最初の一粒は貴方へ 〜異世界転移したショコラティエ、毒だと言われた「黒い宝石」で商人の心を溶かすまで〜
今日はバレンタインですね。ということでチョコの話を。
志村由美の目の前にあるのは、この地で「呪われた実」と呼ばれる不気味な種子だった。由美にとってはずっと探し続けていた「カカオ」である。これでチョコレートが作れる!思わず感謝の舞を捧げたくなった由美を責めないでほしい。
誰もが「苦くて渋いだけの毒」と捨てていたその種を、彼女は発酵させ、焙煎し、そして今、大理石の上で滑らせている。日本で作っていたものほど美しく輝かないのは、すりつぶしが甘いせいか、それとも温度が合っていないのか。少し舐めてみるとざらりとした感触が舌に残った。
「機械が欲しい……。」
由美は恨めしげに呟いた。異世界に転移してはや半年。ここでの暮らしにもだいぶ慣れてきたが、前の世界にあった便利なものが欲しくなってしまうことは日常茶飯事だ。中途半端に伸びた髪を結ぶゴムはないし、スニーカーもない。歯ブラシもない。せめてもと白いバンダナと白いエプロンで職人らしく見せる努力はしている。
困っているのは由美だけではないようで、一緒に転移してきた仲間たちが色々と工夫して作っている話は聞いている。余裕ができたらカカオをすり潰す機械も頼んでみたいと思いながら、由美の手はテンパリングの終わったチョコを型に流し込んでいた。保冷箱に入れて蓋を閉じると、由美はほっと息をついた。あとは固まるのを待つだけだ。
「ユミさん、こんにちは……おや?」
扉を開けて入ってきたのは、この町の商人であるガストンだ。
27才独身。この歳で商会を立ち上げ、若手の商人として売り出し中の彼は、由美にこの菓子店を任せてくれた恩人でもある。身なりだけでもベテランに見せようとおさまりの悪い髪を撫でつけ、ここでは商人服と呼ばれている、ゆったりと体を覆う服を着ている。明るいヘーゼル色の目は時折仔犬のように見えて、可愛いと思ってしまうのは、由美だけの秘密である。
ガストンは
「金の匂いを嗅ぎつけだだけですよ。」
と悪ぶっているが、悪い人ではない。その証拠に、毎朝必ず由美の店を訪れて、たわいのない話をして帰っていく。それがわかっているから、由美も店の扉には鍵をかけていなかった。
ガストンは、部屋に充満していたチョコレートの匂いを嗅ぎ当てたらしく鼻をヒクヒクと動かしている。
「何やら嗅いだことのない匂いですね。なんですか、これ。」
「これですよ。」
由美がカカオの種を見せると、ガストンは思わず飛びすさった。
「こ、これは毒の実ではないですか!なんでこんなもの!今すぐ捨てて手を洗ってください!」
あまりの驚きぶりに、思わず由美は笑ってしまった。
「毒じゃないから安心してください。私の元いた世界では、お菓子として人気があったんですよ。」
チョコレートがあれば、店で出せる菓子も更に種類が増える。少しずつ種類を増やしつつ、あわよくばチョコレート専門店にしてしまおうというのが由美の目標だ。
「これを食べると動悸がするとか眠れなくなるとか言われていたんですけどねえ。」
「そのまま食べても美味しくないですからね。加工が必要なんですよ。」
保冷箱から型を取り出し、大理石の上で取り出すと、由美は一粒口に入れてみた。苦味の後、ほんのりと果実のような爽やかさが広がって溶けていく。
「どうぞ。」
黒く輝くそれをガストンに差し出すが、抵抗があるのか手を出したり引っ込めたりしている。
「ああもう!」
じれったくなった由美は、ガストンの薄いが柔らかい唇に、持っていたチョコを押し付ける。由美の指先が彼の唇に触れた瞬間、ガストンの長い睫毛が震え、顔が赤くなる。驚いて開いた口に、黒い宝石が滑り込んだ。由美はいたずらっぽく笑いながら、彼の口元をそっと指で押さえた。
「吐き出しちゃだめですよ。ゆっくり……舌の上で溶かすように転がして。」
「な……!」
驚いて口を閉じたガストンが、目を見開いたまま、固まっている。舌の上で柔らかく溶けていくチョコレートの味は、未体験のものだろう。指を離しても、ガストンはうっとりとした顔をしたままだ。やがてごくりと喉を鳴らした。
1分以上そのまま沈黙していたガストンが、ふうとため息を漏らす。丸い目が、いつもにも増してきらきらとしていた。
「これは……金の匂いがぷんぷんとします。」
「なにしろ『黒い宝石』ですから。」
向こうで言われていた言葉をそのまま使うと、ガストンは由美の前に跪き、熱い情熱を孕んだ瞳で見上げてきた。
「ユミさん。この商品を私の商会で独占的に扱わせていただけませんか。最初は売れないかもしれませんが、必ず売れるようになります。」
「そんな跪かなくても!そのつもりで作ってますから!」
今まで毒と言われていたものを受け入れてもらうには、自分の力だけでは難しい。だからこそガストンに試食してもらったのだ。
「それに、仲間たちは買ってくれると思いますから、そこそこ売れると思いますよ。」
元の世界の食べ物に飢えている同胞はこの町にたくさんいるのだ。
「ユミさん……ありがとうございます。」
目がほんのり赤くなるガストンには、言わなかったことがある。
今日は二月十四日。この日の意味はまだ知らせるには早いのだ。
この後、由美の作るチョコレートは評判を呼び、他の町からもわざわざ買いに来る客が増えるのだが、それはまた別の話である。
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