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59.森精種の領域へ

 一体どれぐらい、歩いただろうか。

 アルゼンは傍らのリテリアに、それとなく視線を流した。森精種姿のリテリアは今までとは雰囲気が異なり、どこか妖艶さを漂わせる奇妙な色気に溢れていた。


(リテリア……綺麗だな)


 思わずそのひと言が喉の奥から漏れそうになってしまい、アルゼンは慌てて掌で己の口元を抑えた。

 リテリアに挙動不審な己の姿がバレやしないかと内心で肝が冷える思いだったが、幸い彼女は前方を行くレイラニの背中に意識を集中させているらしく、アルゼンの所作には気付いた様子も無かった。

 それにしても、と改めて思う。

 特級聖癒士としての彼女は清楚で華やかで、それでいて他者を思い遣る心に溢れていた。

 アルゼン自身、これまで何度もリテリアに危ないところを救われてきた。その最大の恩恵が、右膝より先に移植された生体義足であろう。


(逆に俺は、自分でも納得出来る程に彼女を支えられていただろうか)


 リテリアが冤罪の罠に落とされ、国家反逆罪の汚名を着せられて追われた際、自分は彼女を救う為に出来る限りのことをしたつもりだ。

 その結果、一度は近衛騎士の座を失い、右脚切断の刑罰を受ける境遇にも陥った。しかし、後悔は無かった。リテリアを救うことが出来るならば、例え命を落としたとしても本望だった。

 近衛騎士としての自分は罪に問われたが、リテリアを信じるひとりの人間としては、決して道を踏み外してなどいない。あの時、彼女を心から信じたことには何の後悔も無かったし、最後まで信じ抜くつもりだった。

 その一方で、地下牢で己の無様な姿を彼女の前で晒してしまった時には、己の無力さに腹が立った。そして同時に、これ以上彼女を苦しめてはいけないとも思った。

 右脚を失ったことについては、アルゼンはただの一度もリテリアを恨んだことは無かった。寧ろ、右脚一本で彼女を救えるならば、安いものだとさえ思っていた。

 しかしあの地下牢でリテリアが見せた絶望の表情は、右脚を切られた己の姿に原因があった。だから、これ以上彼女に付き纏ってはならないと悟り、一度は友誼を失う覚悟を決めた。


(ああすることでしか、彼女を守れないなんて……情けない話だ)


 それでもアルゼンは諦めなかった。

 例え友としての絆は失われても、何とか王家に嘆願し、リテリアの命だけは救って貰おうとした。歩けなくとも行動は出来る。その必死の思いでソフィアンナやクライトン孤児院の院長らと協力し、何とかリテリアが処刑されずに済む道を模索し続けた。

 だが結局は、力が及ばなかった。あの時、全てを覆せる程の強さが自分にあれば、彼女を処刑舞台に立たせる辛さを味わわせることも無かっただろう。

 だから、ソウルケイジが颯爽と現れてリテリアを救出した際は、嫉妬などは微塵も無く、心からの感謝だけが湧き起こった。

 翻って、今はどうだろうか。

 王宮での中庭で、リテリアに感謝と敬愛の念を伝えようとしたあの時以上に、リテリアのことが愛おしくて堪らない。この先一生、彼女を守り、共に人生の苦楽を過ごしていきたい。

 なのに、それが出来ない。

 今、リテリアには危機が迫っているのだという。ソウルケイジから聞いた話では、人間では到底対処出来ない程の脅威らしい。

 アルゼンの力では間違い無く、足を引っ張るだけだろう。どんなに彼女を大事に想い、守りたいと願っていても、ソウルケイジに全てを託さざるを得ない。

 そんな自分に、リテリアへの想いを遂げる資格があるだろうか。

 今にも手を伸ばせば、簡単に触れることが出来るだろう。しかしそれをしてしまえば、何もかもが終わってしまう気がする。

 リテリアを守る為であればこそ、決して何もしてはいけない――そのジレンマが、アルゼンの心に鋭い刃の様な痛みを生み続けている。そしてアルゼン自身、これは受け入れなければならない痛みだということを誰よりも理解していた。

 想いを伝えたい相手が目の前に居るのに、絶対に手を出してはならない辛さ、悲しさ。

 きっとレイラニも、同じ苦しみの中に居るのだろう。

 アルゼンが見たところ、レイラニはフェドリックなる人物を愛している。だからこそ、ここまで奔走しているに違いない。

 そしてふたりの前に立ちはだかっているのが人種の壁、そして上位森精種達の怒りと憎悪。

 出来ることなら、レイラニのことを応援してやりたい。彼女と出会ってからまだ数日に過ぎないが、同じ苦しみを抱えている者として、絶対に幸せになって欲しいと願っている。

 しかし、アルゼンはぐっと己の感情を抑え、言葉を呑み込んだ。


(今は、やるべきことに集中するんだ)


 フェドリックの無実を証明し、枝先の里で起きている事実を全て明らかにする。

 それはリテリアが望むことでもあるし、ソフィアンナやミルネッティの願いでもあった。

 その為には、近衛騎士団第二近衛騎士隊で培ってきた事件捜査の技法と知識を、この奥深い森の中で発揮しなければならない。

 精確に調査を進め、冷静な判断を下す為には己の心を感情に振り回されてはならないのだ。


(徹頭徹尾、頭を常にクリアに保ち、心を冷やし続けなければ……)


 ソウルケイジならば、その程度のことは朝飯前だろう。

 対して今の自分は、どうだろうか。出来るだろうか。

 ところが、そんな悩みもそう長くは続かなかった。不意にレイラニが足を止め、リテリアや自分に対して静止の合図を送ってきたのである。

 見ると、いつの間にか樹々の迷路を抜けていた。

 目の前には開けた草地が広がり、まるで門扉の様な巨岩が二本、屹立している。更にその左右には城壁の様な形で密度の濃い樹々の壁が延々と続いていた。


「どういうつもりだ、レイラニ」


 門扉の岩の上に、年若い男性姿。否、そこだけではない。城壁状の樹々の枝や左右の茂みに、大勢の弓師の姿が見える。

 そして更には精霊術士と思しきローブの男達が、アルゼン達を取り囲む様にして静かに佇んでいた。


「どきなさい、コリム。この方々は私の客人よ」


 レイラニが呼びかけた岩の上の相手に、アルゼンは凝然と視線を送る。自分達と対峙している隊長格の男は間違い無く、宿でソウルケイジが見せた似顔絵とそっくりの人物だった。

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