宿屋『銀猫亭』②
(以下、筆談)
『一泊したいのですが』
『いらっしゃいませ。新人さんですか?』
『はい。冒険者ギルドで紹介されてきました。アーウィンと申します』
『静謐の決まりがありますがよろしいですか?』
『それはかまいません。お金をあんまり持っていないのですが、宿泊と食事でおいくらですか?』
『一人部屋に一泊で15ストーン、夕食が3ストーン、朝食が2ストーンです』
『お風呂とかありますか?』
『公衆浴場が近くにありますけど、井戸端で水浴びするならタダです。お湯で体を拭くなら桶一杯1ストーンです。お洗濯など詳しいルールはそこの壁に貼ってある注意書きをお読みください』
………
たったこれだけのやり取りに何分かかっただろう。
筆談って時間かかる。
石板と石筆で、書いては消しを繰り返していると特に。
書いてるうちに気づいてしまった。
俺も女将さんも日本語書いてる。
『会話も読み書きも不自由しない』って言語チートじゃなくて『日本語通じます』だったのか!
……愕然とした。
なんだろう、この言うに言われぬ失望感は。
一瞬手が止まってしまい、ちょっと気まずい。
しかも両者ともに沈黙しているため、静寂が耳に痛い。
なんかBGMとかあればまだしも。
せめて時計の秒針の音とかでも。
ふと気づいたけど、この世界に時計ってあるんだろうか。
時計職人さんが転生してきていなければ、デジタル時計はもちろん、アナログ時計もないかもしれない。
だからどうということもないけど、ちょっと心に留めておこう。
なんだか不思議な宿だけど、ここより安くて清潔で安全な宿はない、とソニアさんが断言してたから、ここに泊まることにする。
『笑ってはいけない』だと辛いけど、『喋ってはいけない』くらいならなんとかなるだろう。
どうせ夕食食べたら寝るだけなんだし。
水浴びは寒そうだから、お湯をもらうか銭湯に行くか……あ、でも体を拭くタオルを持ってない。
異世界ホテルにアメニティーなんかないだろうけど、一応、筆談で尋ねてみよう。
『体を拭くタオルってありますか』
『フェイスタオル5枚セット3ストーンで販売しております』
高いんだか安いんだか判断がつかない。
でも冒険者ギルドでの野次だか雑談だかを思い出すと、布製品は買っておくべきかもしれない。
あらゆる布製品が手作りな上、作り手が限られるとしたら、入手機会も限られる気がする。
『タオルセットください』
俺はタオルセットを手に入れた!
「……タオル地じゃないですね、これ。手ぬぐい?」
「ガーゼタオルです」
ふーん、………って今しゃべった?
ギュインと首を回してカウンターを見た。
露骨に目を逸らしている女将さん、貴女今喋りましたよね!
女将さんは頑なに目を合わせようとしない。
喋ろうと思えば喋れるんじゃないか、あんた。
静謐のルールってなんなんだ。
・お宿『銀猫亭』
無口で真面目そうな女将が切り盛りする民宿。
静謐のルールがある。
食事は美味い。
・『銀猫亭』の女将
極度のコミュ障。
なのに宿泊業をやりたくて、試行錯誤の末、静謐のルールを設けた。
声が出ないわけではないが、知らない人としゃべれない。
知ってる人ともあんまりしゃべらない。