フタリノゲンジツ
午前零時を過ぎた頃。
窓から指す月明かりが、闇に沈んだ空間にわずかな色を映し出す。
あたりに響くのは切なげな女性の吐息と、軋むベッドの音だけ。
12月も半ばだというのに室内はほのかに暖かく、俺たちの肌には大きな水の玉がいくつも浮かんでいた。
……確かにエアコンは効いている。
だが、この身を包む熱気はそのためだけにとどまらない。
室温のみならず、発汗の原因は他にあった。
「っ……はぁ。まだ……かかりそう……?」
鼓膜を揺さぶる辛そうな“彼女”の声。
本当は何よりも愛おしく、耳当たりがいいはずのその響きが、しかし今この時ばかりはまるで鋭いナイフのように俺の心を激しくせき立て、同時に暗く苛んでいる。
もはや気持ちいいなどというような感覚は消え去り、頭を支配しているのは焦燥感と義務感のみ。
だが、おおよそ恋人間の秘め事には似つかわしくないそうした感情も、今の俺にとってはしがみつくべき唯一の藁になっていた。
「……悪い。今、頑張ってるから。お前も――」
惨めさと申し訳なさに震えながら発した言葉。
だが、それを言い切るより早く、
「違う……んだって。あたしが……もう……、限界ってこと……っ」
「限界……?」
「なんか痛くなってきた……。もう、これ以上はムリ……だよ」
彼女は少し苛立たしげにそう告げる。
それが“時間切れ”の合図であることは、経験則から明らかだった。
――悔しい。
思わずこぼれそうになった言葉を賢明に抑え、俺は彼女に預けていた体を起こし、そっと身を引く。
激しい自己嫌悪と情けなさ。
何より、彼女を気持ちよくさせるどころか、傷みを与えてしまった罪悪感に胸を焼きながら。
離れた距離はほんの少しのはずなのに、なんだかとても遠い場所に彼女がいるような。
そんな錯覚が、きりきりと胸を締め付けていた。
「……ゴメン。本当に。今日こそはって思ってたんだけど」
「大丈夫だよ、別に。もう慣れたから。……それより、何か飲み物ある? 喉カラカラになっちゃって」
「あ、ああ。うん。コーヒーでも煎れ――」
「飲みたい? こんな汗びっしょりなのに」
苛立たしさを通り越し、うんざりしているかとさえ感じさせる彼女の言葉。
俺はすっかり固まり、時間だけが静かに過ぎる。
かける言葉も、成すべき謝罪も声に出せず、代わりにこぼれたのは唾を飲み込むなんとも空しい音だけだった。
……気まずい。
機嫌悪いよな、やっぱり。
そんなことは考えるまでもなく明白で、
「……もういいよ。下の自販機でジュースでも買ってくる。何がいい? いつもの?」
「いや、行くなら俺が――」
「ちょっとそこのシャツ借りるよ。わざわざ新しいの出すの勿体ないし。あたしのはもう洗濯に出しちゃったから。コート羽織ってればバレないでしょ」
言いながら、彼女は電気を点灯。
そのままテキパキと着替えを始めた。
汗に濡れ、行為に乱れた長い赤毛を、慣れた手つきで普段の見慣れたポニーテールに結う。
俺しか知らないであろうベッドの上での彼女の姿は今、誰もが知り得るいつもの彼女の姿へとみるみる内に変わりつつあった。
その後ろ姿をなす術なく眺めながら、ただ息を吐くことしかできないでいる俺。
彼女だけが服を着て、俺だけが全裸というこの状況が、余計に惨めさを加速させている気がする。
本当、なんて情けないんだよ、俺は……。
「じゃあ、行ってくるから」
「ああ……」
「そんなにしょげ返らないでよ。見てるあたしまで暗くなっちゃうじゃん。まったく……」
「悪い……」
「本当にそう思ってるなら、せめて平気なフリだけでもしてよね。毎度毎度こんな感じじゃ、あたしもどう接していいか分かんないよ」
ほとほと呆れたように言い残し、彼女は部屋から出ていった。
次第に遠くなる靴音。
足取りの割に荒々しく感じるのは、きっと気のせいじゃないだろう。
まあ、どう考えても悪いのは俺だ。
俺がダメだから、彼女をああも怒らせてしまっている。
まったく、何をやっているんだか。
こんな彼氏じゃ、いつかきっと……。
熱も冷め、冷静さを取り戻していく思考の中。
俺は何度も何度も繰り返していた。
同じ言葉を、飽きることなく。
ああ、もう。
今日こそはと思っていたのに。
俺たちは今日もまた――
「イケなかったな……」