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1話

 日が落ちるのが早くなったなとふと思いつつ、藤代弘人は軽快に坂を下っていく自転車の速度を落とした。部活が終わる時間にもなると、体を抜けていく風に肌寒さを感じる。

 家に近づくにつれて、どこかに寄り道しようかという考えがよぎる。いつものことだ。しかし結局考えるだけに留めるのみだった。懐に余裕があるわけでもなく、時間を潰せるような場所も近辺にはない。加えて、自分のことを明らかに煙たがっている祖父母がいい顔をしない。


 数年前に事故で両親を亡くし、一時期親戚の間をたらいまわしにされ、最終的に父方の祖父母のもとに落ち着いた。祖父母は実の息子の父と疎遠だったため、孫の弘人にも無関心だった。そのせいで弘人は両親が生きている間は祖父母に会ったことすらなく、彼らは他人のようなもの。祖父母に関しても孫だからと無条件に愛情を注ぐような人間でもなかった。

 幸いにも両親が遺した財産を着服するような悪人ではなく、遺産で大学には進学できるだろう。世間体がどうとかと高校生の間は一人暮らしを許されていないが、進学後までも禁じられていない。

 けれども弘人としては精神的な圧迫を感じる祖父母の家なんて明日にでも出ていきたかった。活動日の多い運動部に所属しているが、別にスポーツが好きだからではなく、在宅時間を減らすための苦肉の策でしかなかった。


 家に近づくにつれ憂鬱になっていく弘人は、体に違和感を覚えた。

 自転車を止めるとその違和感は強くなったような気がする。体全体が引っ張られているような感覚があった。まるで巨大な掃除機に吸い込まれそうになっているようだ。

 いよいよ引っ張られる力が強くなってくると、弘人は狂乱しそうになり、思わず声を上げそうになる。

 だが、そのときにはもうそこには誰の姿もなかった。自転車が倒れており、彼の身に付けていた制服が地面に無造作に落ちているだけだった。


     *


「あ、あれ」


 ヒロトは唐突に変わった景色に戸惑いの声を上げた。引っ張られるような違和感は消え去っていたが、そんなことは混乱で考える余裕もなかった。

 いつの間にか木造の家屋におり、周囲には何かが記された紙のようなものが散らばり、ビーカーや試験管のような実験道具が雑然と置かれている。


 実験室然とした一室の主と思われる女性が、尻餅をつくヒロトの前に立っていた。

 年齢は高校二年生のヒロトよりも上だろう。二十前半から半ばくらいか。身だしなみを気にしない性質なのか、明るい茶の長髪は手入れを怠っていてボサボサだ。着ている衣服も首元が伸びていて、色褪せている。

 しかしながら彼女の相貌はヒロトから言葉を奪うほどの美しさだった。白磁のような肌と青い瞳は彼を魅了するに十分だった。切れ長の目は冷たい印象を与えるが、むしろそれが彼女を魅力を引き上げるのを買っているように思える。

 静かに息を飲むヒロトは、彼女の耳が異様に長くそして尖っていることにぎょっとし、しかしそのおかげで多少冷静さを取り戻すことができた。


「す、すみませんが、ここはどこでしょう……?」


 どもりながら訊いてみると、彼女ははっと我に返ったようだった。どうやら彼女もヒロトのように動揺していたのかもしれない。

 彼女は質問には答えず、ヒロトに背を向けると、どたどたを足を鳴らしながら素早く彼の視界から姿を消した。


「え」


 逃げられるような真似をされ、自分の非を探すが見つかるはずもない。呆然としていると、再びどたどたと足音がして、彼女が入室してきた。

 手には大きなタオルがある。


「これ! とりあえずこれで隠して!」


 なぜか顔を真っ赤にして明後日の方向を向く彼女からタオルを受けとり、ヒロトはようやくそこで自分が全裸だということに気付いた。


「ひゅっ」


意味不明な音を喉から鳴らし、ヒロトは慌ててタオルを体に巻きつけるのだった。




「先ほどは、その、すいませんでした」


 女性から衣服を受けとり、それを着用したヒロトは開口一番に謝罪を述べた。

 ヒロトにその意思はなかったとはいえ、彼は露出狂の不法侵入者だ。いかに未成年といえども、社会的な制裁は免れないのではないか。

 だが女性の方は特段ヒロトを責めるつもりはなさそうだった。


「それはいいのよ。というか、そもそもの原因は私にあるのだし」

「原因がそちらに?」


 二人は研究室から場所を変え、椅子に座りテーブルを挟んで話している。先ほどの実験室はそこそこの広さがあったが、生活空間と思われるこの一室は狭かった。家具や調度品は最低限しかなく、ひどく質素な暮らしぶりが窺える。そのくせ、睡眠を重要視しているのか端にあるベッドは高級感が漂っており、無駄に目立っている。

 この部屋と研究室以外には部屋はないみたいだ。


 ヒロトは差しだされた冷たい水を飲みながら不思議そうな顔をする。


「さっきの部屋からわかるだろうけど、実験をしていたのよ。私はさしずめ研究者といったところね」

「つまり人を召喚する実験をしていたということですか」

「そうじゃないわ。実験に失敗して、あなたが召喚されてしまったということ」


 彼女は非常に困った顔をしつつ、頭を下げた。


「本当に申し訳ないわ。できればあなたをもといたところへ帰してあげたいのだけれど……、たぶんあなたはこの世界の人間ではないわね。ちなみにあなたの出身国は?」

「日本ですけど……」

「日本なんて国は存在しない。そうね、例えばこちらではタヴェールという国が最も有名だけど、知ってるかしら」

「知りません」


 ヒロトをかぶりを振ると、彼女は悄然と息を吐いた。


「この世界でタヴェールを知らない人はいないから……残念ながら間違ってはいないようね。できうる限りの償いはさせてもらうつもりだけど」

「はあ」

「はあ、ってあなたね、つまり私は手の施しようがないって言ってるのよ。家族とももう一生会うことはできないし。私がこんなことを言う権利はないけれど、混乱してたり現実味がないかもしれなくても、もう少ししっかりしなさい」

「いや、冷静なつもりです。両親はもう他界してますから家族と呼べる人はいないですし、そこまで大事な友達もいないですし」

「そ、そう。悪いことを聞いたわね」


 彼女は鼻白んで目を逸らした。

 実際のところ、日本に戻れないことを残念と感じる気持ちは希薄だった。大切な人もいなければ、手放したくない資産もないし、重要な立場にいる人間でもない。固執するものがないから、怒りも悲しみもいまいち湧かなかった。

 むしろ祖父母から離れることができて幸運とさえ思っていなくもない。

 どうやら生活の保障はしてくれるようだから、野垂れ死ぬことはあるまい。ならばこれといって目下憂慮することはなかった。


「俺のことはとりあえず気にしなくてもいいですよ。おいおい召喚されたことを苦痛に感じることもあるかもしれないですけど、いまのところは実はあんまり悪い感情は湧いてこないんです」

「そう言ってくれると、こちらも心が楽になるけれど」

「ところで、どのような実験をしていたんですか? どんな理由で召喚されてしまったのか、一応詳しく知りたいんですけど」

「そうね、その説明はしなくちゃいけないわね。その前に、私はシャミアよ。あなたの名前を教えてくれる?」

「藤代弘人って言います。あ、藤代が苗字なんですけど」


 シャミアというのが苗字か名前か判別できなかったが、ヒロトは暗にフルネームを尋ねた。


「……私に苗字はないわ。この世界では一定以上の身分の者しか苗字を持たないの」


 妙な間があったが、ヒロトは追及せずに自分が高貴な身分でないことを主張する。


「俺の国では全国民に苗字があります」

「そうなの。じゃあヒロト、あなたの世界には一定の現象を具現化する物質は存在する? こちらではマナと呼んでるんだけれど」

「具現化? ちょっと言葉が難しくてよくわからないんですが」

「やってみせた方が早いわね」


 シャミアは手のひらを上にして、手をヒロトの方へと差しだした。

 何の前触れもなく、手のひらからふわりと炎が上がる。

 それは一瞬の出来事だったが、ヒロトは驚愕して彼女の手を凝視した。


「何ですかいまの!?」

「魔法よ。体内のマナに意思によって性質や指向性を持たせて、現象を顕現させたのよ。いまのは火を生み出したから熱くてすぐに消したけれど。ほかに水や風や土を魔法で作りだすことができる」

「なるほど……」


 天井には照明らしきものがあり、シャミアの背後のキッチンは見慣れた形だったため、無意識に現代日本と大差のない国だと思い込んでいたが、ファンタジーな世界だと発覚した。ただし、漫画やアニメに慣れ親しんでいるせいか、その事実を受け入れるのはヒロトには難儀なことではなかった。

 日本に対する執着がより薄れていくのを感じていた。魔法なんてものを見せられれば、高揚してしまうのも無理からぬ話だった。


「その魔法って俺も使えるんですかね」


 食い気味に訊いてきたヒロトに若干引きつつ、シャミアは絶望的な返答をする。


「む、無理じゃないかしら」

「無理、なんですか?」

「マナを扱うには、体にそのための器官が必要なのよ。マナのない世界にいたあなたには、おそらくその器官がない」

「ないと決まったわけじゃ」

「いえ、解剖しなくてもわかるのよ。個人差があるけど、この世界の人間は気温や湿度のようにマナの濃度を感じることができるから。人によっては、人体に内包されたマナさえも見て取れる」


 そうですか、と乾いた声で相槌を打つヒロトに、シャミアはフォローのためか誰でも彼でも魔法を使えるわけではないと語った。マナの保有量は人により大きく異なるからだ。魔法を使えるほどマナを持つ人は少ない。

 シャミアは咳ばらいをした。


「話がだいぶん脱線したわね。実験の話だけれど」

「あ、はい」

「私が行っていたのは、マナを移転させる実験よ。マナというのは空気中を漂っていて、どこにでも存在する。空気中のマナをどこかまったく異なる空間に転送するつもりだった。異なる空間というのは、この世界の外ということね」

「でも反対にこの世界の外にあるものを引き寄せてしまったと」

「それは違うわ。マナの移転自体は成功したの。けれども、何かを世界から消してしまうと、その代わりとなるもので埋め合わせをしようとする力が働く。計算では少量のマナを動かしたくらいだと大きな影響はないはずだった。でも実際にはマナはとても影響力があるもので、その埋め合わせも同等の影響力のあるものでなければならなかった、ということね。予想以上にマナを移転させてしまったのも誤算だった」

「その結果、埋め合わせが俺――異世界人になったということですか」

「たぶん、あなたのいた世界にマナは移転されて、その近くにいたヒロトが交換としてこちらに移転されてしまったと思われるわ。ざっと簡単に説明したけど、これで理解はできたかしら」

「まあ、一応は」


 話がひと段落したところでシャミアは立ち上がった。ヒロトにもそうするように促す。

 二人は屋外に出た。


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