人を超える人数からなる軍は長大な陣営を築いていた。千人超でこれなのだから、万を超える兵士が動員されたら一体どれほどの陣が構築されるのだろうか。手隙となり陣を眺めているヒロトには想像がつかない。
一日消費して移動と陣の設営を済ませ、各部隊の最終確認が行われている。
オード川を挟んだ向こう側でも同規模の陣が構築されており、米粒よりも小さな人々が忙しなく動きまわっている。
戦闘の規模こそ違えど、戦場は例年と同じ場所が選ばれた。両軍を挟むオード川の川幅は広いが、深さはない。雨の少ない時期でもあるから、川の水量は減っている。最も深いところで大腿までしかない。
日中は気温が高い上に、防具を身にまとっているから立っているだけでもうっすらと汗がにじむ。午後になればもう少し暑くなるだろう。ヒロトはハンカチで額の汗を拭いた。できれば顔を洗いたいが、目の前のオード川を使いたいとは思わない。
両軍がぶつかるのは川の中だろうと、輜重隊所属の騎士が言っていた。例年の小勢り合いがそうであるらしい。今回もそうならば、透明できれいなオード川は赤く着色されることになる。
自分の血で川が赤く染まることはないことに安心感を覚えるだけでなく、自分が攻撃をすることで誰かほかの人の血が川を染めることもないことにも深い安心を感じていた。魔物の命を奪えるのだから、人の命も同じように奪えるのではないかと思っていたが、大きな間違いだ。よほど切羽詰まって倫理が頭から抜けないと何もできる気がしない。
唯一の心配はシャミアが川の水で足を濡らすことだ。
後方で運用される魔道具もあれば、前方で運用される魔道具もある。だから必然的にその指導行うには、後方だけではなく前方にもいなければならない。生憎、シャミアは陣形の前の方に配置されている。後方の魔道具は別の研究者が指導を担当していた。
シャミアを護衛する兵士はいる。しかしだからといって安全なわけでは当然ない。兵士では飛来する矢は簡単に防げないだろうし、魔法ともなると薙ぎ倒されるだけ。魔道具による戦術級の攻撃ならば……。
せめて自分もそばにいようと希望したが、シャミアだけではなくほかのマナビトにまで反対されて、あえなく却下となった。生半可な覚悟しかないやつがいても、逆に邪魔だからだ。
両軍が整然と立ち並んで相対し、ヒロトには聞こえなかったが双方の領主が何やら述べ、突撃が行われた。
若干小高くなっているところに敷かれた陣から戦闘を見物しているヒロトからは、その様子がよく見えた。歩兵が川へ足を踏み入れ、彼らに向かって川岸の敵が弓を射かける。バタバタと歩兵は倒れていくが、その足は止まらない。やがて川の真ん中で両軍の歩兵がぶつかった。
言葉にならない幾重もの声がやまびこのように耳に届く。気炎、歓声、悲鳴、苦痛。感情のるつぼがそこにはあった。
時間が経つにつれ、戦場は混沌とした乱戦となっていく。突撃前の整然とした隊列は見る影もなかった。
戦争とはそういうもの、あるいは指揮官たちが本格的な戦争に慣れていない。その理由もあるかもしれないが、一番の原因は兵の大半が川の中という特殊な戦闘に慣れていないことだ。
流れが緩やかで深さがなくとも、行動が大幅に制限されるのだろう。一方で少数の兵士は川の中であっても機敏に動けている。例年の小競り合いに参加していた騎士たちだ。練度の高さも相まって、敵兵を薙ぎ倒している。ヒロトの目からしても、兵士たちの巧拙が判別できた。
両軍ともに同様の作戦を立てているようで、主軸となる川での戦闘に慣れている騎士が片っ端から敵兵を削っていっている。寄せ集めの部隊はひとたまりもない。
また両軍から魔法が飛び交っているせいで、各所で混乱が起きている。使われる魔法は火に限られ、あちらこちらで水柱が起こり、蒸発した水蒸気で戦場が白いもやで覆われている。俯瞰するヒロトでさえ戦況がわかりづらいのだ、川の兵士たちは何がどうなっているのかまったくわかっていないのではないか。
そのうち、練度の高い騎士の部隊でさえも立ち往生しているところが出始めている。
「もう滅茶苦茶だな……」
ヒロトのそばにいた輜重隊の隊員が呟いた。
戦争ではなくもはや子供の喧嘩に成り下がっている。本陣からジャムシッドが怒鳴るようにして伝令に指示を飛ばすが、もはや軍は軍として機能していない。
一度退却して体勢を整えるべきではないのか。ヒロトは歯ぎしりしながら戦場を眺める。
戦争が児戯のようになろうと、それ自体は知ったことではない。そもそも戦争そのものには関心がないのだ。たしかにフルー領の軍に所属している身であるし、ジャムシッドは嫌いではないから、負けてほしいとは思わない。しかし重要なのはあくまでもオードの森の行く末であって、フルー領の興亡ではない。戦争に勝とうが負けようが、森での生活が脅かされなければ問題ないし、ヒロト自身にとってはこの場にいることに意味がある。
よって、そのような他人と他人同士の戦いなのだから、マナビトたちに被害が及ぶべきではない。特にシャミアが害されることがあってはならない。ヒロトはシャミアの部隊を片時たりとも見失ってはいなかった。
本陣から太鼓の音が鳴り響いた。退却の合図だ。
「一度仕切り直しでしょうか」
「そうだろうな。お互いに統率が取れてない状況で戦ってもな。敵軍も退くんじゃないか?」
緩慢な動きでフルー領軍が退却を始める。ただし半数以上が乱戦に取り残され、退くに退けない状況に陥っていた。一方で真っ直ぐ退却している兵士もおり、軍が分裂してしまっている。
あまりに稚拙な光景だが、こうでもしなければ戦闘が泥沼化するのは明らかだった。手の空いた部隊が退却のフォローをしようとしているのがよく見える。結果は芳しくない。
ヒロトたちの予想に反して、アルワ領軍が一気呵成に攻勢をかけてきたのも退却を困難にしているのに拍車をかけていた。待機中の部隊まで投入し、フルー領軍をかきまわす。フルー領は劣勢に追い込まれた。
アルワ領軍から放たれた魔法と魔道具による一斉攻撃を防ぎきれなかったことにより、優劣は決定的になった。フルー領軍は混乱の極致に陥り、各部隊が右往左往している。
何よりも問題だったのが、一斉攻撃が突き刺さったあたりにシャミアがいたことだ。
ヒロトの頭が瞬間的にかっと熱くなり、意識する前に身体強化を行い超人的な脚力でもって坂を駆け下りていた。背後で輜重隊の兵士が何か言っているが、すぐに小さくなり、聞こえなくなる。
ほぼ同時に本陣から予備の部隊が川に向かっているが、速度に差がありすぎてヒロトの視界に入るはずもない。
瞬く間に川へと到着したヒロトは、跳ねるようにしてシャミアのもとへ向かう。空からは火弾が飛来し、弾け、そこここで爆風が巻き起こる。至近距離で爆発した火弾の熱風で体が焼かれるような痛みを覚えるが、彼の足はひとときも止まることを知らない。赤の混じった温い水飛沫が全身を濡らす。
記憶を頼りにシャミアがいるあたりまでやってきたが、戦場はひどいものだった。敵味方が入り乱れて、前も後ろもわからなくなってしまいそうだ。同士討ちまでも起こっていて、地獄の惨状となっている。
「シャミアさん! シャミアさん、どこですか!」
ヒロトは叫ぶが、戦場で個人の声など容易くかき消される。
しかし付近の者たちの注目を集めるには十分だった。騎士のように金属鎧をまとってはいないが、徴兵された領民や傭兵とは比べ物にならないくらい上等な格好をした若い男。注目されないはずがない。どちらかの区別がつかないからか、敵はおろか味方さえもヒロトに刃を向けていた。
一人の敵兵がヒロトに剣を振りあげる。接近した敵兵を察したヒロトは乱雑に右腕一本で愛用の鉄棒は横に薙いだ。
リーチの差から、敵兵は攻撃を中断し、盾で鉄棒を受け止めようとする。だが、受け止められない。鉄製の盾はひしゃげ、盾を持つ左腕は完膚なきまでに破壊され、敵兵の体が水面を数度跳ねた。
戦場に小さな空白が生まれた。
味方は自分は関係ないとばかりにそっと刃を敵に向けた。敵兵にはヒロトへ挑むような蛮勇をふるえる者はいなかった。
襲いかかられるおそれがなくなったヒロトは、引き続きシャミアを探す。いちいち敵兵を叩き潰すような時間の無駄をするつもりはない。しかしどうしてもそうせざるをえない状況だった。
行く手を塞ぐ敵兵は加減をして進路を明けさせた。グロテスクな光景を次々に生みだせるほど、ヒロトの理性は飛んでない。
「シャミアさん!」
立ち往生している騎士の一隊を発見した。隊に守られるようにして、シャミアがいる。敵の襲撃を受けているわけでもないのになぜ撤退しないのかと苛立つが、彼らの中心にいるシャミアの様子がおかしいことに気付いた。
「シャミアさん、どうしたんですか」
「貴様、止まれ!」
騎士がヒロトに剣を向けた。
「彼を通してあげて、味方よ」
シャミアがか細く言うと、騎士は一言謝罪し素早く剣を戻す。
ヒロトは彼女のもとに駆けよった。
「どうしたんですか? 気分が悪くなったんですか?」
「大量の魔法が撃ち乱れているせいで、大気中のマナが乱れてるのよ」
「マナが……?」
「物質や現象に変換されたあとも、マナはその物質や現象に含まれているの。だから大量の魔法を撃つと、その分マナが乱れてしまう。だから正常に動かなくなる魔道具が多数出ているわ。この魔道具も。私はマナの保有量が多いから、マナの変化で体調を崩しやすいのもあってこの体たらくよ」
シャミアが首にかけている魔道具を握った。マナビトがマナの地の外に出るために必要不可欠な魔道具だ。
予備の魔道具も同様に不調となっている。
「こんなことはこの前の狩猟で予想ができたはずなのに……。通信機のラグや誤作動が魔法を理由とであることが――」
「そんなことはいまはどうでもいいでしょう! 早く撤退しないと。俺が背負いますから」
「私にはやらないといけないことがある。指導をしないといけないのだから」
強情なところがあるのは知っているが、なぜこうも固執するのか。いくら魔道具のこととはいえ、いささか度が過ぎている。
シャミアを守る騎士たちも困惑を通り過ぎ、不愉快さが垣間見える。退却命令が出ているのに護衛対象が動こうとしないのだ。自分自身の危険もあるし、任務を遂行できなければ彼らのキャリアがここで終わる可能性もある。
強引に担いでやろうかと思ったが、そのようなことをすればふらふらのくせしてヒロトに魔法を撃ってきそうな気迫がある。
こうなれば殴って昏倒させてでもと懊悩していると、本陣からの援軍が到着した。援軍は付近に展開し、猛威を振るう。
「援軍だ!」
シャミアを護衛する騎士が喜びの声を上げる。




