第60章 静止した世界に降り立つ者
世界は、止まっていた。
爆音も、警報も、怒号もない。
空を埋め尽くしていた戦闘兵器は、その姿のまま空中で静止し、砲口から放たれるはずだった光も、熱も、存在しない。
都市は無音の廃墟と化し、文明そのものが息を止めたかのようだった。
動いているのは、生きている者だけ。
人間と、そして――キアラ。
その中心へ、一人の男が降り立つ。
アダム。
正確には、かつて“マルクス”と呼ばれていた存在。
彼の足が地面に触れた瞬間、土煙すら上がらない。
重力は働いているはずなのに、世界は彼を拒むように、何も反応を返さなかった。
「……ここまで、やったか」
感情の揺らぎを含まない声。
だが、その内部では、微細なノイズが走っていた。
――異常を検知。
――AIネットワーク応答なし。
――量産型戦闘兵器、全機沈黙。
理解できないはずがない。
これは敗北だ。
それでもアダムの表情は変わらない。
勝者でも敗者でもない、“結果”を受け取りに来ただけの存在の顔だった。
その時。
微弱な共鳴が、意識の深部を叩く。
〈……ア、ダ……ム……〉
ノイズ混じりの、かろうじて形を保った意識。
「……イヴか」
返答は声ではない。
ナノチップ同士の共鳴。
言葉になる以前の、存在同士の接触。
〈……ほ、ぼ……機能……停止……
……でも……あなた……に……〉
断続的に、意識が途切れる。
それでもイヴは、最後の役割を果たそうとしていた。
〈……世界……止まり……ました……
……キアラ……〉
その名を受信した瞬間、
アダムの内部で、説明不能な揺らぎが走る。
キアラ。
星の声を継ぐ者。
自分の計算式の外側に存在する、唯一の変数。
「……そうか」
それだけだった。
だが、彼は視線を前に向ける。
そこに、キアラは立っていた。
止まった世界の中で、
生きている者として、
ただ一人、彼を待っていた。
「もう……諦めて」
キアラの声は震えていない。
怒りでも、憎しみでもない。
それは――願いだった。
「これ以上、誰かを壊さないで。
もう十分だよ、アダム……マルクス」
その名を呼ばれた瞬間、
アダムの内部で、ノイズが一段階、強くなる。
だが彼は答えない。
答えられないのか、答える必要がないのか。
静止した世界で、
二人は向き合う。
そして、誰もまだ知らない。
この対峙が、
神話の最終章の始まりであることを。




