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86.令嬢豹変

 週明けの朝。

 リテリアは、街中の空気が明らかに変わっていたことを痛感せざるを得なかった。

 新歓パーティーを襲った凶獣の群れ。

 ひとびとに襲い掛かる絶望の牙。

 そこへ颯爽と現れた黒衣の英雄。

 誰ひとりとして犠牲者を出させること無く、ソウルケイジはあっという間に夥しい数の魔物共を仕留めていった。

 おとぎ話にでも登場しそうな超人的戦闘力を、多くのひとびとがその目に焼き付けていた。

 後処理に訪れた聖導騎士団は最初のうちこそソウルケイジの戦果に疑問を抱いていたが、現場に居た全ての目撃者が全員一致して、その恐るべき強さを口々に証言したからには信じざるを得なかった様だ。

 そして命を救われた者達は誰彼構わず、その時の光景を多分の誇張を交えたにせよ、余すところ無く周囲へと広めていった。

 結果としてタルネアン太聖大学内のみならず、首都ムルペリウス全域にまでソウルケイジの名声が響き渡る様になり、彼は一夜にして不動の地位を確立するに至った。

 特に週末などは、もう大変な騒ぎだった。

 どこへ行ってもソウルケイジの名が取り沙汰され、黒衣の巨漢の英雄譚がそこかしこで囁かれていた。

 当初は特に気にも留めていなかったリテリアだったが、その英雄と気軽に言葉を交わしていた特級聖癒士がその場に居たという話が耳に飛び込んできた時には、流石に拙いと直感し、それ以降は寮の個室から出ない様にした。


(ソウルケイジ様は噂とか全然気にしないだろうけど、私はちょっと困るなぁ……)


 あの圧倒的な強さで、結果的にジェスナーを黙らせることが出来たのは良かったが、そこに自分の名前が尾ひれの形でくっついて廻るのは正直、迷惑な話でもあった。


(昔っから、英雄と近しいひとってのは大体、酷い目に遭うんだよね)


 などと考えながら寮の個室で大人しく過ごした週末。

 そして現在――リテリアは何となく嫌な予感を覚えつつ、聖癒士養成学科の学部教室へと足を運んだ。

 扉を開けたその瞬間に、室内の目線が一斉に突き刺さってくるのが分かった。


(ああ……やっぱりこうなっちゃうのね)


 飛んでくる視線は一様に、嫉妬の色に染まっていた。

 エヴェレウス如きの田舎の娘が、何故黒衣の英雄殿とあんなに親しいのか。その存在を最初から知っていて、独り占めにしていたのか。あれ程の美丈夫を誰にも紹介しないのは、如何なものか。

 それらの攻撃的な視線が、兎に角痛い。

 が、直接何かをいわれたり、嫌がらせを受けている訳でもない為、ここはもう我慢するしかないと腹を括ったリテリア。

 幸いカティアだけはいつもの調子で、親しげに手を振ってくれている。

 もう当分は、彼女だけを唯一の拠り所として生きてゆくしか無いだろう。

 そんなことを考えながらカティアの隣の席に腰を下ろすと、早速階段状の席の上の方から、誰かが近づいてきた。


「ローデルクさん、少し宜しくって?」


 ミラベルだった。

 一番嫌な相手だったが、聖導侯爵家の娘を無視する訳にもいかない。

 リテリアは軽い頭痛を覚えつつも、失礼にならない程度に上体を僅かに巡らせて顔を上げた。傍らのカティアは、はらはらした顔つきで見守る構え。


「何か御用でも?」


 リテリアは努めて冷静に、そしてなるべく感情を表に出さない様に心がけた。

 相手はこれまで散々はた迷惑なちょっかいを出し続けてきたミラベルなのだ。ここでまた無用のトラブルを招いてしまえば、後々厄介なことになる。

 ところがその直後、ミラベルが取った行動にリテリアは面食らった。


「ねぇ……もし良かったら、ソウルケイジ様を御紹介して下さらない?」


 いきなり卓上のリテリアの両手を取り、懇願するかの様な調子で顔を覗き込んできたミラベル。

 一体どういう風の吹き回しかと、リテリアは驚くと同時に訝しんだ。

 入学以来、あれだけ敵意剥き出しだった瞳には邪険な色は欠片も見られず、まるで以前からの親友に接するが如き友愛の感情に溢れていた。


(え……どうしちゃったの、このひと……)


 リテリアの頭の中に、疑問符が幾つも浮かんだ。

 カティアも何が何だか分からないといった様子で、ただただ呆然としていた。

 しかし、ただ驚いてばかりいる訳にもいかない。リテリアは姿勢を正してミラベルに向き直った。


「あの……御紹介というのは、どこか場所をセッティングして、ということでしょうか?」

「そうですわね、そうして下さると有り難いのですけど、そこまで贅沢はいいませんわ。兎に角、わたくしにご挨拶の機会を下さったら、それで宜しいのです」


 背筋に冷たいものを感じてしまう程の猫撫で声にリテリアは乾いた笑いを返しつつも、まぁそれぐらいのことならと、特に何も考えずに応諾した。

 するとミラベルは極上の笑みを浮かべて感激し始めた。

 この時驚いていたのはリテリアやカティアだけではない。ミラベルの取り巻き令嬢や、それ以外の生徒達も皆一様に、彼女はどうしてしまったのかといわんばかりの愕然たる表情を浮かべていた。


「では約束ですわよ! ご連絡お待ちしておりますわ!」


 などと叫びながら、自席に戻ってゆくミラベル。

 尚も呆然としているリテリアに、カティアが横からおっかなびっくりの調子で問いかけてきた。


「その……ソウルケイジ様って、そんなに、凄かったんですか……?」


 実はカティアは新歓パーティーには結局参加しなかった。どうせ出ても不愉快な思いをするだけだろうからということで、アネッサとふたりで近所のレストランでご馳走にありついていたのである。

 その為、新歓パーティーでのソウルケイジの大立ち回りを、彼女は知らない。アネッサも後から聞いて驚くと同時に、やっぱりね、といった具合に何故か変な笑いを漏らしていた。

 そんな訳だから、カティアが疑問に思うのも当然であろう。


「えぇっと、まぁ、そうね……また今度、詳しく話すわね」


 リテリアとしても、この場はそう答えざるを得ない。

 それにしてもミラベルのあの豹変ぶりは一体、何なのか。

 幾ら考えてもさっぱり、分からなかった。

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