第07章 恵梨子 育成は幾星霜の兆し
ポコポコ運指表から、亜紀子のベースの訓練が始まる。
乳白色のまどろみの中に居る箸元恵梨子先生は
亜紀子を正しい道に導いてくれるか?
幾星霜=多く(苦労や努力を重ねた後の)長い年月。
第7章 恵梨子 育成は幾星霜の兆し
突然、友達兼お弟子さんという特別な存在ができた。
彼女の名前は吹丘亜紀子、
祇織と同じ高校の礼儀正しい女の子だ。
亜紀子さん、通称・アッコちゃんがライヴを観にきてくれた
その日に、私の家でベースの講習を開くことになった。
「アッコちゃん、悪いんやけど、
机の三段目の引き出し開けてくれん?
オレンジ色で運指表って画用紙が入っているはずやから」
「はいはい……んっ、これ、かな? なんか所々ポコポコしてるね」
ポコポコ、無邪気な表現だ。
「それはウチらの生命線、点字よ。
後天的な失明者には不人気やけど、
慣れたらなかなかおもっしょいよ」
おもっしょい、標準語でいう面白いのこと。
「多分、多分なんだけど、
これってドレミファソラシドを表してる?」
「ほう、勘がええねぇ。ほうなんよ、
左からポコポコ点字を追って行ったら
音階が弾けるようになるけん、
ちょっとウチのギターでやってみる?」
「ギターで? 私、エッちゃんにギター習うんだったっけ?」
「ううん、ギターもベースも
左から4弦は一緒の構造なんよ。
でも、そういう疑問がすっと出てくる辺り、流石やねぇ」
本気でそう思う、
半端もんはここで勘違いしたまま適当に合わせのが常だからだ。
「……痛っ、ねえエッちゃん、
ギターの弦って指に喰い込むね」
「そう、最初はな。でも人間の凄い所で、
弦の素材に合わせて段々と指先がカチコチになってくるんよ。
ほら、これって乙女の指やないやろ?」
なんて言いながらも、自分から誇らしげに掲げてみせる。
「わぁ! すごーい!
きっと、すっごくすっごく練習したんだね。
私もそんなに極められるかなぁ」
「ウチなんかまだまだでぇ。やけんど責任持って
先生やらしてもらうけん、しっかり着いてきぃよ」
先生かぁ、言ったからには成果を出さないと。
ドー……レ、ミー……ファ。
ゆっくりと、でも確実に音階の位置を確認して行くアッコちゃん。
私の視界は乳白色……
(盲人は必ずしも暗闇の中にいるとは限らない)
だからアッコちゃんの表情は見てとることはできないのだが、
おそらく眉根を寄せ、口を「へ」の字にして、
左手を尖がらせていることだろう。
「なぁ、アッコちゃん、もし本気でベースを極めたいと願うなら、最初は安物の楽器にする方がええでぇ。
よく、ちゃちい楽器は上達を妨げるなんて言うけんど、
もしそれが真理なら、ちゃちいので頑張った後、
本物の名器を手にした時、
霧が晴れるように格段上達するやないかなぁ。
付け加えると、
最初に高い楽器買って
飽きちゃったなんてことになったら、
後悔が大きいんと思う」
「すごい為になるアドバイス、ありがとう。
初めての楽器を買いに行く時は、
汐音ちゃんとエッちゃんと三人で行けたらいいな。
外観は汐音ちゃん、
質感・手触りはエッちゃんからヒントをもらいたいから」
私が色や形を判断する必要性がない
配慮はありがたい限りだ。
アッコちゃんは私の失明を
とても優しく柔らかく受け入れてくれている。
「ただいまー、恵梨子ー、居るんだろー? お客さんかー?」
「あっ、兄ちゃんが帰ってきた。おかえりー」
ん? アッコちゃん、息づかい荒ない?
玄関から聴き馴染みのある素敵な声。亜紀子、ときめきのひととき。
……は、は、はひもとしぇんぱい?




