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10話

 向かうのは商業区になる。カイラは逍遥するだけで楽しめると言っていたが、グリニーは国境に面した領地の町だから、観光に力を入れるような余裕なんてないんじゃないかと思う。マナノキなどで潤っているようだが、はたしてどうか。軍事施設を見てまわることなんてできないから、お店を冷やかしてまわるくらいしかないだろう。

 マナの地が近くにあるだけあって、その産物を取り扱うお店がちらほら目につく。ただし、ためしに一軒入ってみると、半ば門前払いのような対応をされた。高価な商品を扱っているのだから、上等な衣服でもまとっていなければ客とはみなされないのだろう。日本では商品が並べられて値札もついているが、こちらでは商品は目につくところに置いておかれてはなかった。たぶん客が望む品物を店員が持ってくるというシステムなのだろう。これではろくに買い物を楽しむなんてできないではないか。せいぜい露店の野菜や果物やよくわからない小物くらいしか見るものがない。とある露天商で何かの鉱物で作られた指輪があったのでどんなものかと訊いてみると、マナノキで作られたもんだと平然と嘘をつかれた。一カ月程度だが、マナノキをよく観察しているヒロトがそんな嘘に騙されるはずもなかった。

 もう領主館に帰ろうかとうんざりしていると、まわりを見ていなかったせいか人にぶつかった。


「あ、すみま」

「おいてめえ、どこ見てやがる」


 謝罪を言いきる前に、ぶつかった相手から啖呵を切られた。

 ヒロトよりも身長が高く、顔は怖いし、刃物も携帯している。しかも相手は三人組だ。喧嘩とは無縁の人生を送ってきたヒロトがビビらないはずがない。


「いや、ほんとすみません」

「あ? 悪いと思ってんなら誠意を見せろよ、誠意を」


 誰か助けてくれよと泣きそうな顔でまわりを目だけで見るが、我関せずと明らかに通りかかる人たちはヒロトたちを避けている。

 絶望的な状況だった。


「あっちで話しようぜ。誠意を見せられないってんなら可愛がってやるからよ。……ん。なんだよ、てめえいいもん持ってんじゃねえか」


 強面の男がヒロトの胸元に視線を移した。ぶつかった拍子に服からネックレスが飛びでていた。はっとしてヒロトは服の中に戻す。


「そう隠さなくていいじゃねえか。よく見せてみろよ」


 嗜虐的な笑みを浮かべ一人がヒロトの首元に手を伸ばす。

 シャミアから貰ったものをそう簡単に奪われるものか、恐ろしく希少価値の高いマナノキの芽を取り上げられたらシャミアだけではなくカイラやジャムシッドにも何を言われるか堪ったものじゃない、などと様々な思いが駆け巡り、伸びてきた男の手を思い切り払いのけた。

 やっちまった、とヒロトの顔がさらに青くなる。


「ぶつかってきた挙句、殴ってくるとはなあ」

「いや、殴っては……」

「ふざけてんじゃねえぞ!」


 ヒロトは胸ぐらをつかみあげられた。

 息が苦しくなり、胸ぐらをつかむ手をどかそうと試みる。すると、案外すんなり男は手を離してくれた。


「てめ、手を離しやがれ!?」

「手?」


 男の手首をつかんだままだが、何をそんなに身を捻じって痛がっているのだろう。ヒロトは疑問に思いつつも、手を離したらさらに怖い目に遭いそうな気がしたので、もう少し強く彼の手首を握ってみた。男は一層痛がり、ヒロトを殴ったり蹴ったりするが、いまいち痛痒を感じない。

 そういえば、ハイアの群れに遭遇して危機に瀕したときと同じように、体に力が漲っている。


「いい加減しろ! さっさと手を離しやがれ」

「ぶっ殺すぞ!」


 仲間の二人がいよいよ剣を抜いた。

 こちらは丸腰なのだ。勝ち目なんてなさそうなのに、喧嘩なんかできっこない。ヒロトは手首をつかんでいた男を突き飛ばした。突き飛ばされた男は剣を抜いた仲間の一人を巻き込み、十メートルほど転がっていく。


「貴様ら、何をしている!」


 振り返ると、数人の衛兵が走ってきていた。誰かが通報したのだろうか。

 ヒロトは手を振って助けを求めた。


「市民から通報があった。何をしている」

「いや、俺は恐喝されてて」


 とは言ったものの、強面の男たちはすでに消えていた。


「えっと……」

「詰め所に同行してもらおうか。そちらで話を聞こう」


 自分が被害者だと訴えるも衛兵たちは耳を貸さず、強制的に詰め所に連行される。

 ヒロトが解放されたのは、当たりが暗くなり始めた頃にカイラが迎えに来てからだった。




「それは災難でございました」


 ザファに昨日の強面の男たちに絡まれた一件をかいつまんで話すと、彼は同情の目を向けてきた。


「ヒロト様のような被害に遭われる方もいなくはないそうです。今後、傭兵が増えればもっと治安が悪くなる可能性があります」

「やはりそうですよね」

「戦争が終わるまでの辛抱でしょうが、まずいつ始まるかがわかりませんから。そもそも始まるのかどうかというところですが」


 戦争があることは確実だろうと思ったが、話していいのか判断がつかなかったため適当に相槌を打って流した。

 昨日は傭兵だかチンピラだかに絡まれたせいで来られなかったが、ザファの商会に足を運んでいた。露天商以外でヒロトが入ろうと思える商会はここしかない。カイラのような対応は望めなくとも、無下にはされまい。実際には、会頭が応対してくれ、ヒロトとしては恐縮するばかりだ。

 カイラとは別行動をしている。買い出しなどをしなくてはならないようで、午前中は自由にしていていいと言われた。森へ帰るのは昼食後になる。


「さて、昨日売っていただいた毛皮のお金で購入できるとなるとこれらのネックレスになるのですが、予算としてはぎりぎりになってしまいますがよろしいのですか? ほとんど残らなくなってしまいますが」


 ザファが懐具合を心配してくる。ヒロトの経済状況をほぼ正確に推定しているのだろう。ヒロトは売却金以外にお金を持っていない。


「構いませんよ。どうせお金を持っていても仕方ないですし。大体、売却金全額でも、ザファさんの商会だと、ギリギリ商品を買えるかどうかといったラインでしょう?」


 ザファはそのようなことはないと返すが、あまり廉価な品物は扱っていないだろう。ひょっとすると、大幅なサービスをしてくれているかもしれない。


「うーん、俺は貴金属には詳しくないんですよね」


 どの商品も甲乙つけがたい。二十代の女性へのプレゼントに適したものと要望を伝えてるから外れはないと思うが、プレゼントをして喜ばれるかあるいが似合うのかというのまた別の話だ。

 生憎ヒロトは自分の目に自信が持てない。


「マナノキには無色透明のものはありませんから、こちらの品などどうでしょうか」


 どこまで察しているのかわからないが、ザファが的確なアドバイスをしてくる。ともするとヒロトがオードの森に居住していることさえも察していそうだ。

 ザファが勧めてきたのは、半透明の球状の鉱石がいくつか連なったネックレスだ。デザインも奇抜ではなく、シンプルで無難な感じがする。

 それに決めたヒロトはハイアの毛皮を売って得たお金のほぼ全てに相当する金額を支払った。


 その後、カイラと合流し、昼食を摂ってオードの森に帰る。行きよりも荷物はだいぶん増えていたが、苦と感じるほどでもない。カイラは感心していた。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい」


 足音で帰宅に気付いたのか、家からシャミアが出てくる。彼女の態度は軟化しているような気がした。


「シャミア、彼ったらやっぱりすごい力持ちね。これから買い出しに行くときは彼も連れていくことにしようかしら。こんなに荷物を持ってるのに全然大変そうじゃないし。きっと森一番の力持ちよ」

「ヒロトの身体能力が高いこと……正確にはこの世界に来てから身体能力が大幅に上がったことですが、仮説にすぎないとはいえ考えられることがあります」

「へえ、どんな考えですか」


 ヒロトが訊くと、シャミアは大きく息を吸って答えた。


「あなたはマナのない世界から来たのでしょう? ならマナのおかげで身体能力が向上していると考えるのが妥当だわ。魔法を使うには一定量以上のマナと器官が必要だけど、身体能力を向上させるだけならそうではないから」

「そうなんですか」

「そのように仮説するとしたら、この世界の人々に作用するようにヒロトにも同様に作用していると考えられる。ただしマナが薬になることはあっても、毒になることはないということ。マナビトも含めて人間あるいは動物は受け入れられるマナの許容量に限度があるわ。だからマナビトじゃない人はマナの地では生きられないし、マナビトであっても限度はあるわ。マナビトは下限もあるけど、ヒロトはないのかもね」

「じゃあマナノキの群生地にある泉に長時間浸かっても大丈夫ってことですか」

「それはやってみないとわからないわ。だから今度やってみましょう」


 シャミアがさも当然のように言ってきて、ヒロトは自分の失言を悔いた。


「生き物は呼吸からマナを吸収するわ。だけど肺に取り込んだマナを全て取り込むわけじゃないの。そうしてしまうと体内のマナ濃度が高くなりすぎてしまうからよ。せいぜい数パーセントといったところ。使ったマナを呼吸で回復するときは、少しずつという形になるわね。

 逆にマナを使うときも、生命維持のために全部使うわけにはいかないわ。しかもマナの大半は魔臓と呼ばれる内臓に貯蔵されていて、貯蔵されている分は生命維持のために使われるからそれ以外にはほとんど消費されない」


 酸素も肺にとり込んだものが全て体内に取り込まれるわけではない。マナもそれと同じということだ。


「ヒロトはマナがなくても生きられるから、マナ消費にリミッターをかける必要がない。したがっていくらでも消費できるというわけね。身体能力が向上しているのは無意識にマナを消費しているからだと思う」

「ハイアの群れに襲われたときに力が漲っていたのはつまり……」

「それも無意識でしょうけど、マナをたくさん消費した結果だと思うわ。危機的状況を回避するために本能的にマナを多量に消費して身体の強化を行ったのよ」


 ヒロトの体内のマナは血管を流れる分だけになるため、この世界の人々に比べてマナの保有量は少ない。しかし血管を流れる分だけであれば、ほかの人よりもかなり多いのだとシャミアは述べた。

 また普段の身体能力のことやハイアの群れに襲われたときのことを考えると、供給と消費が釣り合っていないのだとシャミアは言った。つまり明らかにマナの供給量が足りていないのだと。よってヒロトはほかの人よりも呼吸からマナを吸収する量が圧倒的に多いのだと推測できる。


「ということは、詳しい理屈は置いておくとして、ヒロトくんは訓練次第で滅茶苦茶強くなれるってことかしら」

「まあ、大雑把に言えば」


 カイラの質問に、シャミアは無愛想に答えた。


「なら、今度森のみんなで魔物を狩るから――」

「でもヒロトは膂力に優れているだけで、武器の扱いはど素人です」


 カイラは肩をすくめた。


「そうね。でも何かの役に立つでしょうから、シャミアに教えを請うてマナの使い方を覚えるのよ、ヒロトくん」

「やるだけやってみますけど、あんまり期待はしないでくださいね」


 ヒロトの覇気のない言葉に苦笑し、カイラは集落の方へ帰っていった。ヒロトも彼女へついていき、荷物だけを倉庫に置いたらとんぼ返りする。

 家に入ると、なぜかシャミアが神妙な顔つきで椅子に座っていた。

 日の高い間は研究室に籠っているのにどうしたんだろうと訝しむも、都合がいいとヒロトは彼女の対面に座った。


「シャミアさん、これを」


 ヒロトが取りだしたのは、ゾファの商会で買ったネックレスだ。


「えっと」

「シャミアさんに貰ったマナノキの芽には足元も及ばないですけど、これまでそしてこれからもお世話になるからそのお礼です」


 シャミアは少しの間困惑した面持ちで手渡されたネックレスを眺めていた。手慰みにするようにネックレスを転がしている。


「まあ、たいしたものじゃないんですけどね」

「そうじゃないの。ものを贈られるってことがなかったから、その……」


 シャミアは言葉を切ったが、意を決したように顔を上げた。


「どうもありがとう。世話になったからだなんて、気にする必要なんてないのに。お金はどうしたの?」

「ハイアの毛皮を売った分で」

「そう。私のために使わないで、自分の好きなものを何でも買えばいいのに」


 シャミアは静かに笑みを見せた。


「ハイアの群れのこと、ごめんなさい。ヒロトが自分から挑んでいったわけではなく、不可抗力だったのに言いすぎてしまったわ」

「いや、いいんです。もっと方法があったかもしれないですし」

「いいえ、一度目をつけられたなら誰であっても何も起こらないなんてことはありえないわ。……それはわかっていたんだけど、あなたに何も言わずにはいられなかった。本当に私が悪かったわ」


 シャミアは頭を下げた。


「でもあの一件で魔物の恐ろしさが身に染みて理解できたと思う。これからは一層気を付けることにするのよ。それじゃ、私は研究室に戻るから。これ、ありがとう」


 シャミアは照れた様子で逃げるように研究室へと向かっていった。

 プレゼントをしたおかげではないだろうが、何とか関係を修復できた。ヒロトは肩をなで下ろしたのだった。


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