91.受難と救い
カティアの生家たるメロウズ商会は、カレアナ聖教国首都ムルペリウスで三代前から続く中流商家である。
彼女の曾祖父が身ひとつから立ち上げたことで知られており、食料品から生活用魔装具まで幅広く扱う総合商会としての性格が強い。
中流とはいってもその規模は決して小さくはなく、下級聖導貴族への納入品も多いことから、貴族社会にも一部足を突っ込んでいる。
そして現在の当主であるジュスティオはカティアの父であると同時に、一世男爵が授与された平民上がりの貴族としての地位を持つ人物であった。この一世男爵はカティアが生まれる直前に得たものらしい。
その為か、顧客である下級聖導貴族とメロウズ家はそこそこの付き合いがあり、カティアや兄のユーリオは父に連れられて度々、茶会や晩餐会などに顔を出すことがあった。
(もう……そろそろ、解放して、くれないかな……)
タルネアン太聖大学に通い始めてから一カ月近くが経過した頃、カティアは久々に父ジュスティオから、ウッドベリー聖導子爵家への御機嫌伺いに付き合って欲しいと頼まれた。
いつもなら兄ユーリオが同行するのだが、彼は現在、近郊の都市への魔装具買い付けに出ているらしく、どうしても都合が合わないということらしい。
父は確かに貴族だが、カティア自身は飽くまでも平民である。そんな自分が聖導子爵家へのこのこと顔を出しに行くのはどう考えても場違いであり、余りに肩身が狭過ぎる。
それに何といっても、会いたくない連中が居た。
(はぁ……また、あのひと達にいじめられるのかなぁ……)
メロウズ商会の顧客となっている下級聖導貴族の子息令嬢の中には、やけにカティアや兄ユーリオを敵視する者が多い様に感じられる。
実際これまで何度も、酷い目に遭って来た。
連中は恐らく、平民であるカティアを奴隷か何かかと思っているのだろう。どの様な酷い目に遭わせても、ただじっと耐えるだけしか出来ないカティアの辛そうな顔を、面白がって眺めている奴らだった。
もしも父ジュスティオがこのことを知ったら、すぐにでも怒鳴り込んでいっただろう。しかしカティアも、そしてユーリオも決してそれらの事実を父には知らせようとはしなかった。
折角頑張って一世男爵という爵位まで得た父の努力を、自分達の所為で台無しにはしたくなかったからだ。
ただ、矢張り辛いものは辛い。
だから御機嫌伺いなどに連れていかれるのは、正直なところ相当に気が重かった。
(でも、やっぱり、行かなきゃいけない、かな)
ジュスティオはカティアの為に、決して安くない大学費用を全部出してくれている。優しい父は、どんな時でもカティアのやりたいことを、やりたい様にさせてくれていた。
本当に家族思いの素晴らしい父だと、胸を張っていえる。
だからこそ、少しくらいは自分も我慢しなきゃ、という想いがあるのも事実だ。
(うん……そうだよ、ね……お父さん、いつも私とお兄ちゃんの為に、凄く頑張ってくれてるんだもん……)
カティアは何とか自身にいい聞かせ、前を向くことにした。
◆ ◇ ◆
同日、午後。
カティアは太聖大学での講義を終え、リテリアやアネッサとも別れて帰路に就こうとしていた。
ところが中庭に出たところで、不意に呼び止められた。
聞き覚えのある声だった。
「よぉ、カティア。お前もここに通ってたんだな」
振り向くと、三人の貴族子息がにやにやと嫌らしい笑みを浮かべて佇んでいた。
そのうちのひとりは、後日御機嫌伺いの為に屋敷を訪問することになっているウッドベリー聖導子爵家の次男ヨルド・ウッドベリーだった。
カティアはヨルドが太聖大学に通っているという話は聞いていなかった為、驚くと同時に、絶望的な感情が一気に湧き起こってきた。
メロウズ商会の商務としての付き合いだけならば兎も角、ここ太聖大学でも付き纏われることになってしまうのかと思うと、目の前が真っ暗になってしまう気分だった。
「ところで今日お前、暇? いや、暇だよな。俺が今、そう決めたんだからな」
突然何をいい出すのか。
カティアは頭の中が真っ白になり、返す言葉も思い浮かばない。ただ、物凄く悪い予感が浮かんできていることだけは確かだった。
「だったら、これからちょっと付き合え。俺達がこうして態々誘ってやってるんだから、光栄に思えよ」
ヨルドは有無をいわさず、カティアの右手首を強引に掴んだ。
しかしカティアは、抵抗出来ない。ここでヨルドの機嫌を損ねてしまったら、父に迷惑をかけてしまうことになる。
それだけは絶対に、避けなければならない。
全身が震えた。怖くて堪らない。しかし、ここは耐えるしかない。
「おい、何ぼーっと突っ立ってんだ? 早く一緒に来い」
「あ……えと、その、せめて、荷物だけでも、家に……」
すると突然ヨルドはカティアの手首を放したかと思うと、その細い腕のどこにそんな力があるのかと思う程の勢いで彼女を突き飛ばした。
カティアは、肩口から地面に叩きつけられた。
「良い気になってんじゃないぞ! たかが平民如きが貴族に口答えしてんじゃない!」
「あら……その平民さんはわたくしの御友人の、大切な御学友なのですけど。随分なことを、して下さいますのね」
不意に別方向から凛とした声が響いた。
ヨルドは胡乱な表情で声の方向に視線を流したが、直後、その貧相な面が緊張に青ざめた。
そこに居たのは、ミラベルだった。
彼女は腕を組んだまま仁王立ちとなっており、不機嫌な様子でヨルド達三人を睨みつけていた。




