尾行
カズヒコがサトミを尾行し始めて数分後、三日市駅にたどりついた。階段を駆け上り、鞄から定期券を取り出し改札を抜ける。周りに同じ制服を着た高校生が数人見られた。その中に入ってしまえば、サトミもまぎれもなく普通の女子高生だ。カズヒコは切符売り場の前で立ち止まった。
「定期か……どこまで行くんだ? とりあえず終点まで買っとくか」
少ないお金をはたきながらもカズヒコは電車に乗るサトミの尾行を続けた。まもなくして特急電車が到着する。サトミはそれに乗り、カズヒコはサトミに気づかれないように少し間隔を空けて乗車した。次の駅到着までの十分間、特別変わった事もなく電車は甘倉街道駅へ到着する。サトミに降りる気配はない。
「ここで降りないとなると、残り二駅のどちらかで下車する筈だ」
カズヒコの監視の中、出発のベルが鳴り扉が閉まりかけたその時。サトミはそのドアの隙間を縫って電車を降りた。ワンテンポ遅れてカズヒコも電車を降りようとしたが、間に合わない。
「まさか……尾行が気づかれていた?」
ゆっくりと走り出す電車の中からサトミの姿を確認しようとするカズヒコ。そこには、すべてをみすかしていたかのような視線でカズヒコを見るサトミの姿があった。
「オレとした事が……一杯くわされたな」
そう言いながらもカズヒコは笑みを浮かべていた。電車は次の駅まで十五分は止まらない。
その一方で、マキの尾行を任されたアキラは気が付けばひと気のない林の中を歩いていた。
「雛菊さん……こんな林の中へ入って何処へ向かっているんだろう」
日も少しづつ沈みかけ、時計の針は午後六時三十分を回っている。林の中はなおさら暗く、女子一人がうろつくにはあまりにも危なっかしい状況だ。アキラも後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
しかし、マキはアキラの尾行に気がついていた。また、アキラはそれに気づいていなかった。そんな中アキラは、一通のメールがマキの方へ飛んでいくのを確認した。すかさずそのメールを捕まえる。それはもはや条件反射となっていた。サトミからマキへのメールだ。
『ただ今帰宅。ストーカーの男はなんとか撒いたけどそっちはどう?』
メールを開いたアキラはもちろん引っかかっていた。『ストーカーの男』は然る事ながら、それよりも『そっちは』の方に。
「……撒いたストーカーはカズヒコのことか? ……そっちはってのは?」
アキラは察知した。このストーキングもとい尾行がばれている事に。同時に血の気が引くアキラだった。メールに気をとられてマキを見失ってしまったのだ。辺りを見回してみたが視界には入らない。しかし周囲にかすかに見える電波の霧がどよめいているのが感じられた。普段とは違う。その直後アキラは背後にただならぬ気配を感じた。
「――だれだ!?」
とっさに距離を置き振り返るアキラ。そこには長い黒髪を後ろに束ね、凛とした表情でアキラをにらみつける美しい女性の姿があった。そしてさらにその後ろ、なんとも異様な空気の塊がみえる。その部分だけ電波の霧が繰り抜かれて真空になっているようだ。右手には青白く鈍く光る刀のようなものを持っている。アキラは本能的に身の危険を察知した。
「殺される!」
アキラは腰を抜かし動けないでいた。流れる雲の隙間、夕暮れの光に照らされて、その姿が少しずつに鮮明になる。
「私に何か用かしら? さっきからずっと付けて来るようだけど」
その正体は雛菊真姫だった。いや、アキラからしてみれば雛菊真姫の姿をした別の何かに見えていた。マキはあとずさるアキラに一歩ずつ近づく。その時アキラの右手にはサトミからマキへのメールが握られていた。機転を利かせそのメールを手放すアキラ。それと同時にマキの携帯電話の着信音が鳴った。緊張の糸が切れたかのように拍子抜けするマキは,おもむろに携帯電話を取り出した。それはもちろんサトミからのメールだ。
『ただ今帰宅。ストーカーの男はなんとか撒いたけど彼ら、何か重要な事知ってる。殺さないで』
そのメールはすでに一度アキラの手に渡ったものだ。とっさの事だったが上手くメールの改竄に成功したようだ。最後の『殺さないで』はまさにその時のアキラの心境と言えるだろう。メールに目を通したマキは、刀のようなものを収め、束ねていた髪をふりほどいた。その瞬間、いつもの雛菊真姫が帰ってきたかのように思えた。マキはほどいたヒモを首に回しながら言った。
「あなた達いったい誰なの? どこの高校?」
アキラは最初この質問が冗談だと思っていたが、どうやらマキは本気らしい。よりにもよって同じ高校の、同じクラスの人間に対してこの質問はタブーとしか言いようがない。クラス替えがあったのは最近の事だが、アキラはショックを隠せなかった。マキは制服のネクタイを締め直している。どうやら髪を束ねていたヒモはネクタイだったらしい。その下にちらと光る十字架のネックレスが印象に残った。アキラの考えるの雛菊真姫の特徴に『才色兼備』という欄に新しく、『変人』・『人じゃないかも』という言葉が付け加えられた瞬間だった。
「あなた何か重要な事知ってるみたいね?」
「……」
「まあいいわ。今日は遅いし、もう帰りましょう。近いうちにじっくり話を聞く必要があるから、連絡先教えといて」
アキラとマキは携帯電話の連絡先を交換した。
「えっと……ミヤジマアキラ? でいいんだよね。じゃあ来週にでも……まさか、逃げたりしないよね?」
マキはそう言ってその場から去っていった。アキラのフルネームを知ってなお、同じクラスである事にも気づかなかった。その場に一人のこされたアキラはふと我に返る。
「……来週じゃなくても明日学校で会うだろうに」
木々の隙間を生暖かい風が吹き抜けている。それはアキラが高校二年に上がった春の出来事だった。