98.疑念の森
近くで、怒号と罵声が飛び交った。
「皆、荒れてるね」
オレンジ色に輝く火明かりに薪をくべながら、アネッサが小さくかぶりを振った。その焚火の脇に、リテリアが串に刺した肉料理を並べて炙り焼きにしてゆく。
傍らでミラベルが、小さな溜息を漏らした。
「実戦の相場というのがわたくし、よく分かっていないのですが、そんなわたくしでも、今日の戦闘は尋常じゃない程に疲れましたわ……」
ミラベルがいう様に、この日遭遇した魔性闇獣の数は異常な程に多かった。
同行している教官の話によれば、実戦研修の中で一日に遭遇する魔性闇獣は多くても三度程度、四度にもなれば多いと見て良いということだったのだが、この日、リテリアを含む複数の組が当たった南西研修地点では、十八回にも亘って遭遇戦が連続した。
余りに異常な数だ。
前衛担当の聖導師見習いや武技科の生徒らは消耗し切っており、彼らをサポートする聖癒士見習いもほとんどが青息吐息の悲壮な表情を浮かべている。
実際、夜になって野営を組み始めた時点で回復していない者は想定以上に多く、傷の痛みや極度の疲労で、多くの者達が苛立っている。
リテリアやアネッサは実戦での経験をそれなりに積んできていることもあり、他の面々の様に気分が荒れるということは全く無かったのだが、周囲のそこかしこから互いに罵り合う声や口論などが聞こえてくると、矢張りどうしても気が滅入ってしまう。
この野営開始直前、リテリアは同行していた教授や護衛の聖騎士達に、この近辺の魔性闇獣や魔性亜人の棲息情報について確認してみたのだが、彼らは一様に、これ程の数が潜んでいる筈はないと否定的だった。
つまり、明らかに尋常ではない何かが起きていると考えて良さそうである。
尤も、それが何であるのかは全く想像も出来ないのだが。
「人為的にどうこう出来る、って話でもないよね?」
アネッサが幾らかの疑念の色を浮かべて、リテリアの横顔を覗き込んできた。
リテリアはしかし、何の判断材料も無い現時点では確たる台詞を口にすることは出来ない。ただ自信無く、かぶりを振るばかりだった。
「どっちともいえないわね……何かが起きているのは多分間違い無いだろうけど、その真因が何なのかまでは想像も出来ないわ」
まさかヒルミナが何か手を廻したのか、とも思う。
ロサンテス皇国の兵力を投入すれば、何か策を用いることも可能だろう。しかし、本当にそんなことが可能だろうか。仮に可能だとして、ヒルミナがそこまでやるだろうか。
「……やりかねないんじゃないかしら」
ここでミラベルが、渋い表情で宙空を睨み据えながら低く呟いた。
何といっても、カティアにあれ程の非道を働いた連中なのだ。どんな手を使って卑怯な真似をしてきたところで、何も驚くことはないというのがミラベルの意見らしい。
勿論、カティアへの暴行事件が連中の仕業だと確定した訳ではないが、リテリアもヒルミナが黒幕だと半ば確信に近い想いを抱いている。
それだけに、不安だった。
もしも今回の異常な遭遇数がヒルミナの仕業であったのなら、この程度の被害で済むとは思えなかった。
と、そこへ疲れた表情のアルゼンが近づいてきた。彼も今の今まで、荒れまくっている同級生達を何とかなだめていたらしいのだが、流石に精神的に疲れたのか、その顔には暗い色が張り付いている。
「アルゼン様は近衛騎士隊でも、結構色々な修羅場をくぐってこられたんですよね? 今回の遭遇数は、アルゼン様でもやっぱりきついですか?」
「単体の強さは大したことはないけど、これだけ連戦が続くと流石にちょっと、ね」
アネッサに答えながら、アルゼンはリテリアが差し出した焼き立ての串料理を軽く頬張った。
アルゼンはこの南西研修地点に居るメンバーの中では突出して戦闘経験が多い方だ。その彼が、これ程に疲労を滲ませている。
これはいよいよ尋常ではないということを、リテリアは改めて実感する様になった。
◆ ◇ ◆
北側研修地点の森の中。
ヒルミナはまるで夜のピクニックを楽しむかの様に、侍従や付き人らが用意した豪勢な料理に舌鼓を打っている。
本来であれば十分に警戒を必要とする危険な野営の筈なのだが、ヒルミナの周辺にはその様な緊迫した空気は欠片にも漂っていない。
「聖女様……本当に、こんなに余裕かましてて大丈夫なんでしょうか……?」
ヒルミナに付き従っているヨルドが、脂汗を浮かべながらそっと問いかけてきた。
しかしヒルミナは、何を怖がる必要があるのかと逆に不思議だった。
「えぇ~? そんなに気にすることぉ?」
この少し前、護衛の聖騎士達が周辺状況を丹念に調べており、敵襲の危険性は無いと断言していた。日中の遭遇戦も僅か二度にとどまっており、ヒルミナ率いる聖癒士見習い達も余力を残して対応することが出来た。
掃討する敵の数が少ないとなると、それだけ評価対象となる行動も相応に少なくなるのだが、ヒルミナには何の心配もない。彼女を評価する教授達は、ヒルミナに悪い感情など持っている筈が無い。
きっと、素晴らしい結果を与えてくれるだろう。
「なぁんにも心配いらないわよ~。貴方達はぁ、あたしのいう通りに動いてくれれば、もうそれで良いんだからねぇ」
ヒルミナは、リテリア達が向かった南西研修地点が凄まじい数の遭遇戦に達していることを、その情報網から既に聞いて知っている。
あの過酷な状況を切り抜けることが出来れば、リテリアの班は相当に高い評価を得ることが出来るかも知れないが、恐らくそんなことはあり得ない。
聖女は全てに於いて正しく、聖女にこそ正当な評価が与えられる。
リテリア達の頑張りなど、全て徒労に終わるだろう。
「全然大丈夫だからぁ、貴方達もど~んと構えてても大丈夫だよぉ」
そう、全ては上手く運ぶ。あのカティアとかいう平民をちょっと虐めてやっても、特に何も起きなかった。
つまり、蒼雲の聖女こそがこの世の主役なのだ。
何も恐れることは無い。
ヒルミナはリテリア達が無残な姿で這いつくばる光景を思い浮かべながら、にんまりと笑った。




