闇の神
気が付けば、そこは見覚えのない狭い寝台と小さい木椅子のみの質素な宿部屋だった。今まで街の中だったはずなのに。それにあのバジリスクのこと、スティラは血が流れ続け痛みが更に増す腕を抑え、睨み付けるように彼を見上げた。
「…お前は…何者だ…」
喘ぐように、掠れ掠れにスティラは問う。薄暗くとも良く分かる。この世のものとは思えないほど美しく整った容姿。生まれる筈がない夜の闇を切り取ったような黒い髪と黒の瞳。その姿はまるで、伝承の中で語り継がれる闇の神のもの。子供だったはずなのに、突然青年になってしまったのも説明がつかない。だが、まさかそんな訳がない。
「…闇の神の訳が…」
青年は不敵な笑顔を浮かべた。
「そのまさか…って言ったらどうすんだ?」
スティラは目を見開く。
「そんな…!闇の神は光の神によって…」
言いかけたところで、スティラの全身に燃え付くような強烈な痛みが走った。まるであの炎に飲み込まれたバジリスクを思い立たせる。だが悲鳴を上げまいと唇を噛むと、それを見て青年は眉をひそめる。
「ったく…俺に助け求めれば済むものを…ほら、言ってみろよ。助けて下さいってな」
ふざけた物言いをする青年を、スティラは睨み付けた。
「…お前みたいな…得たいの知れない奴に誰が…!」
「得たいの知れなくはねぇだろ…全く呆れたヤツだな。バジリスクの激痛毒にここまで強情張れるなんて…まぁ、折角見つけた闇の守護騎士を死なせる訳にいかねぇからな」
顔を近づけて来たと思ったら、それを拒む力も暇も無く、無理矢理唇を重ねられた。その瞬間、体中の激痛が嘘のように消え去ったと同時に、どさりと寝台に落とされた。
「何をする…!」
しかし目の前にいたのは、己の姿を見て溜め息を付く、あの灰色の髪の子どもだった。
「あーあ、戻っちまった…やっぱり力を使いきるとだめなのか…」
項垂れた子どもは木椅子に腰を落とした。スティラは方肘を付いて半身を起こし、噛まれた腕を確認すると、服は破れ大量の血が付着しているものの、傷一つ無い。スティラはしばし呆然とし、頭を抱えそうになりながら口を開いた。
「…お前は本当に…闇の神なのか…?」
「ああ、俺はこの世の半身を統べる闇の神。それにお前ではない。ユクスと呼べ」
子供ーユクスは顔を上げ、妙に偉そうな態度で答えた。これが夢であってほしかったが、そう簡単にはいかないようだ。
「だが闇の神は、千年も前に光の神により打ち倒されたと私たちは聞かされていた。闇の神は世界を滅ぼそうとしたからと」
「違う!俺はそんなことしてねぇ!!」
ユクスはガバッと立ち上がり、声を荒げた。スティラは思わず口をつぐんだ。
「クソッ、ヘメーラの野郎…俺を悪者にしやがったな…思った通りだ」
「…違うのか?」
「千年前のあの戦いはヘメーラ、光の神が起こしたものだ。アイツが唯一神になろうなんて企てやがったためにな」
少し落ち着いたのか、イライラしながらも再びユクスは腰を下ろした。
「光と闇、昼と夜、秩序と混沌があるように、俺たちも対をなす二神としてこの世を共に統べていた。それが俺たちとこの世界を創造したガイアとウラノスの願いだったからだ。しかし、それまでの永き平穏をヘメーラは簡単にぶち壊し、この世界に闘争をもたらしたあげく、俺を千年もの間痛みと苦しみの中に監禁していたんだ」
彼の言うことは、とてもすぐには信じられるものではなかった。
「殆ど力もとられちまったが、ただでやられるほど俺もお人好しじゃねぇ。アイツがその気ならやってやる。唯一神になるのはこの俺だ」
「…ちょっと、色々と待ってくれ」
思わずスティラは語気を荒げる彼を止めた。
「…私は神官や信者ではないから、光の神を心から信仰している訳じゃない。だが、それでもずっと光の神が世界を救ったと聞かされてきたんだ」
ユクスがあらかさまに眉根を寄せた。
「なんだ?俺が嘘でもついてるって言いてぇのか?」
「別にそういう意味で言ってない。闇の神というのは確証はもてないが、ユクスがただの人間ではないは分かったのだし、ただ、少し落ち着く時間をくれ」
ユクスは頭の固いやつと、鼻をならして呟いた。こちらとら色々有りすぎて頭が痛いのだ。どっと疲れが押し寄せてきて、意識が朦朧としてきた。しかしここが何処かも分からないのに寝てしまうわけには…。
「おい、ぶっさいくな顔してねーで寝ちまえよ。もう魔物の気配もしねーし、かなり“魔力”を吸いとっちまったからな。つれーだろ?」
おやすみと腹の立つ笑みを浮かべる子どもが、優しくスティラの頭を撫でる。まだ聞かなければならないことがたくさんあるのに。だがその手を払うことさえ出来ないあまりの睡魔に襲われ、スティラは寝台に倒れ込むように寝入ってしまった。