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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

怒りの矛先設定くらい

作者: 津籠睦月

 “怒りで身を(ほろ)ぼす”ってさ、普通にある程度(ていど)“予防可能”なことなんじゃないか?

 ――ずっと、そう疑問(ぎもん)に思ってきた。

 だって、俺はとっくの昔から、その予防策(よぼうさく)(こう)じてきたから。

 

 怒りに身を(まか)せて暴走しても、大概(たいがい)ロクなことにならない。

 ニュースで日々(ほう)じられる凶悪事件の数々を見れば分かる。

 結果や罪の重さに比べて、その経緯(けいい)末路(まつろ)なんて、まるで話にならない。短絡的(たんらくてき)でお粗末(そまつ)なものじゃないか。

 SNSでもボロクソに(たた)かれるような事を、何で()(この)んでやりたがるのか――まるで理解が不能だと“低レベルな人間”を見る目で見下(みくだ)してきた。

 

 世の中には“アンガーマネジメント”とか言う、怒りを制御(せいぎょ)するための工夫(ハック)があるらしい。

 だが俺は、そんな概念(がいねん)を知るより先に、怒りを操縦(そうじゅう)する(すべ)を考えてきた。

 だって、そうだろう?

 爆発したら身も人生も(ほろ)ぼしかねないシロモノを、そのまま野放(のばな)しにしておくなんて――()き出しのナイフをそのままポケットに仕舞(しま)っておくくらい、(あぶ)なっかしいじゃないか。

 

 思うに、怒りに(おぼ)れる人間は“怒り”を甘く見過ぎなんだろう。

 何の根拠(こんきょ)も無く『自分の怒りくらい自分で支配できる』と思っている。

 その挙句(あげく)、逆に怒りに支配されてあのザマだ。

 物事を過小評価(かしょうひょうか)して()めてかかる(やから)は、大概(たいがい)ソレで失敗するのだ。

 逆に入念(にゅうねん)な準備をして“(ころ)ばぬ先の(つえ)”で(のぞ)めば、凡人(ぼんじん)にだって勝ち(すじ)は見える。

 ……まぁ、そんな用意周到(よういしゅうとう)心構(こころがま)えが出来(でき)てしまえる時点で、(すで)に凡人の(いき)なんて飛び()えている気もするが。

 

 怒りに()られている最中に、自力でそれを(しず)めるのは(むずか)しい。

 それはそうだろう。

 冷静な判断力(はんだんりょく)を失ってしまうのが“怒り”なんだから。

 

 大切なのは、事前準備(じぜんじゅんび)だ。

 冷静モードでいられるうちに、先に怒りの“ルール”を決めてしまうことだ。

 他人に押しつけられた決め事ではなく、自分で決めた“裏切れない誓約(せいやく)”を、胸に(きざ)んでおくことだ。

 

 俺の決めた“怒りのルール”は、実はそんなに(たい)したものじゃない。

 

 ルールその1――生物には当たらない。

 

 だって、普通に(ひど)いことだし、可哀想(かわいそう)だし……普通に相手からも周りからも嫌われて、世の中に居場所(いばしょ)()くなるヤツだろう。

 ちなみに俺の場合、生物には植物も(ふく)まれている。

 脳が無かろうが細胞(さいぼう)構造(こうぞう)(ちが)おうが、生長(せいちょう)して変化する時点で、俺にとっては「何か生きてる」って感覚なんだ。

 

 ルールその2――なるべく手じゃなく口を出す。

 

 生物じゃなく無機物(むきぶつ)相手でも、手足を使って当たり散らせば実害(じつがい)が出る。

 しかも、俺本人にとっても、かなり痛い損害(そんがい)だ。

 俺の手の(とど)範囲(はんい)にあるアレコレなんて、大概(たいがい)『無くなったら(こま)る』ものばかり。

 怒りに(まか)せて破壊(はかい)して、後で()やまないわけがないのだ。

 

 世のため人のためなんかじゃない、俺自身に害が出ないための、たったふたつぽっちの単純なルール。

 それを遵守(じゅんしゅ)した結果、俺は自然と“概念(がいねん)文句(もんく)を言う(ヤツ)”になった。

 

 人間は当然“生物”だから、直接怒りはぶつけられない。

 ネットの中の(だれ)かに怒りをぶつけることもしない。

 無機質(むきしつ)端末(たんまつ)や無個性な字体(フォント)ばかり見ていると勘違(かんちが)いしてしまう人間もいるようだが――画面の向こうに()るのが“血の(かよ)った人間”だと忘れるほど、俺の感覚は麻痺(マヒ)しちゃいない。

 

 怒りの矛先(ほこさき)は“人”ではなく“行為(こうい)そのもの”だ。

 その行為に行き()く“原因”だ。

 そこに向かって「何でだよ!」と声を上げる。

 罪を(にく)んで人を憎まず――みたいなものだ。

 あるいは、海に向かって「バカヤロー」と(さけ)ぶのと同じ心理なのかも知れない。

 

 (はた)から見れば、虚空(こくう)に向かって文句を()れているヤバい奴――なのだが、実はこれが、ドン引きするほど建設的(けんせつてき)な行為なのだ。

 

 何が気に入らなかったのか、逆に何を望んでいたのか、延々(えんえん)と言葉にして()き出しているうち、ふと気づく。

 これ、勝手に“思考の整理”になっていないか?――と。

 人は自分が何に対して(・・・・・)怒っているのか、意外と分かっていないと言う。

 考えもまとまらないまま、感情だけドカーンと爆発させても“解決”なんて()られるはずがない。

 一時的に気が晴れたとしても、根本の原因が手つかずのままで、再び鬱憤(うっぷん)()まらないわけがない。

 怒りを整理整頓(せいりせいとん)するって、何気(なにげ)に“現状を打破(だは)する糸口を(さが)す”行為そのものなんだ。

 

 怒りの矛先さえ間違(まちが)わなければ、怒りは“破滅(はめつ)(まね)くもの”ではなく“人生を切り(ひら)くもの”に変わる。

 こんなに使えるライフハックなんて、そうそう無いのに――どうして(みんな)わざわざ、怒りを破滅(はめつ)の方向にばかり使うんだろう。

 どうしてわざわざ、他人(ひと)を傷つける方向にばかり使うんだろう。

 ――本当にそれを、ずっと疑問に思い続けてきた。

 

 まだ二十歳(はたち)にもならない俺が辿(たど)()ける真理に、()(とし)をした大人が気づけないはずもないだろう、と思う。

 だけどそこに、いつまで()っても行き着けない人間はいる。

 平気で怒りを()き散らして、平気で関係無い人間に八つ当たりして――“怒りを制御する”どころか、怒りの矛先設定(ほこさきせってい)さえ、まともに出来(でき)ていない人間が。

 

 その種の人間に出逢(であ)ってしまったことを、どう受け止めれば良いのだろう。

 それが“同居人(かぞく)”という()げ場の無い相手だった場合、どう対処(たいしょ)すれば良いのだろう。

 俺は(いま)だ、正解を知らない。

 いつもただ、その怒りが()()るのを、身を固くして待つばかり。

 怒りに(われ)を忘れた人間に、何を言えば正気を取り戻してくれるのか――考えても考えても、答えが出ない。

 下手な言葉は逆効果(ぎゃくこうか)な分、博打(ばくち)が過ぎて()ける気にもなれない。

 

 そもそも何で俺がそんなことを考えなきゃいけないんだ、といつも思う。

 理不尽(りふじん)な八つ当たりで空気を悪くしているのは、どう考えてもあっちなのに。

 怒りを(おさ)めなきゃいけないのも、無関係な相手に矛先(ほこさき)を向けないよう気をつけなきゃいけないのも、あっちなのに。

 どうして子どもの側が『どうすれば怒りをぶつけられずに()むのか』なんて考えなきゃならないんだ。

 

 怒りの(あつか)いが致命的(ちめいてき)に下手な大人を、幼い(ころ)から見てきた。

 小さいうちは、ただ恐ろしいばかりで、他の感想を(いだ)余裕(よゆう)も無かった。

 だが、成長した今は、その怒りをただただ“みっともない”と思う。

 ()(とし)をした大人が、感情に(おぼ)れて、()り回されて、それを子どもにぶつけるなんて。

 みっともない、大人げない、(なさ)けないにもほどがある。

 ……まさか、優しく弁護(べんご)してもらえるなんて、あっちも思っちゃいないだろう。

 あの理不尽(りふじん)な怒りに巻き込まれるたびに、こっちは心底(しんそこ)うんざりしているんだ。

 

 八つ当たりに怒りをぶつけられた人間が、相手をどう思うか、どんな目で見るのか、(いや)と言うほど知っている。

 俺は周りからあんな目で見られるのは御免(ごめん)だ。

 周りからあんな風に思われて、人間関係が(こわ)れていくのも(いや)だ。

 そうそう逃げられない家族と(ちが)って、友人知人なんてきっかけ一つで(はな)れていく。

 だから“自分の怒りを(ぎょ)する方法”を、ごく自然と考えるようになった。

 それが俺の人生に必要不可欠(ひつようふかけつ)なスキルだと、ごく当たり前に(さと)っていたから。

 

 だけど、何故(なぜ)なのだろう。

 “平穏(へいおん)な人生”に必須(ひっす)なはずのこのスキル、習得者(しゅうとくしゃ)どころか、履修(りしゅう)しようって人間すら、そうそういないように思う。

 本格的(ほんかくてき)に学ぶ気が無くても、独学(どくがく)でちょこっと“心がけておく”くらいでも、効果(こうか)はありそうなものなのに。

 何故(なぜ)なのだろう。

 “怒りで身を(ほろ)ぼすことが(こわ)くない”なんて人間が、世の中そんなに多いのだろうか。

 

 ――きっと、そうではないだろう。

 そうではなくて……怖くないのは“他人(ひと)を傷つけること”の方だ。

 目の前の人間が傷つこうが何だろうが“どうでもいい”から、平気で怒りを()き出せるんだ。

 他人の気持ちや今後の人間関係より、今の自分の一時(いっとき)の感情の方が大事なんだ。

 それがたとえ、自分の子どもでも。

 親という存在に(さか)らうこともできない、か弱い未成年(こども)でも。

 ……(いや)になるよな。

 俺という存在の価値は、あの人にとって、一時(いっとき)の怒りより下のものなんだ。

 

 どうでも()いモノ(あつか)いされて、怒気発散(どきはっさん)のサンドバッグにされて――それでも相手を愛せるなんて、そんな奇特(きとく)な人間、この世に一握(ひとにぎ)りもいないだろう。

 ……なのに何故(なぜ)か、あっちは勝手に『(ゆる)してもらえる』と思っているんだよな。

 人間なんだから機嫌(きげん)の良い悪いもある、家族なら許し合って当然――たぶん、そんな風にでも思っているんじゃないか?

 ……そんなのあまりにも、あの人にとってだけ都合(つごう)が良過ぎるじゃないか。

 

 家族だからとか、友人だからとか、(きずな)があるからとか……そんな理由で許してもらおうだなんて、とんだ“甘ったれ”だと思わないか?

 そんな理由で許さなきゃいけないとしたら、こっちの傷ついた心はどうなるんだ?

 あっちばかり好きに感情を発散(はっさん)させて、こっちにはただ()えていろとでも言うのか?

 どうして他人(ひと)にばかり我慢(がまん)()いて、平気な顔でいられるんだ?

 あの人の勝手過ぎる思考回路(しこうかいろ)が、俺にはどうしても理解できない。

 

 あの人の、ああいう所が心底(しんそこ)嫌いだ。

 大人になっても、絶対ああはなりたくない。

 なのに――『虐待(ぎゃくたい)されて育った子は、自分の子にも同じことをする』だとか、世間(せけん)は絶望的なことを言ってくる。

 だから俺は、俺の怒りを(せい)することを決めた。

 醜悪(しゅうあく)な“()連鎖(れんさ)”に(から)め取られてしまわぬように。

 心の底から軽蔑(けいべつ)する人間と“同じ存在(もの)”に、いつの()にかなってしまわないように。

 

 俺はこうして気づけた(・・・・)から良いが――人間って、自分の内に眠る“厄介な感情(爆弾)”に、意外と気づかないものなんだろうか?

 一度火が()いたら自分でも手に()えない感情(もの)に、そこまで無頓着(むとんちゃく)なものなんだろうか?

 そんな鈍感(どんかん)な人間たちに、何を期待(きたい)しても無駄(むだ)なのかも知れないが――それでも、言ってやりたいことはある。

 

 怒りをぶつけた相手の表情(かお)くらい、ちゃんと見ていてくれ。

 その目にどんな感情が宿(やど)っているのか、その目に自分がどう映っているのか――それくらい、ちゃんと見届(みとど)けてくれ。

 ぶつけてもどうにもならない怒りなら、他人(ひと)にそれを押しつけないでくれ。

 (ひと)りでそれを処理する方法くらい、考えておいてくれ。

 怒り(それ)は、爆発(ばくはつ)させればそれで終わりの“後腐(あとくさ)れの無い行為(もの)”なんかじゃないんだ。

 せめて、怒りの矛先(ほこさき)くらい、ちゃんと考えて設定してくれ。

Copyright(C) 2025 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.


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