84.凶獣団
もしかするとクロルドは、こういう事態を想定していたのかも知れない。
だからこそソウルケイジの無言の圧力、他者をその視線だけで黙らせる絶対的な存在感を頼りにしていたのだろうか。
だが現実として、黒衣の巨漢はこの場には居ない。
であれば、クロルドひとりでジェスナーからの攻撃を凌ぎ切るしかない。
本音をいえば、リテリアも声を大にして真っ向から反論したかった。アルゼンは誤解によって処罰されただけであり、その精神は清廉そのものだと訴えたかった。
喉まで出かかったその叫びを、しかしリテリアは必死で堪えた。
ここは新歓パーティーという公の場であり、言葉を戦わせているのはいずれも国の支配者層の子息達。
如何に特級聖癒士とはいえ、平民上がりで、しかも今は侍従という立場に過ぎない者が、勝手に口を挟んで良い場面ではなかった。
(クロルド殿下……!)
リテリアは、怒気を含んだ眼差しでジェスナーを凝視しているクロルドの横顔を、改めて見つめた。
もしこの人物が己の保身だけを考える様な性格ならば、リテリアとアルゼンを即座に差し出し、生贄として自らの安全を確保していたことだろう。
しかし今、クロルドは自分達の為に戦おうとしてくれている。何が何でも、ふたりを守り抜こうという気概が感じられる。
その熱い想いが彼の表情から伝わってくるだけに、リテリアは胸の奥が苦しい。
何とかして、役に立ちたい。事の発端はリテリア自身にもあるのだから。
が、今はそれが出来ない。
自分は何て無力なのだろう――その悔しさが、自らへの怒りに転じつつあった。
「申し訳ございません、殿下……まさか俺自身が、攻撃対象になろうとは……」
「卿の責任ではない。これは国家の……王家の失態だ。ここは僕が引き受ける」
アルゼンとクロルドの間から、低い声音でのこの様なやり取りが聞こえてきた。アルゼンも、ジェスナーの暴挙を事前に知っていたのかも知れない。
だがこの状況ではアルゼン自身も動くに動けないだろう。最早手詰まりといって良い。
「何もお答え出来ませんか……ではこちらで用意した手段にて、その真偽を明らかにさせて頂くというのはどうでしょうな」
いいながらジェスナーは、少し離れた位置に佇んでいたローブ姿の男に顎先を動かして合図を送った。こちらに来い、という訳であろう。
ローブの男はゆっくりと歩を進めて、ジェスナーの傍らに立った。
「大変失礼ながら、虚偽看破の法術を使わせて頂きたい」
「……何をいっているのか、分かっておられるのですか」
ここで漸くクロルドが声を発した。怒りを抑えつけている為か、僅かに震えている。
「このパーティーは歓待の宴の場ですぞ。その様な甚だ失礼な行為を私が受け入れるとお思いか?」
「罪人もどきをこの崇高なる学府に送り込む方が、余程に失礼な行為と存じ上げるが」
ジェスナーは既に勝利を確信している様子だった。
言葉の端々に、嘲りの響きが混ざり始めている。この男には、嗜虐志向があるのかも知れない。
「その様な非礼を受けるいわれは無い。失礼させて頂く。この件は正式に、我が国から貴国への抗議という形で連絡させて頂こう」
クロルドは最早我慢ならぬといった様子で踵を返し、リテリアとアルゼンに頷きかけた。
例え逃げたといわれても構わない。ここはひとまずクロルドが怒気を発したまま場を辞することで、ジェスナーにも相応の非礼があったという印象を会場全体に植え付けるしか無いだろう。
ところが――。
「ふん……誰ひとり、ここからは逃がさん」
ジェスナーが呼びつけた宮廷魔法術士とかいうローブの男が、両手で複雑な印を組み、目まぐるしい所作で何かの魔法陣を宙空に描いていた。
驚いたのはリテリア達だけではない。ジェスナー自身も、何をやっているのだと怪訝な様子で、その男の所作を眺めていた。
その直後、ダンスホールが――否、聖教友師記念堂そのものが、或いはタルネアン太聖大学の敷地全体が不気味な震動に覆われた。
これは、虚偽看破の法術などではない。明らかに別種の術だ。
何かが拙い。いや、この震動にはどこか覚えがある。少なくともリテリアは、アルゼンにもこの震動を感じた経験があった筈だと咄嗟に思い出した。
「アルゼン様……これは、王都近郊に極大凶獣群が出現した時の……」
「確かに、似ている……でも、まさかこんなところで……?」
ふたりの疑問は、その直後には確信へと変わった。
聖教友師記念堂の外から、大勢のひとびとが発する悲鳴が聞こえてくる。中には怒号も混ざっている様だが、大半は絶望と恐怖に彩られた地獄の様なうねりだった。
更に、ダンスホール内にも阿鼻叫喚の様相が現出した。
壁や天井に、まるで虚無の空間から溶け出してきたかの如く、十数体の中型、或いは小型の凶獣や魔性闇獣が突如として出現し、その近くに居たひとびとに牙を剥き始めたのである。
ジェスナーは呆然と、傍らで哄笑を撒き散らしている宮廷魔法術士の男を見つめた。
「貴様……一体、何をした……?」
「見ての通りだよ、馬鹿皇子。しかし貴様も大概だな。いやはや、見ものだったぞ。あの得意げな顔がその間抜け面に置き換わった様は」
ジェスナーは慌てて、その男から跳び退る。ミラベルも半ば呆然としつつ、他の取り巻き令嬢達と一緒になって後退った。
周囲から怒涛の津波の様に押し寄せてくる怪物共の咆哮と、逃げ惑うひとびとの悲鳴。
最早ここは、新入生達の前途を祝う宴ではない。
怪物による人間狩りの惨劇の場であった。
「貴様……何者だ?」
クロルドが侍従のひとりから儀礼用の剣を受け取りつつ、鋭い眼光で睨み据えた。
この場に無数の怪物共を呼び寄せたであろうその男は、ふんと鼻を鳴らして低く嗤う。
「改めて自己紹介といこうか。セルパクロー統一尊教の大凍土戦線より参った操獣法師、アスリアム・コールザーだ。貴様らカレアナのクソ信徒どもをここで全員、俺の凶獣団の餌にしてやろう」
その男アスリアムは、高らかに笑った。




