85.黒衣の英雄
無数の星が瞬く夜天の下、白亜の聖教友師記念堂前でミルネッティは仲間達と共に負傷者への措置や避難民の誘導に当たっていた。
ここはタルネアン太聖大学の構内。
本来ならば一介の万職に過ぎないミルネッティが足を踏み入れられる様な場所ではない。
だが今は、数体の凶獣による襲撃を受け、今宵の新歓パーティー参加者に数え切れない程の負傷者が出ている為、そんな悠長なことをいっていられる場合ではなかった。
とはいえ、複数の凶獣が襲い掛かってきたにも関わらず、死者がひとりも出なかったのは僥倖だ。
負傷者の中には、これはまさしく奇跡だと天に感謝の祈りを捧げている者も居たが、そんな彼らを横目に見ながら、ミルネッティは苦笑を滲ませた。
(いやいや……別に奇跡なんかじゃないよね。ご主人様が居たんだから、これが普通かな)
ほんの十数分前。
ミルネッティ、イオ、ホレイス、ジェイドの四人を大学構内に招き入れたソウルケイジは、突如出現した記念堂外側の凶獣共を、ほとんど時間をかけずに片っ端から始末した。
巨大な化け物がいきなり現れた際には多くのひとびとが悲鳴を上げながら逃げ惑い、この世の終わりの様な阿鼻叫喚地獄に陥ろうとしていたのだが、ソウルケイジがまるで予測でもしていたかの如く、実に正確に、手際良くそれらの怪物共を次々と葬っていった。
今回ソウルケイジはロングバレルマグナムもレーザーガトリングも使用せず、超硬刃マチェットを二刀流で振るい、音も無く速攻で仕留めていった。
まるで無人の野を行くが如くの一方的な戦闘だった。
その傍らで、記念堂内部からは依然として、悲鳴や怪物の咆哮などが聞こえてくる。
ソウルケイジはミルネッティ達に対し、外の始末は任せたとひと言いい置いてから、そのまま内部へと姿を消した。
「あ、あの御仁は一体、何者なのですか?」
救出された聖教国の要人と思しき中年男性が、信じられないといわんばかりの表情で問いかけてきた。恐らく光金級万職の噂は、まだここまで届いていないのだろう。
しかし記念堂の外に居るひとびとは、驚きこそすれ、ソウルケイジの実力を疑う者などはひとりも居ない。全員その目に、凶獣の群れをあっという間に片付けていった黒衣の巨漢の姿をしっかりと焼き付けている。
この場で生き残った者全てが、光金級万職の超人的な強さの生き証人といって良い。
「あのひとはね、ボクのご主人様なんだ」
ミルネッティは自分でも嬉しくなってきて、つい自慢げに胸を張った。
周囲からは、感嘆と称賛のどよめきが湧き起こる。
すると今度はホレイスやイオも負けじと、あのひとのことはクルアドーに居た頃から知ってるんだぜだとか何とかいい出し、これまた自慢を撒き散らした。
ほんのつい先程まで生き地獄の如き様相を呈していた記念堂前の広場は、笑い声やお互いの無事を喜び合う声などで埋め尽くされ、穏やかな空気に包まれていた。
◆ ◇ ◆
ミラベルは尻餅をついたまま呆然と、目の前の端正な顔立ちを眺めていた。
たった今、彼女の頭上に絶望の牙が襲い掛かろうとしていたのだが、それよりも早く、一陣の風の如き勢いで黒衣の巨漢が現れ、ミラベルを死の淵から救い出した。
男は手にした刃で恐ろしい怪物を一刀両断に叩き斬ると、更に信じられない程の俊足を発揮して、ダンスホール内に蔓延っている怪物共を次々と斬り伏せてゆく。
まさに、神の如き強さだった。
それらの怪物共を召喚したと哄笑を放っていたアスリアムなる男は、愕然とした表情で己の手下共が十数秒と経ずに片っ端から始末されてゆく有様を、ただ見ているしか無さそうであった。
人生の危機に叩き落とされようとしていた新入生達、大学関係者、或いは聖教国要人達は、鮮やかな程の超速戦闘にただただ、見入るばかりである。
そして黒衣の戦士は仕上げとばかりに、アスリアムを軽く蹴り飛ばして昏倒させていた。
宴の場は怪物共の死屍累々たる悲惨な状況ですっかり穢されてしまったものの、あの絶望的な状況の中で誰ひとり命を落とすことが無く、全員が無事に助かったことで寧ろ、大いに沸いた。
割れんばかりの大歓声が、記念堂内を覆い尽くしていた。
そんな中でミラベルは、黒衣の英雄がリテリアのもとへ歩み寄ってゆく姿を見た。
自身が田舎女と蔑んでいたあの女が、ミラベルの命の恩人とまるで旧知の仲であるかの様に、心安く言葉を交わしている。
一体彼女とあの英雄は、どんな関係なのか。
もう気になって気になって仕方が無かった。
が、黒衣の英雄はリテリアの前から離れると、放心状態のまま座り込んでいるジェスナーの胸倉を掴み、強引に引き摺り起こした。
「お前はリテリアとアルゼンを穢れだと責めたらしいが、そういうお前はどうだ? 己の浅はかな企みで、この場に居る全員を危うく殺しかけたぞ。お前の方が余程、カレアナ聖教国を冒涜しているのではないのか?」
黒衣の英雄はそれだけいい放つと、ジェスナーをその場に放り出した。
ジェスナーは何事か弁解めいた台詞を口走っていたが、周囲から浴びせられる非難と怒りの眼差しの前では、何の意味も為していなかった。
「ソウルケイジ様……もしかして、こうなることを予測されていたのですか?」
リテリアが妙に悪戯っぽい笑みを浮かべて、ソウルケイジと呼ばれた黒衣の英雄につと詰め寄った。
ソウルケイジは想像に任せるとだけ答えて、その場を去ろうとする。
すると、彼に助けられた多くのひとびとが一斉に輪を作り、口々に感謝の言葉を伝え始めた。
しかしソウルケイジはそんな彼ら彼女らの感激の笑顔などには目もくれず、姿を現した時と同様、目にも留まらぬ速さで、そして凄まじい程の跳躍力を発揮してダンスホールを飛び出していった。
(ソウルケイジ様……それが貴方様の、御尊名なのですね……!)
ミラベルはゆっくり立ち上がった。
最早、リテリアのことなどはどうでも良い。否、正確にいえば彼女への敵意は既に心の中から去っている。
それよりも今は、どうすればあの黒衣の英雄とお近づきになれるのか。
もうそれしか、頭に無かった。




