15話
草を食んでいた鹿の魔物が不意に頭を上げた。その動作を目にした途端、そろそろと背後から接近していたヒロトは大きく一歩を踏み出す。瞬く間にトップスピードまで加速した。
ほぼ同時に逃げだした鹿の魔物と走る速度は等しい。長い追跡劇が開始されるかと思いきや、鹿に巨大な水玉が衝突することで終わりを告げた。水玉の衝撃に堪えきれなかった鹿は弾き飛ばされるように地面を転がった。その間に近づいたヒロトは鉄棒で鹿の頭頂を殴る。
「やりましたよ」
ヒロトが手を振ると、水玉を撃った無口の狩人が出てきた。彼は大振りのナイフで止めを刺す。
無口の狩人イルファと狩りをしていた。彼の住んでいる家がシャミアの家と比較的近いため、たまに狩猟に同行させてもらっている。
「これで終わり」
「そうですね、そろそろいい時間です。今日はありがとうございました」
狩りの成果は悪くない。分け前は頭割りになるが、それでは能力のないヒロトに有利になるため、イルファが管理しているマナノキを一部請け負うことにしていた。
狩った魔物はそのまま持って帰っても仕方がないため、集落に持っていき革職人などに渡される。その際に金銭を渡されるが、森の中では少ない貨幣取引の一つになる。
二人で仕留めた魔物数体を担いで集落に向かっていると、イルファが止まるように指示した。担いでいた魔物の死体を地面に下ろす。
「どうしたんですか?」
問いには答えず、イルファはヒロトにも魔物を下ろすように手で示す。そして彼は小走りでどこかへ行こうとする。ヒロトも追いかけた。
ヒロトが視認できたときには、あちらもこちらを認識していた。
「ちっ、クソ」
見知らぬ男がいた。舌を鳴らしたその男の耳は長くない。
誰だろうかとヒロトは呑気にも誰何しようとしたが、その前に男はこちらに背を向けて駆けだした。そこで思い至る。あれは密猟者だ。
「追いかけなくていいんですか? 密猟しに来た人では」
「いい。マナノキなかった」
まだ何も取っていなかったから、見逃したというのか。森の外側に逃げたから、無理に追うことはないというのだろうか。
「密猟ではなく、森に侵入すること自体が重罪だったはずですが」
「捕まえたら、殺す」
「……あ、すみません」
ヒロトからするとずいぶんゆっくりと密猟者は逃げていく。痩せぎすで体力がないのと、森に慣れていないからだろう。よくもあんな体たらくで密猟に挑もうとしたものだ。
密猟者の背中が見えなくなってから、二人は置いた魔物の死体を取りに戻る。
「密猟者、多くなった」
「そうなんですか」
「一人二人いなくなっても、変わらない」
「それだけマナの地での活動用の魔道具が出回っているってことですか」
先ほどの密猟者も闇市のようなところで手に入れたのだろうか。しかし貧困に喘いでいそうな密猟者が買えるのだろうか。ひょっとすると盗んだのか。それとも提供者でもいるのか。
魔道具の入手方法は不明だが、現実として密猟者は増えている。シャミアが懸念している将来も妄想と一笑に付すことはできない。
「密猟者、弱い」
「訓練された人ではなさそうだから当然といえば当然ですね。鍛錬を積んだ兵士だと強いんでしょうが。イルファさんは戦争に行くんでしょう? 大丈夫ですか」
「問題ない。魔物に比べれば弱い」
「そりゃあ、一人と一体を比べれば大きな差がありますけど。でも人の怖さは個別の強さとは違ったところにありますから。あ、俺も戦争に行くことになったんですけど」
「なに?」
無表情のイルファがぴくりと眉を動かした。
「っていっても、物資を運ぶだけですけどね。力だけは無駄にあるんで」
「ならいい」
「いろいろ思うところがあって、参加することにしたんですよ。いつまでもさっきみたいに密猟者を見つけても、逃がしてしまうようなことはするべきではありませんし。遠くない未来にやってくるのは密猟者ではなく、もっと多くの人かもしれません」
「そうかもしれない」
「あとはお金も貰えますし」
ヒロトは中途半端にお茶を濁した。
自分が話しているのは戦闘のプロではないか。偉そうに長広舌をふるうのは馬鹿らしい。将来のことだって彼の方がよほど考えているだろう。
「ガグラスの角は」
「思った以上の高値で売れました。あれが調薬されて売りだされたら、一体いくらになるんでしょうね……」
「何か買ったか」
「シャミアさんの家は殺風景なので、雑貨や小物をいくつか。狩猟で貰ったお金も合わせて、まだけっこう残ってます」
領主や商人たちが来た翌日に、カイラがまとめて引き取った品々が集落で広げられた。東部に住むマナビトが一挙に集合し、なかなかに壮観な光景だった。
「シャミアになんでも買わせたらよかった。賠償金代わり」
「いやあ、別に俺は居候させてもらうだけで十分ですから。日用品は安いものを選んでませんし、それに高い食料品や香辛料をシャミアさんが買いましたし。香辛料は目玉が飛び出るくらい高かったですよ」
近隣諸国では生産できないので、輸送費のせいで値段が跳ね上がっているのだと聞いた。香辛料の値段を知り、こんなふざけた値段だとおいそれと使えないじゃないかと味のバリエーションのない料理を出したら、シャミアにくどくど文句を言われたのはいい思い出だ。
ただしそれ以来、健康のためとか何とかと屁理屈を並べて、使用量を減らしている。減らしても、素材のいいもので調理をしているため十分うまい。
「言ってることがよくわからない」
「え、そのままの意味ですが」
「森では、みんな豊か。粗末なものを食べる必要ない」
「たしかに」
「香辛料を使うのも当たり前。だからいっぱいあった」
言われてみれば、貴重なはずの香辛料は種類も量もたくさんあった。具体的には、全家庭に行き渡るくらいに。値段の高さばかりに着目していたが、高価な商品をそれほどまでにたくさん持ってくるだろうか。価値の割にかさ張らないとはいえ、売れ残っては無駄になる。
食料についても、どれもこれも値の張るものだった。
「そもそも魔道具の研究者は、森では最も富んでいる。収入多い」
「そう、なんですか」
「食料品や香辛料では、使いきれない。だから研究者は宝石や服買う。研究者だけではない、ほかのマナビトも。寂しさやストレスを紛らわせるためでもある」
「…………」
「ヒロト、騙されてるのでは」
イルファが険しい顔をヒロトに向けた。
しばらく沈黙したあと、絞りだすように言った。
「シャミアさんは、騙してるわけじゃないと思います」
お金がない、とシャミアが言うのは嘘ではないと直感していた。
シャミアが研究以外に一切関心がないのではないことは知っている。ヒロトの贈ったネックレスは喜ばれたし、先日買った小物や雑貨も大切にしてくれている。彼女は宝石について博識でもあった。
しかしシャミアは貴金属も衣服もほとんど持っていない。家の中は殺風景だ。まさか全て隠しているのはないだろう。ヒロトが転移した直後にそのような暇はなかった。
となると、シャミアは稼いだ金を物品には変えずに、貯め込んでいるのか。しかしそうまでするほど彼女は将来を悲観してはいない。収入が短期間で大幅に上下するような不安定な職でもない。
ひょっとするとお金を貯めなければならないほど高いものを欲しがっているのか。豊かな森でも屈指の高収入でも簡単に手に入らないものとなると、想像がつかない。ありえなくはない発想ではあるが……。
単純にヒロトにお金を消費したくないとも考えられるが、それならばお金をあげるから好きなものを買ってこいなんて言わないのではないか。
ヒロトは先日の狩猟で犠牲になった魔物の皮でマナビトが作った防具を着込んでいるが、これも安くはなかった。製作者のマナビトの職人曰く一級品らしい。ヒロトはそこまで上等なものでなくともよかったのだが、シャミアが譲らなかったのだ。
「そんな人でもないでしょう」
騙されていない根拠はないが、明確に騙されているとも断じられない。
イルファもそれ以上何も言わなかった。ヒロトを心配する反面、同士であるシャミアを疑いたくないのだろう。
イルファと別れ、家に帰ったヒロトは夕飯の準備に取りかかる。香辛料、肉、野菜。グリニーには食料品を売る露天商がいくつもあったが、輸送費を考慮に入れても明らかに高い。そしてその高い食べ物が、森に持ってこられた食料品の標準であった。
「帰ってたのね」
研究室からシャミアが出てくる。料理の匂いが漂ってきたのだろう。
「お腹空いたわ」
「早く作りますね」
調理をしながら、シャミアの様子をこっそりと窺う。魔道具の指導役として戦争に赴くことになった彼女はそのためにしなければならない仕事がいくつもあるようで、いつもより早く起きて研究室に閉じこもったり、ほかの研究者への訪問をしたりと忙しなくしている。そのせいで少し眠そうだ。
戦争に参加することで貰える報酬は、きっとヒロトの何倍もシャミアの方が多いだろう。
一体いくらくらい貰えるんですか。そういえば先日に領主や商人に売却した魔道具はいくらになったんですか。そのお金はどうするんですか。
訊くことができようはずがない。
日本人として、お金に関する質問をするのは失礼にあたるという感覚がある。加えて、そのようなことを訊くのは、シャミアに対する裏切りのように思えた。
ヒロトは出来上がった料理を盛り付ける。香辛料がふんだんに使われた料理だ。




