113.出立前夜
夕刻。
宿に戻ったリテリアは、変な疲労感に襲われながら一階食堂へと顔を出した。
ぐるりと見渡すと、店内の隅の方にレオとカルナウ、ソウルケイジがテーブルを囲んでいる様子が見える。リテリアが歩を寄せてゆくと、レオがここに座れとばかりに木椅子のひとつを引いて出迎えてくれた。
「何だか、随分疲れてるみたいだね」
カルナウが不思議そうに覗き込んできた。
ついつい顔に出てしまっていたかと、リテリアは苦笑を返す。そして万職相互組合での顛末を、掻い摘んで説明した。
「おやおや、そいつぁご苦労なこったなぁ……で、ソウルケイジの旦那は、ついて行くのかい?」
「遠隔から監視する」
ソウルケイジはレオに一瞥を返した。どうやら今回は姿を隠して、離れた位置からリテリアを密かに守ろうということらしい。
ならばと、レオもソウルケイジに同行する旨を告げた。
「僕も一緒に行くよ。暇つぶしには丁度良いし」
「あのね、こっちはそれどころじゃないんだけど……あ、すみません、注文良いですか?」
レオの後にしれっとした顔で続けたカルナウ。対するリテリアはがっくりと肩を落としつつ、注文を取りに来たウェイトレスにスープと麺料理をオーダーした。
「まぁぶっちゃけ食人鬼ぐらいなら、俺と旦那のふたりだけで始末出来そうなもんだけどな」
「だったら先に行って、ちゃちゃっと片付けておいて貰えません?」
呑気に笑うレオに、リテリアは半ば本気で訴えかけた。紅嵐の剣豪に目を付けられたのはもうどうしようもないが、せめて楽に終わらせたい。かといってリテリアが闘幻の聖女としての本領を発揮したら、今以上にギデンツが離れなくなりそうで怖かった。
ならば治癒法士だと名乗った上で、剣術の指導は不要だと告げれば良いんじゃないのかとレオが訊いたが、リテリアはこめかみに指先を押し当てながら、渋面を浮かべてかぶりを振った。
「それはもういいました……そしたらあの方、治癒法士の在り方を実地で教えてやるだの何だの……」
「うわっ、それは寒いね。聖女相手に何いってんのって感じ」
カルナウが心底面倒臭そうな顔で、若干引く素振りを見せた。
が、こればかりは仕方が無い。ソウルケイジやレオの万職階級は公にしていない上に、リテリア自身も聖女であることを伏せておく様にと万職相互組合に申し入れてある。
今更それを撤回して大々的に名乗るのも変な話だろうし、そもそもリテリアは余計な注目を浴びるのは極力避ける方針だった。
下手に闘幻の聖女だと名乗ってしまうと、行く先々でひとびとが変に取り繕っていつもの日常を隠してしまう恐れがあったからだ。それ故、なるべく一介の治癒法士で通したいというのがリテリアの希望だった。
そう考えると、ギデンツに食人鬼退治へと連れ出されるのも、ごく自然な流れの中で起きた事件だと諦めるしか無いだろう。
「ははは……ま、今回だけは腹括って、大人しく御指導御鞭撻を有り難くお受けするしかないだろうな」
「簡単にいって下さいますね……良いですよ、もう。覚悟は決めましたから」
などといっていると、注文したスープと麺料理が供されてきた。
取り敢えず今は、美味しいものでも食べて気分転換を図るしかない。リテリアは野菜ジュースをがぶ飲みしてから、熱い麺料理にフォークの先を突っ込んだ。
◆ ◇ ◆
同じ頃、ラムトはトヴァリー達の命令で夕刻の市場を訪れていた。
食人鬼討伐地となる漁村までは徒歩で丸一日を要する為、道中で喫食する為の干し肉やパンを買い求める必要があったからだ。
彼らの仲間に加えて貰う代わりに諸々の雑用は全て引き受けるというのが約束だったから、今回の様な買い出しも日常の一光景となりつつあった。
そうして購入した食材を保存食袋へと詰め込みながら、ラムトは大勢の買い物客でごった返す市場内を漠然と彷徨っていた。
(食人鬼から集中攻撃を浴びたりしたら……生きて帰れるかな)
そんな不安が何度も湧いては消え、湧いては消えを繰り返している。
緑小鬼の群れ相手でも、危うく命を落としかけたのだ。それが数ランクも上の恐ろしい怪力ともなれば、どうなるだろうか。
あれこれ考えるまでも無いだろう。
(流石に今回は、詰んだかもなぁ……)
背筋に冷たいものを感じて、この暑さの中だというのに変に身震いしてしまった。
(駄目だ……余計なことを考えるのはやめよう。今すぐにどうにかなるって訳じゃないんだから)
嫌な考えを払拭する様に小さく頭を振り、大きく息を吐き出したラムト。今から心配しても仕方が無いと自らにいい聞かせ、トヴァリー達が泊まっている宿へ引き返そうとした。
が、その足がつい止まってしまった。
雑踏の向こう側に、居る筈の無い顔を見てしまったからだ。
(え……ミーナ?)
クレヴ村の村長夫妻の娘ミーナの姿が、そこにあった。まさかと思ってじっと目を凝らしてみたものの、矢張り間違い無い。
彼女が何故パルテレアに居るのだろうか――そんな疑問よりもまずラムトが脳裏に思い浮かべたのは、ミーナが元気そうな姿で歩いていることへの喜びだった。
最後に見た彼女の顔は、ラムトとの別れを惜しんで涙に濡れていた。あの時は本当に申し訳無くて、振り返ることも出来なかった。
しかし今、この市場の雑踏の中で見かけたミーナは少しばかり大人っぽくなった印象を受けるものの、落ち着いた様子で暗い表情は微塵にも感じられなかった。
ただそれだけが純粋に嬉しくて、ラムトは脇目もふらずに彼女のもとへと小走りに駆け寄っていった。
「ミーナ!」
ラムトが弾んだ声で呼びかけると、ミーナは一瞬驚きの表情を浮かべ、そしてその端正な面をラムトへと向けた――が、その表情にはどういう訳か、嫌悪の色が張り付いていた。
この時ラムトは、不吉な予感に見舞われた。それまで彼の面に浮かんでいた笑顔が、瞬時に失われた。
「……ラムト?」
ミーナの瞳の奥には、矢張り険しい光が灯っている。
クレヴ村ではあんなにも明るく、優しい笑顔で接してくれていたのに。
ラムトは思わず、ごくりと息を呑んでしまった。




