第二幕 宿
女は歩き続けて、一軒の旅館に辿り着いた。
行くあてのない女は、そこに泊まろうと思った。
それは古びて、ボロボロの旅館だった。
今にも朽ちそうなほどの柴垣をくぐり、旅館の内へ……
中も外観と同じく、廃れている。
まるで廃屋。人の気配がまるでない。
「……」
女は帰ろうと思い、踵を返した。
「あらまぁ、いらっしゃいませぇ」
しかしパタパタと軽い足音がし、着物姿の中年女が走り寄ってくる。
狐のような目をした、婀娜っぽい口元が印象的な女だった。
美人だが到底旅館の女将、もしくは従業員のようには見えない。高級クラブのママか老いた金持ちの後添えだと言われた方が余程しっくりとくる。
妖しい魅力のようなものがこの女から発せられていた。
「…ここは旅館ですか……?」
女の妖しい色香のようなものに当てられながら、ふと表に看板らしい看板もなかったことを思い出し、恐る恐る尋ねてみる。
「ええ、そうでございますよ。お泊りになりますか?」
のどかに女は問いかけてくる。
「……はい、一泊でお願いします」
一瞬止めようかとも思ったが、何だか断りづらくて、ひとまずは一泊と、女は答える。
「かしこまりました。一泊でございますね。ありがとうございます。わたくし、当館の女将郷と申します。何かありましたら気軽に声をかけて下さいまし。ささ、中へお入り下さいな。汚い所ですけどねぇ……まぁ、それなりに風情はあるんですよ。住めば都ってね、古の人はよく言ったものですよ」
女将の軽やかな声を聞きながら、女は靴を脱ぎ、中へと入る。
「お客さんは本当に久方ぶりで……辺鄙な所でしょう……? 人自体が中々寄りつかないんですの。貸し切りみたいなものですから、お気楽にお過ごしなさって下さいまし。さぁ、つきました。当館自慢の『方松の間』でございます」
部屋に着くまで、相槌すら打てないほど引っ切り無しに女将はしゃべり、女が癖癖とし始めた頃、ようやく部屋に到着した。
開いた襖の先には、中々風情のある景色があった。
右手には市松模様の襖、左手には幽遠に描かれた山水画、中央に飴色の座卓、その先には応接セット、鄙びて古ぼけてはいるが、こじんまりとした風情のある部屋だ。
「……」
女は部屋の中央、座卓の前にストンと座る。
そうして女は何を考えるでもなく、ただぼんやりと時間を過ごす。空ろに曖昧に……おぼろげに……たゆたうように……意識は拡散していくのだった。