72.聖導貴族
リテリアは一瞬、迷った。
が、ここで下手に振り切ってしまえば、後々厄介なことになりかねない。ここは少しだけ相手に合わせるべきか。
若干遅れても、アネッサやアルゼンならきっと分かってくれるだろうと信じて、リテリアはミラベルの要望に応えることにした。
「友人との約束が御座いますので、少しだけで宜しければ……」
すると取り巻き令嬢のひとりが、これまた烈火の如く怒り出した。
「まぁ、何て厚かましい! ミラベル様のことを差し置いて、ご自身の都合を優先させるだなんて!」
他の取り巻き令嬢達からも、次々と同調する声が湧き起こる。本当に面倒臭い連中だった。
だが、ここは我慢だ。リテリアは無作法で申し訳ございませんと、ただ頭を下げるだけにした。
「それで、このわたくしなどに一体、どの様な……?」
「ローデルク嬢、貴女見たところ、まだ聖癒士見習いかそんな程度でございましょう? 良かったらこのわたくしが教官の皆様方に、色々便宜を図る様にお願いして差し上げても宜しくってよ?」
リテリアはミラベルが主導権を握ろうとしていることよりも、特級聖癒士たる自分がまさか、見習いとしてしか見られていなかったことに、軽い衝撃を受けた。
(うわ……私、そんなに素人っぽい感じ?)
思わず心の底で、マジかー、などと頭を抱える気分だった。もっと特級らしく振る舞える様にするには、一体どうすれば良いのだろう。
しかしこの空気、どう対処すべきか。正直に特級聖癒士だと打ち明けた方が良いのか。
「貴女、本当に世間知らずで生意気ね。折角こうしてミラベル様がお声がけ下さっているのよ。有り難くお受けになるのが礼儀でしょうに!」
これまた別の取り巻き令嬢が、嵩にかかって攻め立ててきた。
この調子だと、下手にいいなりになったところで大して状況は変わらなさそうだ。それならいっそ、特級だと打ち明けた方が逃げられる確率は高くなるのではないだろうか。
リテリアは、腹を括った。
「いえ……結構でございます」
「はぁ!?」
リテリアの拒絶に対して怒気を含んだ声を発したのは、ミラベルの傍らに居る取り巻き令嬢だった。その立ち位置から見て、この取り巻きの中でも側近に近しい存在なのかも知れない。
「貴女、失礼にも程があるわよ! たかが見習い如きが、ミラベル様のお誘いをお断りするなんて……!」
「……特級です」
リテリアは側近娘の言葉を敢えて遮る様に、幾分腹の底から響く様な低い声音で静かに打ち出した。
その瞬間、ミラベルも取り巻き令嬢達もリテリアのいっていることが理解出来なかった様子で、眉間に皺を寄せながら互いに顔を見合わせる。
そんな中でリテリアは懐から、聖癒士の位を示す白銀のプレートを取り出した。
すると――取り巻き令嬢達は一斉に狼狽え、ざわめいた。
ミラベルに至ってはその美貌が驚愕に凍り付き、声が出せなくなっている。
リテリアが示したのは、特級聖癒士の印が刻まれたプレートだった。
「と……特級……?」
「はい。ですので、わたくしには特別な御計らいは不要かと存じ上げます。これで、答えになっておりますでしょうか?」
もうこれ以上は良いだろう。
リテリアは失礼致しますと頭を下げてから、踵を返した。
背中の向こうでは未だに、取り巻き令嬢達が動揺して変な声をあげているのが分かる。が、これ以上はもう馬鹿馬鹿しくて相手にはしていられない。
そうしてやっと寮門前の通りへと出たところで、アネッサが手を振ってきた。
空は濃紺の闇に包まれ始めており、街のそこかしこで魔素による灯輝台の光が道を照らし始めた。
「遅かったね。何かあったの?」
「うん、まぁ、ちょっとね」
リテリアは引きつった笑みを返しながら、ふたりの友人と肩を並べて夜の街へと繰り出していった。
◆ ◇ ◆
女子寮三号棟一階ロビーでは、リテリアが去った後も尚、令嬢達のざわめきが絶えなかった。
「ミ、ミラベル様……あのローデルク嬢、ど、どうして差し上げましょうか?」
ミラベルの側近的な存在としていつも傍らに居るラネーシア・ポルトスが、幾分狼狽えた様子で問いかけてきた。その表情は僅かに青ざめている様にも見える。
問いかけられたミラベルはしばし、左手親指の爪をがりがりと噛んでいたが、やがて時間と共に落ち着きを取り戻し、周りの令嬢達に視線を投げかける程度には冷静さを回復していた。
「……まぁ、今回は特別に見逃して差し上げましょう。でも、次はございませんわ。如何に特級聖癒士だからといって、このわたくしに頭を下げなかったことを後悔させてあげなければ、示しがつきませんもの」
毅然と立ち上がったミラベル。
他の令嬢達も、同調して何度も頷く。
今のミラベルは上級聖癒士だが、その血筋は由緒正しい枢機卿の家系。他国の田舎で育った程度の特級聖癒士など、何するものぞ。
このカレアナ聖教国に於いては、大聖導尊師を頂点とする聖導貴族こそが絶対であり、特級聖癒士どころか聖女でさえも、その足元にひれ伏さなければならない。
いや、そうあるべきだ。
少なくとも、ミラベルはその様に考えている。それはきっと、他の聖導貴族家門も同じ筈だ。
「必ずや、このわたくしの前で頭を垂れさせてみせますわよ、ローデルク嬢」
ミラベルの瞳に、情念の炎が燃え上がった。




