93.新たな暴風
タルネアン太聖大学での学生生活にもそろそろ慣れてきた頃の或る日。
リテリアがいつもの様に聖癒士養成学科の学部教室へと足を踏み入れると、室内全体が微妙な空気に包まれていた。困惑といっても良いかも知れない。
その原因は、すぐに分かった。
(あら……また珍しいこともあるのね)
ひな壇型の階段状生徒席の一角を見て、リテリアも内心で驚いてしまった。
あのミラベルが、カティアと並んで座っているのである。カティアはがちがちに緊張している様に見えるが、ミラベルはリラックスした調子であれやこれやと言葉を投げかけていた。
一体どういう風の吹き回しなのかと首を傾げていると、ミラベルが教室扉脇のリテリアに気付いたらしく、笑顔を咲かせて手を振ってきた。
「あらリテリアさん、おはよう」
「あ、ど、どうも、おはようございます、ミラベル様」
自分でもぎこちない笑みだと思いつつも、一応口角を無理矢理吊り上げて会釈を返したリテリア。するとミラベルは、早くこちらにいらっしゃいなとばかりに手招き。
一緒に座ろうということなのだろう。
この時リテリアは、後方上段の席に並んでいるミラベルの取り巻き令嬢達をちらりと眺めた。どの顔も、どう振る舞えば良いのか困り切った様子で互いに顔を見合わせたり、疑念に満ちた視線をミラベルに送ったりしている。
(ま、それもそうよね……ちょっと前まで筆頭枢機卿の令嬢として振る舞ってたひとが、急に平民相手に歓談してたりするんだもの)
しかしこのミラベルの変化は、リテリアとしては大歓迎であった。
折角の学生生活なのだから、矢張り敵は少ない方が良いに決まっている。しかも相手は聖教国内でも屈指の権力を誇る家門の令嬢なのだ。心強いことは事実であろう。
その様な訳で、奇妙な空気感が漂う学部教室での午前の講義が終わると、リテリアはミラベルに誘われ、カティアと三人で学生食堂へと向かった。
途中で別教室からアネッサが、そして武技科からアルゼンが合流してきた。
このふたりも、ミラベルがさも当然の様にリテリアやカティアと行動を共にしている現実に対し、信じられないといった様子で仰天していた。
「……で、どういう経緯でこうなったの?」
昼食の席に就くなり、アネッサが訊いた。
すると答えたのはカティアだった。
「実は、私が危ない所を、ミラベル様に、助けて頂いたんです」
カティア曰く、太聖大学には彼女の天敵の様な聖導貴族子息令嬢が何人か、通っているらしい。そのうちのひとりであるヨルド・ウッドベリーに絡まれていたところを、ミラベルに助けて貰ったという話だった。
「ミラベル様、本当に、格好良かったです……とても凛として、毅然となさっていて……」
「ま、わたくしも親の七光りで威張っているだけですけれども」
憧れの眼差しで見つめてくるカティアに、ミラベルは苦笑を滲ませながら柔らかいロールパンを頬張る。
それでも大したものだとリテリアは素直に称賛した。
その時の様子を更に聞いてみると、ミラベルは取り巻き令嬢をひとりも伴わず、たったひとりで子爵家令息を撃退したという話だから、以前の彼女からは考えられない程に心境の変化を遂げたといっても良いだろう。
それもこれも、ソウルケイジとの出会いが自分を変えてくれたとミラベルは薄く笑った。
「わたくし、思いましたの。あの方の孤高の御姿こそ、絶対的な強さの象徴。わたくしも是非、あの方の様になりたいと考えた次第ですわ」
「確かに、憧れるところはありますね。尤も、あの強さに到達するのはまず不可能ですが」
ミラベルに同意するアルゼンに、アネッサが、そりゃそうだよと横から軽く突っ込んでいた。
ソウルケイジの強さは尋常ではない。普通の人間があの域に到達するのは、まず不可能だろう。しかし孤高の存在となり得るまでに己を磨き、超然たる人格を形成するのは夢ではない。
その様な志を抱くことは、ひとつの人生として決して悪い話ではないだろう。
「でも現実は、中々難しいかも知れませんわね」
と、ここでミラベルが幾分渋い表情を浮かべて眉間に皺を寄せた。
曰く、ロサンテス皇国から新たに送り込まれてきた蒼雲の聖女なる存在が、何やら波乱を巻き起こす気配を漂わせているというのである。
リテリアも、その名は聞いて知っている。否、それどころか先日彼女は万職相互組合のムルペリウス本部で、蒼雲の聖女ヒルミナがソウルケイジに撃退される現場を目の当たりにしていた。
あの時ソウルケイジは、ヒルミナが何らかの能力を発動させて攻撃の類を仕掛けたという理由でヒルミナを追い返していた。それがどの様な能力なのかはリテリアも聞きそびれてしまったが、少なくともソウルケイジには全く通用しないものであることは間違い無いらしい。
「いやいや、ソウルケイジに喧嘩売ってる時点で詰んでるでしょ」
アネッサが苦笑を浮かべると、ミラベルも、
「幾ら聖女殿でも、少々身の程知らずといいますか……」
と肩を竦めた。
だがこの時、リテリアは何故か妙な胸騒ぎを覚えた。
暁の聖女メディスとはまた別種の、嫌な感じがしてならなかったのである。そしてそのリテリアの警戒心に気付いたのか、アルゼンが目線だけで頷きかけてきた。
(アルゼン様も、何か引っかかるものを感じていらっしゃるのね)
それが何なのかは、まだ分からない。
しかしいずれ近いうちに、新たな暴風が吹き荒れることになるだろう。
そしてその兆候は既に、現れ始めていた。
「あれ? あのひと達って確か、ミラベル様の御友人方じゃありませんでした?」
ふとアネッサが、食堂外の中庭方面を窓越しに指差した。
その場の全員が一斉に、アネッサの視線を追う。
するとそこにはラネーシア・ポルトス聖導伯爵令嬢を筆頭とした、ミラベルの取り巻き令嬢達の姿があった。彼女達が恭しく貴族の礼を執っている相手は、まさに先程話題に上った蒼雲の聖女ヒルミナだったのである。
ラネーシア達は恍惚とした表情で、ヒルミナとの邂逅に感激している様子だった。
そういえば、リテリアは聞いたことがある。
今、蒼雲の聖女は学内の色々なひとびとに声をかけて廻り、そのカリスマ性で人気を博しつつある、と。
(……何を、しようとしてるんだろう?)
ジェスナー第二皇子の失態を帳消しにする為の活動なのか。
或いは別の目的があるのか。
何ひとつ分からないことだらけだが、ただ兎に角、悪い予感しかしなかった。




