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92.屈辱

 光金級万職の英雄が、ムルペリウスの万職相互組合に出入りしている。

 専属執事からその情報を得たヒルミナは早速、部下を数人派遣して面談を申し入れた。

 ところがその男――ソウルケイジなる万職は会う理由は無いとして、僅かひと言でこちらの要望を却下したらしい。


「えぇ~? どういうことぉ? 折角あたしが会ってあげるっていってんのにぃ」


 タルネアン太聖大学に程近い高位貴族の邸宅街。

 ロサンテス皇室が所持する別荘の広い居間で、ヒルミナは苦しげな表情で頭を下げている老齢の執事に不機嫌な面を向けて、頬を膨らませていた。


(んもう、面倒臭いなぁ……でも、しょうがないか。あたしが直接、会いに行ってあげるしかないかな)


 きっとその光金級殿は、自分の魅力が分からないだけなのだ。

 蒼雲の聖女といえば、ロサンテス皇国では皇室の次に高貴で尊い存在である。恐らく噂では耳にしたことはあるだろうが、実際に本人に会わなければ、その有り難みが理解出来ないのだろう。


「それじゃあ、今から出かけるわ。馬車を用意して」


 ヒルミナの言葉を受けた老執事は尚も恐縮しきりで変な汗を流していたものの、小さな会釈と同時に、室を飛び出していった。

 それから程無くして、ヒルミナは御付きの侍女を従えて豪奢な馬車に乗り込み、万職相互組合ムルペリウス本部を目指した。


(あたしが会いに行ったら、きっと驚くだろうな~)


 一体どんな言葉でいじめてやろうかと、あれやこれやと色々夢想しているうちに、馬蹄の音が止まった。

 どうやら目的の場所に到着したらしい。

 ヒルミナは逸る気持ちを抑えつつ、侍従達に案内を任せて頑丈な石造建物内へと足を踏み入れていった。

 意外に広いエントランス兼ロビー内には、驚きの感情が溢れている。蒼雲の聖女が訪問するという事前通達はしていなかった為、いきなり老執事がその登場を告げて、その場に居た万職達の度肝を抜いたのだろう。


「こんにちは~。蒼雲の聖女が光金級さんに会いに来てあげたよ~。どこに居るのかなぁ?」


 ぐるりと見渡すと、どの顔も驚きと戸惑い、或いはどこか呆けた様な表情に満ちている。それはそうだろう。蒼雲の聖女といえば、ロサンテスでも引く手あまたの人気者だ。

 誰も彼もが自分に夢中になる筈だ。

 ところが、壁際のソファーに腰を下ろしている黒衣の巨漢だけは違った。その男はヒルミナには全く興味を示さず、手にしている文書に視線を落とし続けている。

 傍らに居る聖癒士らしき若い女は幾らか驚きの表情を浮かべているが、その面に張り付いている感情の中には何故か警戒の色が見え隠れしていた。


「聖女様……あの者が、例の光金級殿でございます」


 侍従のひとりが恐る恐るいい添えた。

 ヒルミナは当然、面白くない。聖女たる自分が態々会いに来てやったというのに、名乗った後でさえ無視を決め込むなど、あり得ない話だった。

 もうこうなったら、実力行使だ。さっさと魅導因子で虜にしてしまおう。

 ヒルミナは不機嫌になりながらも、黒衣の巨漢、即ちソウルケイジが腰を下ろしている壁際のソファーへと一直線に足を進めていった。


「ねぇ、ソウルケイジさんって、貴方でしょ? あたしが会ってあげるっていってんのに、どうして断ったりしたの?」

「理由は伝えた」


 その男ソウルケイジはヒルミナには見向きもせず、依然として手元の文書だけに視線を落とし続けている。顔を上げようという仕草すら見せない。

 もう本当に頭に来た。

 こんな男、速攻で虜にして這いつくばらせてみせる。ヒルミナは両目に力を込めて、全く顔を向けようとしないソウルケイジをひたすらに睨み続けた。

 すると、相手に動きがあった。

 ソウルケイジは手にしていた文書を傍らに居た娘に手渡してゆっくり立ち上がり――そして、いきなりヒルミナの胸倉を掴んで持ち上げ来た。


(……え?)


 ヒルミナは何が起きたのか、分からない。ただ兎に角、苦しい。全身が恐怖に竦み、声が出せない。

 こんなことは初めてだった。

 そもそも、胸倉を掴むなどという非礼な行為を受けたことも無かった。


「魅導因子の行使は攻撃と見做す」

「……!」


 何故だ。どういうことだ。

 魅導因子は、使用した相手には気付かれない筈。この力を用いられた者はそうとは知らず、ただヒルミナによる感情操作を受け入れるしかない。

 ところがこの男はヒルミナの支配下に落ちるどころか、魅導因子を受け付けた様子も見せず、いきなり胸倉を掴んできた。

 こんな馬鹿なことがあり得るのか。

 エントランス兼ロビー内は一斉にただならぬ緊張に覆われた。

 ヒルミナに付き従っていた侍従や侍女達はただ狼狽えるばかりだが、皇室衛兵らは一斉に抜刀し、ソウルケイジを取り囲んだ。

 が、どの兵もその顔には恐怖の色が張り付いている。ソウルケイジの感情の無い瞳に睨み据えられ、腰砕けになっているのが分かった。

 やがて、ソウルケイジはヒルミナを手離した。板張りの床に尻餅を付く格好で落ちたヒルミナは咳き込みながらも、侍女達に抱えられてやっと立ち上がった。

 信じられない話だった。何故こんな酷い仕打ちを受けなければならないのか。

 ヒルミナは怒りに燃えた瞳で2メートルを超える巨漢を見上げ、そして背中に冷たいものを感じた。

 この男は魅導因子を受け付けない。そればかりか、ロサンテス皇国の威厳すら何とも思っていない。ただ感情の無い冷淡な瞳だけが、こちらを見下ろしてきている。


「次は無いと思え」


 ヒルミナは慌てて踵を返し、相互組合を飛び出した。

 こんな屈辱は初めてだ。絶対にあってはならない話だ。

 しかし、あの男に勝てる気はしない。

 一体、どうすれば――。


(そういえば、確か王国の特級聖癒士と親しいんだっけ……?)


 ヒルミナはこの時初めて、リテリア・ローデルクという名を意識した。

 彼女の中で、漆黒の情念が燃え上がった瞬間だった。

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