1‐1_【日常の一端】
「クリスタル・メモリーズ」、というゲームがある。
スマホとPC対応のゲームであり、ジャンルは恋愛シュミレーションとファンタジー系RPGの融合したものだ。僕は恋愛シュミレーションは攻略サイトを見ながら進めた勢だが、バトルに関しては縛りプレイをしたりとかなりやり込んだ人でもある。
舞台は惑星アルマス。明治初期のようなレンガや馬車、街灯のある技術力を持った星だったが、ある時巨大な隕石が海へと落ちる。その隕石にへばりついていた細菌や生物がアルマスの生命体に乗り移り、元ある文明を侵略しようとする。
人類はひそかに作り上げた、対星外生物武装を用いて応戦するが完全に討滅することは出来ず、一部の汚染地域を残して拮抗状態に入った。
やるべきことは、汚染地域の星外生物を討伐し、この世から危機を抹消することだ。
簡単に説明するとこんな感じだが、実際はもっと複雑だ。
なんにせよ無料で出来るゲームにしては完成度が高く、有料アイテムがなくとも高難易度コンテンツをクリアすることが可能と言う良心的なオープンワールドRPG。配信直後は声優による声あてもなく、しかも海外産のためかあまり話題に上がらなかったが、様々なミームを踏襲したゲームの作りに盛り上がりを見せたのだ。
そんなゲームだが、ボスや隠しボスの他にも、プレイヤーからの怒りを買いやすいヘイトキャラが居る。追加コンテンツも多くあり、その度に苛々させるNPCが出てくるが、このキャラだけは最序盤からヘイトの帝王の名を欲しいがままにする。
それが、僕が転生した先でもあるエルド・ワトキンスだ。
言葉を話すオークロールとまで言われる彼はまさに巨漢。脂肪がでっぷりとあふれ出ており、滝のような汗とテカテカと光る皮脂。粘着性のある効果音が文字となって出てくるキモさ。これを3Dモデルに落とし込んだ奴の気が知れないと言われる始末だ。
痩せればそれなりに見れる顔になりそうだが、いやはや残念。そのあまりにもクズで鬼畜な性格とすさまじい変態っぷりによって多少の可能性をボディプレスしているのだ。
勿論、僕もエルドはクズだと思ってるし二次創作、同人誌の汚い男役になってる彼のことは大嫌いである。
しかし現状、僕はそのキャラとして生を受けているのだ。死に際の幻覚や、瀕死の意識不明の間に見る夢、ただの名前の偶然の一致、あらゆる可能性を考慮したが、この生きているという感覚は本当のものだとしか思えない。
それに偶然自分の名前が一致した、だけではない。
ワトキンス家が公爵家であること、世界は宇宙から飛来した生命体と戦争状態にあること。汚染地域の完全一致、王の名前の一致、前の王権が廃れた理由の一致、マップのオブジェクト、バトル時の陣形の種類、武器の名称、なにもかもが一致していたのだ。
これはもう、この世界がゲームと酷似した世界だということである。
様々な思考と時間を経て、僕は沢木亮平ではなく、エルド・ワトキンスとして生きていると実感した。
(なによりもこの歳でこの贅肉だ。ぽっちゃりなんてものじゃない。デブだ。間違いなく健康診断できつめに注意されるタイプの肥満児だ)
現在十四歳、LLサイズの服がパツパツになっているこの身体こそが最大の物的証拠と言うものだ。
この恵体、間違いなくこのまま行けばゲームで登場した通りのキモデブとなる。それは絶対に避けたい。
そう考えている僕は今日も今日とて、屋外のテラスで筋トレに関する本を読んでいる。何故筋トレか。絶食や野菜食はどうなんだと考えたこともあるが、この身体、何を消化して太っているのか本当に分からないのだ。
(試しに五日間、水のみで生活したがむしろ体重は増えた。菜食メインにしても同じだ。みるみる太る。内臓脂肪を便にして出すという医薬品も試したが、薬の効き目より脂肪の増長具合が勝った。となれば、あまり食べずに、運動するのみだ)
動けないデブより動くデブの方、社会的に見て評価が高いのは明らかだと考えた僕は、毎日欠かさずにランニングをしている。その他、ストレッチを行いスクワットなど筋トレも欠かしていない。
今こうして読んでいる本も、「効率よく鍛える方法・中級」というボディビルダーや軍の筋トレ方法に活用されている有名な著書でもある。僕の体型を見かねたメイドさんが買ってくれていたものだ。
「筋トレだけじゃだめだ。ゲームと酷似しているとはいえ、ここは紛うことなき現実…。どこで知識のすれ違いが起こるか分からないんだ。もっと勉強しないと…」
ゲームの電子世界と違って、ここは生き物に血の通った本当のリアル。敵を倒せば、それは敵を殺すことになり、ダメージを受ければ血が流れる。ゲームでは先頭に巻き込まれても死なないNPCも、この世界では生きている人間。つまり戦闘に入れば死ぬことになる。
大事なのは、知識だ。
ゲームと同じように、この世界は戦闘に入ると陣を組んでそれぞれ指示されたところに戦いに行く。「強襲」、「奇襲」、「突撃」、「補給」、「支援」の五種類のタイプがあり、それぞれ違った戦い方がある。武器も「砲撃」、「剣」、「槍」、「盾」がある。これは現実でも同じらしい。
今のところ、知識的な違いは見受けられないが、あるかもしれないと考えて損はない。知識があれば、想定外の事態にも対応することが出来る。
僕は筋トレの本にしおりを挟み、メイドさんの作ったプロテインと何かのスムージーを持って椅子から降りる。ずっしりと、地面に立った足の関節に圧力がかかるのを感じた。今は幼さで誤魔化せている範囲だが、このまま太れば間違いなくゲーム通りの駄肉の塊りになる。
さらーっと僕の額を一筋の汗が垂れ、ぞっと背中が震える。脂肪が揺れるが、健康のためにはこの身体を魔改造しなければならない。
僕はずっしずっしと地面を踏みしめながら屋内へ、自身の部屋へと戻る。
「エルド様」
戻っている途中で反対方向から声がかかった。凛とした声音に、今さっきまで誰も居なかった廊下からの不意打ちにぎょっとする。振り向けば、銀髪青眼のメイドさんが籠に洗濯物を入れて立っている。
おさげの髪を揺らしながら、メイドさんは私に一瞬で近づくと持っている洗濯籠から洗われていない服を取り出す。
「な、なんでしょうか」
「動かないでください」
瞬間、メイドさんが持っていた服が右手ごと消え、軽く僕の前髪が揺れる。目で追うことのできない高速の手さばき。気づけばメイドさんの持った服、それを手袋代わりにして何かを掴んでいた。
「カメムシです。エルド様に付くとは物好きな…」
「まるで一般人からはあまり好かれてない、みたいな物言い…」
掌に掴んだカメムシを見て、メイドさんがため息をつく。自然な流れのディスりに思わず困惑の声を上げる。言いかけて、口を噤んだ。
実際、領民からはあまり好かれていない。ゲームでワトキンス家の領地を訪れることがあったが、領主のエルドに対して、領民の評価は散々だった。
僕が言い淀んだのを尻目に、メイドさんは一礼して去っていく。まるで忍者のような出現のしかただというのに、去る時は人間のようにすたすたと歩いている。
(気遣ってくれないのか…。むしろ気を遣う必要が無いと思われているか…)
少ししか動かない顔のパーツから読み取れる情報は少ない。しかし身体の動きや周囲の目からわかる情報もある。
言葉を話すニュアンス、目線、他人への態度、接する時に使う手、持っているもの、それら全てを統合して考えれば、少なからずメイドさんは今の僕に対してマイナスな評価は無いと言える。それはつまり、これから下がるということでもある。
「ひとまず、勉強しなければ」
メイドさんが見えなくなり、僕は自分の部屋に行き扉を開ける。
まず見えるのは本だ。むしろ本しかない。大量の本が、まるで図書館のようにあちこちに置かれている。戦術に関する本、外国の偉い人の書いた本、星外生物に関する本、近接戦の本、筋トレの本、食事療法の本など、様々な種類の本がベッド以外のあらゆる場所に山と積まれている。
僕は本の山という障害物を上手いこと避けながら、机に積まれた新しい本を手に取る。それは父親が海外から送ってきた本だ。見開きを開くと簡単な手紙が同封されている。
「前はしっかり刻印つきの手紙だったのに、いつの間にか挟むだけのやつになったな…」
エルドの父はメインクエストクリア後の海外のクエストで知り合うが、エルドの父とは思えないほどの圧倒的な器の広さと碩学たる頭の回転の速さを見せ、プレイヤーからはエルドは養子なんじゃないかとすら言われている。
そんなエルドの父はワトキンス家の領主であるものの、その聡明さと人望の厚さで各国のあらゆる組織を訪れている。そのため滅多に家には帰れず、息子のエルドの為に数冊の本や珍しい民芸品を送り届けているのだ。
僕はぶくぶくになった太い手で器用に折りたたまれた手紙を開く。
『我が親愛なる息子、エルドへ。
最近は隣国のリーフィス公国で汚染地域が突如発生したそうだ。やはり地脈と関係があるのではないかと考えられるが詳細は不明だ。なのであまり隣国に近づかないように。
最近どう過ごしているだろうか。一応、領主の仕事は部下が見てくれているが、エルドも早く領主の仕事ができるようになってくれ。
次に帰ってくるのは再来年になるかもしれないが、お母さんと共に仲良く過ごしていてくれ。お母さんが困ってたら、助けてあげるように。
今回は珍しい民芸品は送れなかったが、リーフィス公国の『リーフィス公国の民間宗教大全~正統からカルトまで~』と『オグリ大戦の真実~元軍人が語る。奇跡の真実~』、『男の夢!幻想生物大追跡!』を包んでおく。
それじゃぁ、また。
グロリア・ワトキンスより』
手紙が挟まれていた本には、黒い背景に年老いたおじさんの顔がアップで映っており、『オグリ大戦の真実~元軍人が語る。奇跡の真実~』と書かれていた。
その本の後ろには宗教大全という、辞書のような厚さの本。その後ろにはオカルト系雑誌のような薄い本、もとい『男の夢!幻想生物大追跡!』があった。
「本のセンスどうなってんだ…」
そもそも隣国は全面的な宗教禁止のはず。どうしてこんな辞書のような厚さで宗教大全があるのか。宗教禁止なら正統もクソもない、全部カルトだというのに。
エルドの父はこういった贈り物のセンスが壊滅しているのか、組み合わせの不明な本を送ってくる。最初は何か伏線がるのかと思っていたが、そんなこともなく本当に選ぶセンスがないのだと知った。
「まぁ、送られてきたし、読んでみるか」
僕は椅子を引き、どっかりと座る。ミシッと椅子が軋む音が聞こえるが、やがて僕のいる空間は紙のめくる音しか聞こえなくなった。