【短編SS】2000年の子供
世界は歪んでいた。異能の強さが人間の価値を定め、概念、精神、物理、それぞれの最強者が頂点に立つ。そこでは「異能が強いものが正義であり、弱いものは悪」という思想が深く根差していた。超常技術は発展しても、異能なき科学は停滞したまま。それは、ある日突然、世界に拡散した異能のせいだった。その元凶は、僕だ。名前を持たない、ただの子供だった、僕。
始まりの過ち
約2000年前、僕はまだ幼かった。世界はぼんやりとした輪郭しか持たず、色も音も、僕にとっては曖昧なものだった。でも、たった一人だけ、僕の世界に鮮やかな色彩を与えてくれる存在がいた。僕の最初の幼馴染。彼女の笑顔は太陽の光のようで、声は優しい子守歌のように響いた。僕にとって、彼女が世界のすべてだった。
ある日、大人の声が彼女を「実験体」と呼んだ。僕の目の前で、彼女を奪おうとする、大きな影。心臓が凍り付いた。呼吸が止まる。いやだ、いやだ、行かないで。身体の奥底から、得体の知れない熱がせり上がってきた。それは、論理を超えた、大切なものを失うことへの純粋な恐怖。僕の、彼女を守りたいという、ただそれだけの衝動が、身体を突き破って溢れ出した。
空間がねじれ、法則が歪む。大人の影が、まるで脆い人形のように吹き飛んだ。僕の腕の中で、彼女が震えている。僕はただ、呆然と立ち尽くしていた。何が起こったのか、理解できない。目の前で世界が歪み、僕自身がその力の巨大さに戦慄した。これが僕の力?この、意味不明な現象が?純粋な恐怖と、言いようのない後悔が、幼い胸を満たした。僕には、選択の余地などなかった。
最初の絶望と停止
数年後、彼女は死んだ。僕が守ろうとした世界は、僕の力によって歪んでしまった未来を予知し、自ら命を絶ったのだと、大人たちは言った。彼女の小さな身体が冷たくなっていく。僕の世界は、色も音も失い、意味をなさなくなった。心臓が文字通り砕け散るような痛み。全身から力が抜け、色のない虚無に閉じ込められた。
自責の念が、僕を苛み続ける。もし、あの時、僕が力を発動しなければ。もし、もっと賢く振る舞えていれば。僕の存在が、僕の愛する者を殺した。この絶望が、僕の魂を外界から完全に遮断した。思考も、感情も、すべてが停止した。まるで砂時計の砂が落ちるのを止め、時が止まったかのようだ。僕は肉体として存在し続けながら、1000年以上もの間、ただそこにいるだけの「廃人」となった。何も感じない。何も考えない。虚無だけが、僕を包み込んだ。
再びの生と二度目の絶望
時が流れ、僕は社会の底辺を彷徨っていた。感情も思考も動かない、ただの肉塊。そんな僕を、現代の幼馴染と友が見つけ出してくれた。彼らは僕を「弱い異能者」だと認識し、蔑むことなく、温かく受け入れてくれた。凍てついていた僕の魂に、微かな熱が戻る。彼らの笑顔は、まるで千年の眠りから覚めるかのように、僕の心をゆっくりと溶かしていった。彼らの存在は、再び僕の世界に色と音をもたらす、唯一の光だった。
彼らを守りたい。今度こそ、僕の力で彼らを傷つけない。そう誓ったのに。
テロリストに襲われた幼馴染と友を救うため、僕は再び「捻じ曲げ」の力を解放した。それは、もう無意識の暴走ではない。彼らを救うためだけの、明確な「守りたい」という意志だった。しかし、僕のあまりに巨大な力に、彼らは恐怖した。目を見開き、震え、そして──僕を拒絶した。
「化け物……!」
彼らは僕を憎む革命軍へと身を投じ、最終的に、僕に銃口を向けた。愛する者たちが、恐怖の眼差しで僕を睨み、引き金を引く。その瞬間、僕の心臓は、まるでガラスのように砕け散った。裏切りではない。それは「理解されない孤独」と「受け入れてもらえない悲しみ」が入り混じった、言葉にできない衝撃だった。世界から、再び音が消え去る。僕の「生」は、二度目の停止を告げた。再び絶望の中で、時が流れる。
究極の選択と責任の完遂
二度目の停止の淵で、僕は全てを悟った。この異能に支配された世界の真の「元凶」は、他でもない、僕なのだと。感情が停止しているからこそ、僕は冷徹に、客観的に、自身と世界の歪みを俯瞰することができた。
そして、決断した。僕を突き動かした、あの「愛する者を守りたい」という幼い感情が、形を変え、僕の中で昇華された。これは、僕にしかできない「責任の取り方」だ。愛する幼馴染と友が平和に暮らせる世界を創るため、僕は異能そのものを「捻じ曲げ」、自らの存在を、根源から消し去る。僕自身が異能の究極の体現者だからこそ、それが可能なのだと直感した。
僕の存在は、光の粒子となって拡散していく。静かな安堵感。そして、微かな名残惜しさ。僕が消えることで、彼らが穏やかな日々を送れるなら。それだけで、僕の2000年は報われる。
薄れゆく意識の中、ふと、柔らかな声が聞こえた。
「ごめんね……そして、ありがとう」
それは、僕の最初の幼馴染の声だった。彼女の笑顔が、僕の視界を温かく包み込む。彼女は、僕の魂の停止を、遠い過去からずっと、どこかで気にかけ、そして理解してくれていたのだろうか。その言葉は、僕が2000年背負い続けた孤独な十字架を、最後にそっと下ろしてくれた。
残された証
僕の壮大な「捻じ曲げ」は成功した。異能に支配される悲劇の歴史は消え去り、別の平和な世界が創造された。幼馴染と友は、異能とは無縁の、穏やかな日々を過ごしている。
彼らの携帯の待ち受けには、二人が撮った楽しそうな写真があった。でも、そこには、まるで初めからそうであったかのように**「一人分の空き」**が存在していた。
かつて最初の異能が見つかったとされる「原初の地」に、一台の携帯電話が落ちていた。その待ち受けには、例の「一人分の空き」がある写真が設定されていた。
一羽の鳥が、その携帯のボタンをつついた。画面が切り替わり、かつての僕と、僕の最初の幼馴染が並んで写った写真が表示された。
それは、僕が消え去った世界に残された、唯一の「証」。
僕の2000年の旅と、愛する者たちへの絆を、無言で語り続けていた。
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