20 水面
私は池の中に座り込んだままで、現在の状況になんだか笑えて来てしまった。
こんな時だというのに、夕焼け空がとても綺麗だった。夜になるほんの少し前の瞬間、不思議な色の光が辺りを包んでいた。
ほんの数時間前にはケーキが倒れて来たというのに、次は池の中に落とされてしまった。
それもこれも、私がもっと婚約者である彼に素直になって、レンブラント様へ気持ちを伝えていれば、起こらなかったことなのかもしれない。
とんでもない妙な事態が短時間に立て続けに続いてはいるけれど、これまでの私の行いの自業自得と言われればそれまでだもの。
私は婚約者レンブラント様の冷たい態度がちょうど良いと思いつつ距離を取り、そんな中で一番に大事にしなければならない彼の気持ちを考えられていたとは、決して言えないのだから。
だから、これはそんな私の傲慢さに対する、報いなのかもしれない。
水面に映る数字。これは、自分が可愛い証拠だ。
……私は自分を優先して、レンブラント様には何ひとつ本音を言えていない。
『70』からゆっくりと、ひとつひとつ下がってしまう数字。当然だ。本当に嫌になる……こんな、情けない自分。
「ふふふっ……うっ……ううっ……」
そんな自分がとても情けなく思えて泣けて来てしまって、私は両手で顔を覆った。
今現在、自分が泣いている場合でもないことは、痛いくらいに知っていた。
もし、顔を変えることの出来る能力を持つナターシャ様からの被害を訴えるならば、現行犯で捕まえてもらうしかない。
誰かにこれを伝えるならば、こんなところで泣いて時間を無駄にしている場合ではない。
けれど、どうしても足に力が入らない。
それに、こんなずぶ濡れの姿で、王族であるレンブラント様に会える訳がない。もう一度あの部屋に戻って、服を整えなければ……。
泣いていた私は、突然ザバっと聞こえた水音に驚いて顔を上げた。
「リディア……これは、一体どういうことだ?」
そこに居たのはなんと、私が会いに向かおうと思っていたレンブラント様だった。彼は濡れることなんてお構いなしに池の中に入り、躊躇なく私に近づいて来た。
「レンブラント様。いけません。降ろしてくださいっ」
水に浸かったままだった私は抱き上げられたのだけど、レンブラント様が着用されている豪奢な服が濡れてしまうと思った。
王族である彼は何人かの護衛騎士を連れて歩いていたようだけど、彼らも慌てていてありえない事態に驚いているようだ。
「……いいや、駄目だ。これは、誰にやられた? 突き落とされたのか。今日あったケーキの件だってそうだ。リディア。犯人に目星は、付いているのか?」
イーディスが見たと言っていたレンブラント様の怒りの表情を見て、私は驚いて何も言えなくなった。
とても……怒っている。けれど、それは婚約者である私のために。
唇を結んだままのレンブラント様は長い足で橋へと登り、自分の宮へと戻るために歩き出した。
「……あの」
私たちは婚約者同士だから、こういった姿を誰に見られても何も問題もないはずだけど、廊下に居る女官たちは嬉しそうに声をあげ、興味津々で見ていた。
私は何故かびしょ濡れになっているし、それを横抱きにしているレンブラント様は怒りの表情だ。
訳有りで何かあると思われても仕方ない状況だし、実際問題、私たち二人の間に何かはあった。
これは、明日には貴族中の噂になってしまうと思う。
もちろん……私に公然と宣戦布告したジャイルズ公爵令嬢ナターシャ様と結び付ける人も居るかもしれない。
彼女本人の言葉を借りれば、それは立証不可能らしいけれど……。
「リディア。君がこんな池の中で、一人で泣いているなどとは思わなかった。遅くなってすまない。なかなか連絡が来ないから、僕の方から話を聞きに行こうと思ったんだが、まさか……こんな事になっているとは……」
池の中で泣いていた私の姿をその時に思い出したのか、レンブラント様は怒りの感情で言葉を失ってしまったようだ。
「……ごめんなさい」
失態続きになってしまったのは、私の方なのだ。公然と宣戦布告されて、ケーキ塗れになり、池にまで落とされた。
相手が企んだことだろうと言われればそれまでだけど、私だって引っかかってしまうことを防ぐことは出来たはずなのに。
「謝ることなど、何もない。しかし……何があったんだ。リディア。詳しく教えてくれないか」
強い怒りのせいか感情がすっかり昂ってしまっているレンブラント様は、いつもの素っ気ない態度など、どこかに行ってしまったのか、問い詰めるように早口だし……それに、ふと目についた彼の頭上にある数字。
これは、見えるようになった日から変わらずに、最高値『100』のまま。
「あの……レンブラント様。私、お伝えしたいことがあるんです」
「どうした。リディア。言いにくいかもしれないが、犯人さえ教えてくれれば僕がどうにかしよう」
「いえ。違うのです。そうではなくて……」
私たち二人はきっと、これを伝えるところからでないと、進めない。
「そうではない? どういうことだ?」
不可解そうな顔のレンブラント様にぶつけるように、私はずっと言いたかった言葉を口にすることが出来た。
「私はレンブラント様の事が、好きなのです。誰にも取られたくないと思いました」
「……え?」
早足で進んでいたレンブラント様は立ち止まり、私の顔を見つめた。
まさか、こんな状況で私からの告白を受けるとは夢にも思っておらず驚いているようだ。
これまで私が一定の距離を保ち彼に接していた事を考えれば、それも仕方ない事だと思う。
やっと言えた。本当の気持ち……これまで本当に、長かったけれど。




