53.霊明大樹の枝先の里
ルヴェントラス侯爵領に入って以降、ミルネッティはソウルケイジから与えられた変身法術の指輪を常に装備し続けていた。
現在この領内では森精種の里の話題で持ちきりだ。そこへミルネッティが森精種の姿のままで足を踏み入れてしまえば、とんでもない騒ぎになってしまうだろう。
そこで森精種としての特徴を視覚的に覆い隠し、外見を純正人種へと変えることが出来る魔装具を使おうということになった。それが、ソウルケイジからの指輪だった。
勿論これはソウルケイジが必要だと判断した措置の結果に過ぎなかったのだが、ミルネッティとしては初めて彼が贈ってくれた装飾品だったから、どうしても嬉しさの方が先に立ってしまった。
(ご主人様がくれた指輪……もう絶対、一生大事にするんだから!)
そんなことを思いながら、領都ルーヴランの万職相互組合へと足を運んだミルネッティ。
まずはここで情報収集だと、エントランス兼ロビーのそこかしこにたむろしている万職達の声に、そっと耳をそばだててみる。
矢張りというか、森精種の里に関する噂話が大半を占めていた。
が、ソウルケイジから与えられた指示は、森精種に関する話題を一切に口にしていない者、或いはその話題に興味を示さない者が居るかどうかを見定めろ、ということであった。
噂を囁いている者はまず間違い無く、真相など何ひとつ知らない連中だ。逆にこの状況で全く関与しようとしない者が怪しい。それがソウルケイジの見立てだった。
そして、ひとりだけその条件に合致する者が居た。
見た目は20歳前後の年若い娘で、すらりとした体躯が美しい。整った顔立ちは氷を思わせる鋭利さが漂っており、口説こうとする男連中をキツい目線で追い払う豪胆さも併せ持っていた。
しかしそれ以上にミルネッティは、その女性の周辺に漂う空気に既視感を覚えた。
(まさか……いや、でも多分、間違い無い。あのひとは……)
ミルネッティは件の女性を追って、万職相互組合ルーブラン支部を出た。そしてそのまま尾行を開始する。
相手はこちらの存在に気付いていないのか、特に警戒する様子も無く、大通りを歩き続けた。が、不意に脇道へと逸れた。
(バレたかな?)
若干の不安を覚えつつ、ミルネッティは女性が消えた脇道へと足を踏み入れた。ひと通りの無い薄暗い路地裏だったが、ミルネッティは構わず歩を進めた。
やがてふたつ目の角を曲がったところで、足を止めた。
件の女性が抜刀したまま、鋭い眼光を湛えてミルネッティを待ち構えていたからだ。
「私が気付いていることを分かった上で、追ってきましたね……何者ですか?」
相手は警戒こそしているものの、敵意は感じられない。話せばきっと分かってくれるだろう。
それに何より、彼女の全身に漂う空気に、ミルネッティは賭けることにした。
「失礼だったことは、お詫びするよ。でもボクはどうしても、キミから話を聞きたいんだ」
いいながらミルネッティは、ソウルケイジから与えられた変身法術の指輪を外した。
その瞬間――相手の女性は驚きに満ちた表情で、その場に立ち尽くしていた。
「まさか……貴女も森精種だったなんて……」
「貴女も、ってことは、やっぱりキミも、そうだったんだね」
ミルネッティが笑顔を向けると、相手の女性の姿に僅かな変化が生じた。
長く尖った耳先と、深緑色の瞳が美しい。間違い無く、相手の女性もまた森精種だった。ミルネッティはこの女性が光の精霊法術を駆使して外見を変えていたことを改めて確信した。
「森精種同士ならお互い光の精霊法術を使っていることが分かる筈なのですが、どうして貴女は私のことを見抜くことが出来て、私には出来なかったのでしょう?」
「あ、御免ね。ボク、精霊術士じゃなくて操設士なんだ」
ミルネッティは苦笑しながら頭を掻いた。相手の森精種女性は、本当ですかと驚きの色を浮かべて目を見張った。
「ボクが姿を変えていたのは、これのお陰……魔装具の効果だよ」
再び変身法術の指輪を装着したミルネッティ。するとその姿は、可愛らしい顔つきの純正人種へと一瞬のうちに切り替わった。
その完璧な偽装と変身速度に、森精種女性は更に驚いて息を呑む仕草を見せた。
普通、光の精霊法術を駆使しての変身には、光の精霊との交信に詠唱を要する。しかしこの魔装具は、ただ身に着けるだけで良い。圧倒的な速度差があった。
「そういう、ことだったのですか……」
未だ驚きを隠せない様子で、森精種女性は光の精霊との交信を試みた。それから数秒後、彼女は先程までと同じ純正人種の女性姿へと戻った。
「ボクはミルネッティ。東の巨大湖のほとりにあった里の出身だよ。キミは?」
「私はレイラニ。霊明大樹の枝先の里の森精種よ」
その瞬間、ミルネッティは思わず息が止まる程の衝撃を覚えた。
霊明大樹といえば、この大陸に生きる全ての森精種の頂点に立つ偉大な精霊神だ。その枝先の里ともなれば、森精種の中でも特に優れた上位種が住む土地ということになる。
同時に、まさかという思いが胸中を去来した。
「その……王国内最大の森精種の里っていうのは……」
「えぇ、ご想像の通り、枝先の里のことよ」
レイラニの応えに、ミルネッティはごくりと喉を鳴らした。どうやら自分達は、とんでもない存在と接触を図ろうとしていたらしい。
だが、レイラニの面に漂っているこの悲壮感の様な色は一体、何だろう。彼女が見せているこの切迫した空気は、何が原因なのか。
ミルネッティは、今この地で起きていることが容易ならざる事態であることを直感した。
(多分……ご主人様の力を借りないと、どうにもならない問題が起きてるね)
しかしまずは、レイラニと話をしなければ始まらないだろう。
そこでミルネッティは、自身が泊まっている宿に来る気は無いかと尋ねた。
レイラニはしかし、迷っている様子だった。




