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第六幕 祭

 薄ぼんやりとした闇の中、ふわふわと柔らかな光の玉が中空を漂っていた。

 柔らかな光の玉は幾つも漂っていて、どうやらそれが闇を照らしているらしかった。

 玉は揺ら揺らと揺らめきながら、唯一つの場所を目指しているようだった。

 女は小川の側に立っていた。

 光の玉は川沿いに連なって、ふわふわと頼りなくさ迷いながらも、川の側へ集まって、そして川上へと揺れ動く。

 川は細く、そして果てしないほど長く見えた。

 川のずっと先の先まで、光の玉は連なって列を成す。

 ずっと先の光はまるで帯、個々の球の連なりがここからは判別できないせいだろうか……何にせよ幽玄で神秘性すら感じさせる風景だ。

 女はぼんやりとその光景を眺めていた。

 美しく、何より幻想的な光景であったが、その光景はどこか物悲しい。

「綺麗でしょう?」

 いつの間にか、隣に女将が立っていた。

「……」

 優しげな光の玉に魅入られながら、女は無言で静かにうなずいた。

「あの光はねぇ、人々が想いを込めて流した火なんですよ」

「……」

 女将の静かな声を女は黙って聞いていた。女将の声は子守唄のように優しい。

「大きな松明を燃やして、その大きな火を見ながら人々は祈るんです」

「……」

 女将の声は相変わらず優しい。

 しかし女の胸の内にはまるでその優しさが鈍い毒であるかのようにじりじりと緩やかに蔓延していく。

「それからその大きな火から小さな松明を幾つか作って、それから沢山の人が貰い火をするんです。それでその貰い火は灯明となって、小さな蝋燭を乗せた小さな船を灯して流されていくんですよ、死者の冥福を祈ってね……」

「……」

 女の視界が歪む。

 これ以上は聞きたくない。聞いてはならない。女は耳を塞いてしまいたかった。

 しかし女の身体はピクリとも動かない。

「……お客さん――」

 女将が静かに女を呼んだ。その面持ちはなぜか少し悲しげに見えた。

「もう分かっているかもしれないけど、あなたはもう――」

 聞きたくない。止めてと女は満足に動かない身体を痙攣させながらも心の内で必死に願った。

 しかし女将は淀みなく、そして静かに淡々と……

「この世の人ではないんですよ」

 無情にもはっきりと女に告げた。

「……」

 女の目の前が暗くなる。仄かに照らされた闇よりも深い絶望と哀しみと――苦痛が再度女を蝕む。

「あなたは私のもとへ迷い込んだ。私はあの世でも、ましてこの世のものでもないもの。私は深い業を負っている。故に未だこの光に導かれることもなく、救われることもなく、この世でもあの世でもない場所に囚われ続けている。私に出来ることはここに迷い込んだ哀れな魂をこの光の中へ戻してあげることだけ。そうして私は私の業を減らしているのです。いつか許されるその日まで」

 女将は哀しげであった。しかし女将の表には深い哀れみのような情の影も垣間見える。

 女は混乱していた。

 ひどく身体が震えている。

 とても正常にものが考えられる状態ではない。

 それでも女は只管に否定しようとしていた。この状態と――己の死という現実を――

「しがみ付いてはなりません。あなたは今、全てを失うのです。そして失った後には必ず新たなる存在となる。新しく生まれ出るにしろ、そうでないにしろ、何にせよ今のままの存在でい続けることは不可能なのです。固執し、しがみ付いてはあなたは輪廻の輪から外れてしまう。そうなってはあなたは長い時を苦痛の中さ迷わなければならなくなる。だからさぁ――解放されるのです」

 女将の傍らには大きなトランクケースの姿があった。

 それは女の持ち物であった。

 そうだ。それは女の全てで女にとっては大事で何より大切で……

「さぁ、見なさい。これが現実です」

 女将の言葉とともにトランクが大きく口を開けた。

 中から出てきたのは――

「っ!?」

 女は息を詰まらせ、口を覆い、辛うじて悲鳴を飲み込んだ。いや、悲鳴はすでに喉の途中で絡まって凍り付いていた。手は反射的に本能的に動いたに過ぎない。

 それは女にとっては悲鳴が凍るほどの衝撃だった。

 トランクから転がり出たそれ――それは紛れもなく――女自身であった。

 トランクの中で縮こまっていたであろう女の身体は蓋が開くと同時にまるで跳ねるようにして毀れ出、あっという間に地面へ倒れ伏した。

 ピクリとも動かない、青白い肌の色をした人形のような女自身は無残に地に這いつくばっている。

「……」

 女はふらふらと女自身へと歩み寄った。もう何も考えられなかった。

「……」

 女は女自身の手を取った。

 それはぐんにゃりとして――冷たかった。

 胸がつぶされるような苦しみに満たされながら、女はさらに女自身の肩を両手で掴んでそして自らの方へと引き寄せる。

 女は膝の上に女自身を乗せ、そしてまじまじとその顔を――見た。

 血の気のまるでない肌に不透明な蝋のように生白い頬、かさついた青い唇……

「……」

 見れば見るほど哀しくて、惨めで――狂おしい。

 ぽとぽとと女自身に雨が降る。

 女は泣いていた。

 子供の頃のように、声を上げて、わんわんと、喉がひしゃげるほどに、いつまでも、時も忘れて、久方ぶりに、女は泣いた。

 女の腕の中に強い力で囲われながら、女自身は微動だにせず――何も答えなかった。

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