宿屋『銀猫亭』①
冒険者ギルドから…というか受付のソニアさんから紹介された宿屋は冒険者ギルドから程近い、大通りから一本入ったところにひっそりと存在していた。
宿屋であることを示すのは玄関の上に設置された看板のみ。
店名は『銀猫亭』。
看板に描かれたベッドとナイフ&フォークがピクトグラムっぽい。
それ以外は小綺麗な民家という印象。
建物もそんなに大きくないし、民宿なのかな?
グレアムさんの本音毒舌トークに翻弄されながら冒険者ギルドに戻り、薬草を買い取りしてもらい、グレアムさんに報酬を支払い、残ったお金を持って宿屋に来たわけだが、この世界で初めてお金を使うと思うとドキドキする。
この世界の標準的通貨『ストーン』は日本の百円玉に似た銀貨だ。
価値も大体1ストーンが百円くらい。
つまりグレアムさんは2500円程度でチュートリアルを引き受けてくれたわけで、大人を一日拘束した謝礼金としては格安だったとわかる。
一方、宿屋は2500円程度で泊まれるとすると、格安すぎて不安になる。
ちゃんと食事ついてくるかな…。
「ごめんくださーい」
民家っぽいので、つい、挨拶も民家訪問みたいになってしまう。
玄関ドアを開けると、カランコロンとカウベルが鳴った。
一歩中に入ると…まあ普通に民家の玄関ホールで、花瓶に花が活けてある所や壁に絵が飾ってある辺りが少しおしゃれな感じがするが、それだけだ。
ただの民家でないらしい点としては、ホテルのフロントらしきカウンターがある。
奥には食堂らしき場所が見えるが、無人のようだ。
窓辺に灰色縞模様の猫が寝ている。
あれが銀猫亭の名の由来かな?
見ようによっては銀色っぽく見えないこともない。
カウンターの上に呼び出し用のベルがあったので、チーンと鳴らしてみた。
返事がないのでしばらく待ってみる。
手持無沙汰で周囲をあれこれ観察していると、不思議な張り紙に気づいた。
『当店は静謐を重んじております。店主との会話は筆談またはパントマイムが基本となっております。音声による会話をお望みの方は残念ですが他店のご利用をお勧めします』
なんだこれ。
カウンターに筆談用なのだろうか、小さな黒板がある。
よく見ると筆記用具がたくさんある。
紙と羽ペンとインク壺、この辺りはまあ普通だとして、石板というのかな、スレートみたいな石の板におそらくは石筆というものなのだろうペンの形をした石の棒が添えてある。
それに砂を敷き詰めたトレイ…これって指で書くってことだろうか。
なんだか宮沢賢治の童話の世界に迷い込んだような気分…。
注文の多い料理店ならぬ筆談の多い宿屋さんだ。
ふわふわとした気持ちでぼーっと異世界情緒を味わっていると、カウンターの奥から人が出てきた。
真面目そうな雰囲気の大人の女性で、クラシカルな白エプロンをかけている。
この宿の女将だろうか。
「えーと一泊…じゃなかった筆談だった」
うっかり音声会話をしそうになって、慌てて石筆に手を伸ばす。
なんで石筆を選んだのか。
レトロなグッズを使ってみたかったから。
これも異世界のロマンだよ。
さて、筆談、筆談。