来客
小野村カズヒコは暇を持て余していた。窓際に置いたオフィスチェアにうなだれてはブラインドから何度も外の様子を見下ろしている。目の前を通る国道3号線では、電気工事が行われており騒音が耳にさわる。机の上には一台のデスクトップパソコンと幾つもの本が高く積み重なり今にも崩れ落ちそうだが、絶妙なバランスを保っていた。
「そろそろ来てもいい頃なのだが」
カズヒコが待っているのは、先日ASについて話したメンバー、すなわちアキラ、マキ、サトミである。カズヒコは学校が終わると同時に、この事務所に来ていた。しかしこの場所に来てからすでに三十分が経とうとしている。
『誘導があまかったか?』
――再び積み重なる書物に手を伸ばそうとした時、ブザーがなった。待ってましたと言わんばかりに、机の上に投げ出していた両足を床に戻しオフィスチェアの肘掛に両手を置き立ち上がる。ギシギシと安定しない机が揺れ、積み上げていた本が崩れ落ちた。『しまった』と思い拾い上げる素振りを見せるが、ドアの前に待たせている来客の方を優先することにした。ドアノブを回し扉を開くと、薄暗い通路に立っていたのは見たことがない一人の女性。
「『探偵事務所』と聞いてやってきました」
ベージュのコートに身を包み、パーカーを被ったその女は体格が良く、女性にしては身長も高い方だ。年の頃は十七か十八といったところだろうか。その左手に長い棒のような物が入っている袋を抱きかかえている。部活かサークルの帰りなのだろうとカズヒコは思った。しかしながら、カズヒコにとっては意外な来客だ。事務所を構えているとはいえ、喫茶店の二階にひっそりと構えられたこの場所に一般来客とは珍しい。
「どこでこの事務所のことを?」
「はい、ネット上で人探しならここが一番いいというクチコミがありまして」
しかしカズヒコ自身、事務所に関することは公表していない。過去に数人の依頼を受持ったが、そのことが書き込まれたのかもしれない。
「ではこちらへ。靴はここで脱いであがってください」。カズヒコはその女を招き入れた。
「失礼します」
女は靴を脱ぐと、空いているほうの手で靴を揃えた。礼儀ただしい。薄暗い玄関だがその靴を見てカズヒコは思った。
「失礼ですが、きみはもしかして高校生?」
「はい」
そう言うとその女はコートを脱ぎだした。私立高校の制服に身を包んだ彼女は脱いだコートを右腕に掛け、カズヒコに差し出された来客用のスリッパへと履き替える。
「そちらのソファー、使ってください」
床の上に散らばった本を、数冊拾い上げると、何の迷いもなく本を元の棚へと戻していくカズヒコ。その本の背表紙には『人の持つ感覚』や『第六感』、『Another sense』というタイトルの物がある。棚にはまだいくつもの本が並んでいた。その中に、年度別にファイリングしたと思われる新聞の切り抜きが、びっしりとしきつめられている。それはカズヒコが生まれる1987年よりもまだ前のものまであった。
「それで、誰か人を探していらっしゃるんですか?」
彼女を背に本の整理をしながら問いかけるカズヒコ。その問いに対し、女性は語りはじめた。
「昔の友達を探しています。彼女とは中学は違ったけれど、とても仲良しでした。お互いにいろんなことを競い合って……でも彼女はいつも私より一枚上手で……そんな彼女に負けたくないという思いが私を成長させてくれたんです。いつしか彼女に尊敬の念までいだいていました」
「あなたにとってはかけがえのない人なんですね?」
「……でもある日、私はその全てを失った」
その瞬間、女の表情が一瞬こわばったかのように思えた。
「父を失い、母は自殺、一人娘の私は行き場を失った。……孤独だった。それでも今日まで生きられたのは彼女に対する執念」
これが親友にいだく感情だろうかと、カズヒコは手に汗を握った。会わせてはいけない。決して彼女とその友人を会わせてはいけない。探偵としてあるまじき事だが、直感でそう思った。カズヒコは目の前女性に対して、恐怖心さえ覚えていた。それを悟られぬように、背をむけたまま話を続ける。
「それは大変でしたね……それで、その友人の名前は?」
「――雛菊……真姫」
カズヒコの頬を一筋の汗が流れ、緊張がはしった。
「……わかりました。しかし、今日の所はお引き取りください。次のクライアントが来ますので。次回からは予約を取ってください。これが私の携帯です」。カズヒコは自分でも焦っていることがわかった。しかし女は席を立とうとしない。
「本当に探していただけるんですか?」
「もちろんです」
「私の名前も聞かないうちに?」
いつも冷静なカズヒコが、この時ばかりは動揺していた。クライアントの名前を聞かずに帰す探偵事務所がどこにあるだろうか。
「そうですよね……あなたのお名前は?」
「……私の名前は」