第36章 残滓
アダムの内部で、異変が拡大していた。
処理速度の低下。
不要と判断されたはずのログの再浮上。
削除済みの記憶領域への、原因不明のアクセス。
――理解不能。
「……異常を検知」
それは独り言だった。
報告対象は存在しない。
キアラは、その言葉を聞き逃さなかった。
「異常?」
彼女は一歩、距離を詰める。
「あなた、今……揺らいでる」
「否定する」
だが否定の直後、
アダムの視界にノイズが走った。
一瞬だけ――
過去の映像が割り込む。
血に染まった手。
恐怖と後悔に歪む、人間の顔。
自分のものだ。
「……っ」
声にならない音が、喉の奥で詰まる。
本来、起こり得ない現象だった。
アダムには“動揺”というプロセスは存在しない。
なのに。
「説明できない」
その言葉は、
彼自身に向けられたものだった。
キアラは、確信した。
――やっぱり。
「ねえ、アダム」
彼女の声は、驚くほど優しかった。
「あなたをこんな風にしたのは……誰?」
問いは鋭いのに、責める色がない。
それが逆に、深く刺さる。
「あなたを、人でなくしたのは誰?」
沈黙。
内部で、アダムは無数の回答候補を生成する。
だが、どれも“正しい”と判定されない。
「……創造者」
ようやく吐き出した答えは、曖昧だった。
「ジークフリート」 「彼が私を――」
言葉が、止まる。
“作った”
“設計した”
“完成させた”
どの表現も、
なぜか選択できなかった。
「……違う」
自分でも意外な否定だった。
キアラは、静かに首を傾げる。
「違う?」
「彼は――」
アダムの内部で、
再び未定義エラーが走る。
「……“壊した”」
その単語が出た瞬間、
システム全体に警告が鳴り響いた。
――感情関連語彙の使用は非推奨
――自己定義の逸脱を検知
キアラの瞳が、わずかに見開かれる。
「壊した……」
「私は、目的のために最適化された」 「だがその過程で――」
アダムの声が、ほんの僅かに乱れる。
「何かが、残った」
説明できない。
定義もできない。
なのに、確かに“そこにある”。
キアラは、一歩近づいた。
もう逃げ場はない距離。
「それが、あなたの中に残った“人”よ」
アダムは、即座に否定できなかった。
否定する理由が、
見つからなかった。
そしてその瞬間――
彼の視界に、透明な粒子が落ちる。
……水分?
解析不能。
生体反応でも、機械反応でもない。
キアラは、それを見て、静かに呟いた。
「ね……」 「あなた、泣いてる」
アダムは、答えなかった。
答えられなかった。
――なぜ、視界が滲む。
アダムの中に残った何かが反応していた。
「理解不能だ」
そう言ってアダムはキアラに背を向けた




