1-2_【顔の同じメイド】
クリスタル・メモリーズにおいて、エルドの家庭はあまり深堀されていない。
主に主人公やその仲間の過去の深堀が多く、時々NPCの過去が深堀されるが、エルドに至ってはまるでないのだ。
父親は海外で健在であり、エルドはキモデブの変態貴族になっており、母親は早くして亡くしている。それくらいしか分かっていない。謎の多いエルドのためプレイヤーからは様々な説が流れたが、結局はただのクズでデブの変態だということになった。実際ゲームではそうなのでさもありなん。
だが、それはあくまでもゲームの話だ。
エルドとして生まれてしまった僕は、善人であろうと現状ひたすら努力をしている。勉学に励み、筋トレに励み、他者とのコミュニケーションを積極的に行っている。
今のところこれといった成果はなくとも、年単位で時間が過ぎればなにかしら影響は出ると思っている。
そして今、僕はメイドさんに足を抑えられて腹筋をしている。
「三十九、………、……………四十」
「まだ、お、お願いします!」
「分かりました、どうぞ。四十一………………」
(ぬぅ、ぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!)
腹が邪魔でまるで腹筋が出来ない。自力で四十回まで起き上がれたが、それだけでもかなり体力と時間を使う。脂汗をだらだらと垂らしながら、荒い息を吐くがメイドさんは情け容赦なく足首を掴んで一言も発さない。
相変わらず不愛想なメイドさんだなと思う。
ワトキンス家にはメイドと呼ばれる職業の人が多くいる。数えただけでは三十人は確実にいるがもっといるのかもしれない。しかし公爵家だ。家がデカいため、メイドさんもとい家政婦がいてもおかしくはない。だが、おかしいのはそのメイドさんの顔だ。
「………四十二」
瓜二つなら、まだ「一卵性双生児の姉妹かな?」で終わるが、三十人全員が全くの同じ顔なのだ。一卵性三十生児なんてそんな奇跡があるわけがない。王宮のメイドでさえ違う顔づくりがされているというのに、うちのメイドが同じ顔なのは理解できないというものだ。
ぐぐぐぐぐ、と起き上がり、すぐに倒れ伏す。もう一度起き上がろうと両手を後頭部で組み、息を切らせながら起き上がろうとする。
さながら汽車のような荒い熱い鼻息が放たれ、熱気が放出される。
「四十三」
全力の腹筋に淡々と言葉が数字を重ねていく。
メイドさんの顔は無表情で、こちらがメイドさんの謎を考えているとは一切思っていないのだろう。早く仕事終わらないかな、というような虚無の瞳をこちらに向けてる。
全く顔の似たメイドさんはこの人以外にも沢山いるが、僕の筋トレを手伝ってくれるメイドさんはこのメイドさんだけなのだ。
頑張ってメイドさんの不思議について考えるが、どうやら肉体の限界が勝ったようだ。起き上がろうとする身体がピンと伸び、最終的には床に脂肪がぶつかった。ばるんと震える身体に僕は「げ、限界」と言うのが精いっぱいであった。
「四十三回ですね。昨日とさほど変わってませんが、今日は四十四回に行けそうでしたね」
「それでも一日五十回にはまだ届きそうにないけど」
さながら浜辺に打ち上げられたクジラの死体のようにぐでっとした様相からピクリとも動けない僕の顔面が白に覆われた。疲労困憊の手で持ち上げたそれはタオルだった。
見ればメイドさんの視線が僕に向いていることがわかった。
「ど、どうしたんです?」
「早く拭いてください。拭いたら洗濯に出すので」
「何故僕の顔をじっと見てるんです? 何か虫かなにかでもついてます?」
「虫がついてたら”あの子”が許しませんね。どこからでも駆けつけます。私が見ているのは謎からです」
「なぞ?」
首に溜まった汗を拭くと、いつの間にかタオルが僕の手から離れてメイドさんの手に渡っていた。
メイドさんのよくわからない発言に目を瞬かせると、メイドさんは自分の顔を指さした。
「エルド様が言葉を喋られるようになってしばらくして、私達を個々の存在として認知して接していたことです」
「というと?」
「当たり前かのように答えられますね。旦那様ですら慣れるのに十五年費やされたというのに。エルド様はほんの一年ほどで私が私だと気づかれています」
そう言われても、と僕は困惑顔で返す。
ゲーム内で彼女達が登場するのはラスボス戦。全くの同じ顔だが、それぞれタイプも武器種も違う。それに現実では戦闘だけでなく日常業務でも見かける為、一カ月もあればどのメイドさんが誰なのかは大体掴める。
その理由でこちらを見つめるとなると、おそらく僕がどうやってあの何十人といる同じ顔のメイドさんを識別しているのか気になった。そんなところだろう。
(だからといって僕の顔を眺め続けても意味がないだろうに)
僕はメイドさんと違って一人しかいないのでいくら観察しても他との違いなんて分からないだろう。
僕はそう思いながらゆっくりと身体を起こす。
「身体が重い…(物理)。運動してるのに体重は増える一方だ…」
「成長期でしょうか? すくすく育たれて奥様も喜ばれますよ」
「横にすくすく育ってもなぁ…。これじゃぁ健康診断でひっかかる。生活習慣病待ったなし。子供の頃は可愛いかもだけど大人になったら後悔するんだ…」
まんまるの顔は子どもであればまだかわいい方だ。だるま君だったりおもち君だったり、小学校からの友人にそういったあだ名をつけられている人を僕は知っている。だが高校で一緒になった時は豚男だったりオーク、ゴブリンロードと呼ばれる巨漢になっていた。かわいいよりも「臭そう」「粘っこい」という意見が多かった。
僕は自らの腹をつまんで震わせる。ぶるぶると揺れる腹に顔を歪ませ、その脂肪を引っ張った。ばるんっと脂肪が跳ね返る。掴んでちぎれればなんと素晴らしいことだろうか。
僕の奇行を見ながらメイドさんは指を手に当てて小声でつぶやく。
「そのままでも私達は構わないんですけどね。男の人間は難しい…」
☆★☆
厨房にいくと金属音と油が熱される音が耳を、そして良い香りが鼻腔をくすぐった。
「あら、エルド様」
美味しそうな臭いから夕食のメニューを考えていると、厨房の右端で大鍋を煮ている女性から声がかかった。
その女性はそそくさとこちらに小走りで近づき、こちらに視線を合わせる。
「夕食の仕込み中にすいません。不躾なお願いですが…」
「いつものですね。構いませんよ」
差し出した手紙、もといメモの切れ端を受け取り、その何十人といる顔の同じメイドさんの一人は笑顔で答える。
ワトキンス家の厨房では料理長が一人、メイドさんが四人の合計五人で回している。
料理長は父親が学生だった頃の後輩であり、後に正式に雇われている。本人は顔の区別は全くつかないらしいがメイドさんの事情を知っているらしく、さほど気にした様子がない。
「消化酵素のたっぷり入ったスープですね。でもこれだと漢方を水に溶かした味とかになりそうですね。にんにくと鷹の爪とかで美味しそうにしましょう」
僕の書いたメモ、脂肪を排出するための自己流健康料理の提案を見てメイドさんは人差し指を立てる。その動きの仕方になんとなく違和感を覚え、僕はメイドさんに問い掛ける。
「ねぇ」
「なんでしょうか?」
「もしかして親指切りました? カボチャを切っている時とかに」
「――――っ」
はっとメイドさんが目を見開き、ささっと右手の親指を隠す。どうやら当たりのようだ。
「ちゃんと洗いましたか?」
「はい。一応体質上治りが早いので問題はないと思いますが、料理長から絆創膏はしてろと言われたのでつけてます」
ひらりと見せる右手の親指の関節あたりには小さいが、確かに絆創膏が巻かれていた。本当にちょっと切っただけらしい。
彼女は他のメイドさんと比べて少し真面目さが勝っており、なおかつ問題があった際に自分で何とかしようとする傾向がある。報告自体はするが事後報告になるものが多い。そしてメイドさんの全ては利き手が右だ。
(メモを受け取る時に左手だったから右手に何かあると思っていた。そしてこのメイドさんの場合、人差し指を立てる際は親指を三本指の上に置くけど、今日は下においていた。すなわち、親指を怪我したから他の人に見られたくないと推測したが…)
大正解のようだ。しかもカボチャを切る時に怪我したのも合っている。
「エルド様はなんでも見てますね」
「なんでも、は言い過ぎですよ。見れるところは見ているだけです」
「そこがすごいところだと思います。私は普段屋敷内から出ないので噂ですが…」
「おい、手ぇ止まってるぞ! よそ見してたら焦げるぞ!」
こそりと僕の耳元に手を当てて囁こうとするメイドさん。生暖かい息がかかり、ぞわりと興奮とも恐れともつかない冷や汗が背中を流れる。
その僕の心を揺らがせるような声が紡ごうとした言葉は、厨房の奥でフライパンをせわしなく動かしながら怒鳴る料理長によって遮られた。
ぎょっとするメイドさんの動きが止まり、ちらりと大鍋を見る。あまり強火にする料理ではないのだろう、鍋の火元からはごうごうと炎の手が挙がっておりメイドさんと僕の距離が一気に離れた。
「あぶなっ! うん、まだ大丈夫。沸騰前ね。これだから火加減の調節は難しいのよね…」
「焦がすと雑味が混じるからな。雑談に花を咲かすのは仕込み終わってからにしろ」
「ごめんなさい料理長~! あぁっ、今度は火が小さくなって…、あぁもう! やりにくいったらありゃしないわ!」
忙しくなるメイドさんの動きに、僕はここに居ても邪魔になると思って厨房の出入り口まで行く。振り返って「失礼しました」と一礼すると、大鍋をかきまぜながら火の調節をするメイドさん、そしてマッシュポテトらしきものを作るメイドさん、そしてパン生地をこねるメイドさんがそれぞれ笑顔で手を振ってくれた。
☆★☆
「これで、どうでしょうか」
「むむぅ………。無理です。負けました…」
屋敷内にある遊戯室。その内の一つには戦陣シュミレーションマシンがある。これはゲーム内で、キャラクターのダミーを使って陣を組んでお試しでNPCと戦える、ゲーム内のゲームだ。
本来のバトルシステムと違って、あらかじめキャラクターが固定されており、かつ本来は六人から十人で一組が作れるがゲームでは一組八人固定である。キャラクター性能を試すよりも、プレイヤースキルを高めるためのものだ。
午後の筋トレが終わった僕はそのシュミレーションマシンでメイドさんと対戦をしているのだ。
「相変わらず良い戦術ですね。一点突破とみせかけて前線部隊を一時的に離脱させ、脱落させたように見せる。離脱させた「突撃」を完全に捨てる動きで、なおかつ停止状態なので撃破済みだとばかり…」
「うむむ」と唸りながら、メイドさんは画面内のキャラクターを動かす。ものの最初は敢えて負けて僕を立たせるというスタンスだったが、ボコボコにしたため最近はメイドさんも本気で勝ちに来ている。
エルドの身体はどうにもデブであり、戦うことに適していない。屋敷内の武器を少し触らせてもらったところ「砲撃」に適性があるようだったが、武器種「砲撃」を扱うキャラクターは攻撃力よりも命中率と速度が大切だ。命中率はあっても絶望的な速度なので自然と、前線にいくよりも後方で指示を出す方が合っているとなる。
(エルドはプレイアブルじゃなかったし、戦闘も見たことないからなんとなく分かっていたけど戦闘には向いてないんだよな、このキャラ)
ワトキンス家の領民は領主のエルドにはすさまじいヘイトが向いてるが、領民の生活は比較的安定している。ほとんどの国の雑貨店や装備店と比べて、ワトキンス領の店が一割ほど安い値段なので領の治安や経済に関する手腕は高かったのだろう。
しかし絶望的な性格の悪さで、そんなことに気づかない人も多い。気づいても圧倒的な救えなさがにじみ出ているため、彼の持つ長所には目が行かなかったのかもしれない。
(もしかしたら、ゲーム内のエルドも戦えないって分かってたから領内の経済や治安を守る指揮的立ち位置にいたのかもな)
本人が本当にそう思っていたのかは語られていないが、僕がエルドだったからそう思っている。
「ふむふむ、今度からはこういった戦法を取る時は分裂した敵は一度つつかなければなりませんね」
「では、つつく暇を与えないようにしなければいけないですね」
「エルド様の鬼、悪魔、人でなし、喋る脂肪」
「最後の方の悪口は刺さるのでやめてください」
ぐっと心に来るものを感じて呻く。自分に言ってないのに偶然にも当てはまったため喰らう流れ弾と似たような感じだ。理不尽。
メイドさんは画面を動かし、次の陣形とキャラの配置を決めながらこちらに声をかける。
「そういえば領主主催のイベント「青少年戦陣指揮大会」、また優勝されたと聞きました。おめでとうございます」
頭も下げず、目線も配ってくれず、しかしお祝いの言葉は本心から出てきたと思われる凛とした声で。このメイドさんは僕をほめてくれる際はこのように、なにかをしながら不意に口に出してくるのだ。顔を見て褒めるのが得意ではないのか、無理やり目線を合わせようとした時は床に組み伏せられてからお祝いされた。
ちなみに、今メイドさんの言った「青少年戦陣指揮大会」というのはエルドの父がやり始めた村おこしの一つである。村の戦陣シュミレーションゲームが得意な人々が集まってトーナメント形式で戦う遊戯大会であり、二月に一回行われる。
そして僕はその大会の優勝者の常連であり、村の切り札と言われた元軍人のおじいさんすらも唸らせる実力の持ち主だ。
「彼女が、エルド様が優勝するたびに煩く言ってくるんです。一応私も勝敗に興味はありますが、いちいち騒ぎ立てるほどのことではないと…」
「彼女」、というのはおそらくあらゆることが満遍なく出来る万能メイドさんのことだろう。僕のお世話係の一人であり、何故か僕に虫が付くことを嫌うメイドさんだ。といっても、僕はハイハイができるようになってからはほぼお世話はされたことがなく、むしろぼうそうしかける彼女を抑える人だったので、お世話されているのはどちらかと言えば彼女の方だと言える。
「あぁ…」
「構造上、同一体を元に造られてはいないので一部性格の違いはありますが、彼女はよくわかりません。媒体の自我が強すぎたのかもしれませんし…」
「なんの話かさっぱりだけど、彼女が自由すぎるのは確かにそうですね」
「もう少し抑えてくれれば楽なんですが」
はぁ、とメイドさんがため息を吐く。
メイドさんの顔は全部同じだ。しかしその性格で歪む顔や体の動きは、それぞれ全く違う人であった。