因縁
******
白羽サトミは喫茶店の前で立ち尽くす二つの影を見つけた。
「やっぱりみんな来たんだ」
「サトミ!」
マキはサトミの登場に目を丸くしている。
「でもまさか喫茶店の二階がストーカーさんの事務所だなんてね」
「今までにも何度かこの喫茶店に集まったことあったけど、まさか盗聴器とかしかけてたりしてたんじゃない?」
「まさか」
アキラは女子二人の会話に割ってはいることが出来なかった。まるで存在を無視されているようにも思える。しかし勇気を振り絞って声を出した。
「あ、あの……三人そろったことだし、二階にいってみない?」
マキとサトミは同時に振り向いた。その二人の視線に動揺しつつも、二階へ上がるよう視線誘導する。マキとサトミは再び目を合わせた。
「それもそうね。でも小野村くんはもういるのかな?」
「さぁ、でも、行ってみればわかるさ」
三人は喫茶店わきにある階段を上ると、通路横に一枚扉を見つけた。扉には手書きでこう書かれている。
「おのむらたんていじむしょ?」
サトミはこう読み上げるが、実際には漢字で書いてあった。しかしなんとまぁ、ひらがなで読みたくなるような漢字書体であることには変わりない。扉のすりガラスから中の光が見えた事と、中から人の話し声が聞こえた事から、カズヒコの存在を察する。
「でも、誰と話してるんだろ? 先客かな?」。マキはドアノブに手をやった。
「この声……どこかで聞いたことがあるような」。サトミは一人つぶやく。
「だから、カズヒコだろ?」
「いや、もう一人の女の方よ」
考えるサトミをよそに、マキはその扉を開けてしまった。
「いやいや、ブザーが先だろ!」
扉の向こうにはカズヒコと、ソファーに座る女性の姿があった。
「あ、やっぱ先客だった?」。マキはそう言うと再び扉を閉めようとした。しかし――
「あれからもう二年が経つ……」
先客の女はゆっくりと立ち上がると、語りだした。
「あの日あなたは来なかった。あなたの出ない大会で優勝した所で私にはなんの意味もない。そして同日、父が殺人未遂の容疑で逮捕された」
マキは相変わらず唖然とした面持ちで、アキラからしてみても何の事だかさっぱりだった。しかし、サトミだけがその話を理解しているようで、わずかだがその身が震えているのが分かった。女は続ける。
「そのせいであの母も変わってしまった。毎日酒に溺れ、ドラッグにまで手をだしたあげく私を残して自殺した。気が付けば私は全てを失っていた。そう……全てはあなた、雛菊マキのせいで!」
「あなたまさか……スズエ! 笹熊鈴江!」
次の瞬間、閃光が走った。笹熊スズエ、『ツキノワグマ』の名の由来。それは当時、剣道の試合でまだ禁じ手である『突き技』を彼女は自分のものにしていた。笹熊鈴江『突きのワグマ』の真髄『捩じり片手平突き』が今、マキの左胸にくりだされた。
「マキ!」
時が止まったような気がした。静まり返る空間。笹熊スズエは繰り出した『捩じり片手平突き』に確かな手ごたえを感じていた。長い棒のような物が入っていた袋は刀身がむき出しの日本刀。
しかし――。
「……さすがは桜夜中の雛菊。腕は落ちてないみたいね」
スズエの剣先が貫いたのは数冊の本。マキは間一髪の所で、事務所の棚にあった本数冊で刃先を受け止めていた。一冊目から三冊目までの本が捩じれており、その原型を留めてはいない。
「あなたも、ずいぶんと鍛えたみたいね」
マキもスズエも、その体勢のまま一歩も譲らず、まるで微動だにしなかった。
どれくらいの時がたっただろうか。アキラとサトミはその場から動けないでいた。恐らくは刹那の出来事。しかし時間感覚がわからなくなるほどに場の空気が重たく感じられる。マキとスズエの間で、見えない駆け引きが行われていた。