77.男の共闘
タルネアン太聖大学に新設された武技科コース。
その初日の講義を終えたアルゼンは、リテリアやアネッサらと約束している夕食までの空き時間を利用して、第二講堂内の小演武場での自主トレーニングで汗を流そうと考えていた。
ところが更衣室へ向かう途中の廊下で、不意に背後から呼び止められた。
振り向くと、そこにクロルドの姿があった。
「少し良いか、バルトス卿」
「はい……どういったご用件でしょうか」
ここカレアナ聖教国内では本来であれば臣下の礼は不要なのだが、それでもアルゼンは馬鹿正直に近衛騎士としての作法に則り礼を執った。
クロルドは苦笑を浮かべながらも、王家としての答礼を返してからアルゼンを手近のテーブルへと誘った。
「単刀直入に訊こう……最近、ローデルク嬢とはよく会っているのか?」
いきなり何を訊いてくるのかと内心で訝しんだアルゼンだが、相手は主君の子息だ。下手な嘘は、不敬に当たる。
「はい。ローデルク嬢は私の恩人であり、また共に奴隷収集隊問題を解決した同士……戦友でもあります」
「……成程」
クロルドは一応、納得した様子で頷き返すものの、その表情には何かを含んだ色が伺える。
そもそも何故、態々ここまで足を運んできてリテリアのことを訊こうとするのか。
その真意がまるで読み取れず、アルゼンは困惑を押し隠すだけで精一杯だった。
「では、卿には伝えておかなければならないな」
一瞬いい淀む仕草を見せたクロルドだったが、その瞳には決意めいた光が宿っている様に思えた。
「実をいうとな……前々から彼女を、王室に迎え入れようという話が出ていたのだ」
アルゼンは息を呑んだ。
いわれてみれば、これはあり得そうな話だった。
特級聖癒士はエヴェレウス王国内では聖女に次ぐ神聖職であり、通常なら侯爵家以上の令嬢が就任する習わしとなっている。
しかし近年、高位貴族家格からは特級聖癒士がひとりも輩出されていない。それだけの才に恵まれた者が皆無だったからだ。
その一方でエヴェレウス王国に於いては、第二以下の王位継承権者が聖女若しくは特級聖癒士を娶ることが半ば慣例化しており、婚礼という形でカレアナ聖導会との関係を強化することが、王家の地位安泰手段として広く認知されている。
現在、王国内の特級聖癒士はリテリアただひとり。
彼女は生まれこそ平民ではあるが、その資質は王家に迎えられても何の遜色も無いだろう。
「血統法により、今すぐに彼女を王家に嫁がせることは出来ない。しかし近い将来、ローデルク嬢をそこそこの家格の高位貴族で養子縁組を進めようという話が持ち上がっているのも事実だ」
成程、確かにそういう段取りにはなるだろう。
だがしかし――。
アルゼンの胸の奥で、鋭い痛みが何度も迸っていた。あのリテリアが、王家に嫁ぐ。頭では理解出来ても、正直なところ、今まで想像すらしていなかった。
それにしても、何故クロルドは今このタイミングで、そんな話を持ち出してきたのだろうか。
そんなアルゼンの疑問をまるで見透かしたかの如く、クロルドは幾分勿体ぶった調子で更に言葉を連ねた。
「……そのリテリアの結婚相手として名前が挙がっているのが、僕なんだよ」
この時アルゼンは、白いテーブルの表面にじっと視線を落とし続けていた。
どう反応して良いのか分からなかったのである。
ところがクロルドは、不意に苦笑を浮かべて小さくかぶりを振った。奇妙な程に、諦めの念が見て取れる。
「しかし僕は、その話は一旦破棄しようと思っている」
思わず視線を上げて、クロルドの顔をまじまじと眺めてしまったアルゼン。臣下の者が王家の子息に対して、その顔をじろじろ眺めるなどは本来もっての外なのだが、この時ばかりはどうしても、クロルドの面から目が離せなかった。
一方のクロルドは、アルゼンのそんな無礼な仕草を咎めることもせず、依然として苦笑を浮かべたままだ。
そして妙に満足した様子で頬杖をついた。
「情けない話だが……僕はローデルク嬢から避けられてしまっていてね。その原因が僕にあることも重々、承知している」
予想外の展開に、アルゼンは言葉が出ない。一体この御仁は何を語ろうとしているのだろうか。
ところがクロルドはこの時、それまでの笑みを消し去って厳しい色をその面に張り付けた。
「彼女は今はフリーだ。何者にも縛られない。だから卿に、敢えて頼みたいことがある……ロサンテスのジェスナー皇子に警戒するんだ」
「ジェスナー皇子……あのロサンテス皇国の第二皇子殿下ですか?」
ここで漸く、アルゼンは声を搾り出した。突如飛び出してきた他国の皇族子息。その存在が意味するところがよく分からない。
するとクロルドは、彼が学長室で交わしたジェスナーとの一連のやり取りを手短に説明した。
その内容にアルゼンは、思わず息を呑んだ。
「まさか……他国の皇族の御子息が、その様なことを……」
「僕も正直、耳を疑ったさ。しかし彼はどうやら、本気らしい。だから、僕と君とでリテリアを守るしかないんだ」
その直後、クロルドは不意に視線を明後日の方向に向けた。その表情には、今度は多少の迷いの様な色が張り付いていた。
「本音で話そう。僕は卿に少し、嫉妬していた。ローデルク嬢とあれだけ自然体に、親しく話せるバルトス卿が羨ましいとさえ思ったよ」
だが今は、そんなことをいっていられる場合ではないと、クロルドは小さな吐息を漏らした。
まずはリテリアを守り抜く。
その為にこうして、ふたりだけで話をする為の時間を設けたということらしい。
勿論、アルゼンとて断る理由はない。
「承知致しました。全力でローデルク嬢をお守りします」
アルゼンのその決意に、クロルドは安堵した様な笑みを返した。




