107.二者択一
数日後。
リテリアは、クロルドがタルネアン太聖大学への留学中に使用しているエヴェレウス王家の別荘を訪れた。
カレアナ聖導会の総本山である聖教国から直接に闘幻の聖女として認められた今のリテリアは、その事実上の権限と地位はエヴェレウス王国第二王子たるクロルドと、ほぼ同格といって良い。
もともとは一介の平民であり、しかも孤児に過ぎなかったリテリア。
そして一度は罪人として処刑寸前まで追い込まれた彼女だが、それも最早過去の話だ。
闘幻の聖女はその特殊な性質上、独立した力を行使することが聖導会から認められている。一国の支配者層程度がおいそれと口を出せる存在ではなかった。
それでもリテリアは、クロルドを前にしては臣下の礼を執った。
闘幻の聖女に昇格したからといって、急にそれまでの態度を改めることは彼女自身、どうにも気が進まなかったからだ。
「いや、リテリア……もうそんなに畏まらなくても良いんだ」
逆にクロルドの方が、困惑している様子だった。
彼が座しているソファーのすぐ後ろに控えている専属執事のティオルも、リテリアが飽くまで臣下としての態度を崩そうとしない為、どう対応して良いのか迷っている節が伺える。
かといってリテリアとしても、いきなり対等の言動をといわれたところで、それはそれで大いに困った。
「まぁ、今日のところは従来通りで良いんじゃないでしょうか。多分その方が、お互いやり易いでしょうから……」
と、ここでリテリアの座すソファーの後ろからアルゼンが助け舟を出した。
こういう時、いつも的確な助言を囁いてくれる彼の存在は、リテリアにとっても本当に有り難かった。
「……それもそうだな。僕も、その方が助かる」
するとクロルドも苦笑を浮かべながら、小さく肩を竦めた。その反応に、リテリアも内心でほっと胸を撫で下ろす。
「それで……今後はどうするつもりなんだい?」
「まず太聖大学は、無期限休学にさせて頂こうかと存じます」
もともとリテリアがタルネアン太聖大学に入学したのは、今年から特級聖癒士が強制在籍になるという規則に縛られたからであり、何かを学びたいという意志があった訳ではなかった。
しかし、クロルドとの結婚話から逃れる為の良い口実になるからという理由もあり、リテリアは入学を前向きに捉える様になった。
ところが、そのクロルドが同じく太聖大学に留学してきた。正直なところをいえば、少し困ったというのがリテリアの本心だった。
そのことを正直に打ち明けると、クロルドは心底残念そうな表情になったが、ティオルはそれはそうでしょうとばかりに苦笑を漏らしていた。
「ですが今は聖教国から直接、闘幻の聖女に昇格して頂きました。これで私の自由意思で、クロルド殿下からの求婚をお断りすることが出来ます。それに聖女は太聖大学への在籍が免除される特権も御座います故、これ以上ここに居る必要性は無くなりました」
「ははは……随分、はっきりいってくれるね」
クロルドは別段気分を害した顔は見せなかったが、心残りがある様な目線でリテリアの美貌を真正面から見つめてきた。
尤も、その様な反応を見せていたのはほんの僅かな間だけで、クロルドはすぐに承知したと頷き返した。
「で……大学を去るのは良いとして、そのままシンフェニアポリスに戻るつもりかい?」
「いえ、王都にも戻りません」
リテリアのこの言葉にはクロルドのみならず、アルゼンも意外そうな面持ちで覗き込んできた。
実のところ、聖女にはふたつの活動内容が認められている。
ひとつは所属国の首都に置かれている聖導会本部に留まり、指導者或いは聖導会の象徴的存在としての役割を果たす道。
そしてもうひとつが、諸国を巡ってひとびとに救いと希望を示す道だ。リテリアは、この後者を選ぼうというのである。
特に闘幻の聖女は、聖導会内部でも極めて珍しい武闘派としての役割が期待されている。ひとびとの安寧と平和を害する存在を打ち砕きつつ、傷ついた者達に癒しを施す為には、矢張り一カ所に留まっていてはその本領が発揮出来ない。
既に枢機卿達もリテリアの意志を汲み取る声明を出しており、彼女の聖女遍歴行には何の支障も無かった。
「成程……もうそこまで、考えは纏まっていたってことだね」
クロルドはどこか諦めた様子で、静かに頷いた。
闘幻の聖女の意志を妨げることは、如何に王室といえども許される行為ではない。クロルドはどうやら、リテリアを自身の傍に置くことを、この時点できっぱりと頭の中から斬り捨てた様に思えた。
「だけど、偶には王国にも顔を出してくれるんだろう? 我が国から闘幻の聖女を輩出することが出来たという名誉ぐらいは、せめて誇らせて欲しい」
「はい、それは勿論……私にとっても、王国は生まれ育った故郷ですから」
この時、リテリアの脳裏には聖導会シンフェニアポリス本部で過ごした日々が、次々と浮かんでは消えていった。ソフィアンナも、ブラント聖導師もきっと分かってくれるだろう。
「ところで同行者は矢張り、光金級殿なのかい?」
「ソウルケイジ様だけではありません。他にもうひとりかふたり、同行して頂こうと考えています」
しかしその面子の中には、生憎ながらアルゼンの名は無かった。彼は飽くまでも近衛騎士である。如何にリテリアが闘幻の聖女といっても、王国の騎士としての任務を放棄してまで彼女に付き従う訳にはいかなかった。
「ははは……俺も万職に転職しておけば良かったかな」
「今更何をおっしゃってるんですか。アルゼン様は近衛騎士として大事なお役目がございますでしょう?」
笑顔を返すリテリアに、アルゼンはその面に一瞬だけ、寂しそうな色を浮かべていた。
◆ ◇ ◆
その日の夕刻、リテリアは万職相互組合ムルペリウス本部へと足を運んだ。
「あー、リテリア。登録証出来てるってさー」
壁際のソファーで、ミルネッティが笑顔で手を振ってきた。
リテリアも笑みを返しながら、受付カウンターへと向かう。周囲からは好奇と尊敬の視線が次々と飛んでくるが、リテリアはいちいち相手にはせず、真っ直ぐに歩を進めた。
そこで受付嬢から手渡されたのは、リテリアの万職登録証――その階級は、正銅級だった。
「おめでとさん、リテリア。これで俺とも同格だな」
「ありがとうございます、レオさん。でも、本当に良いんでしょうか?」
小首を傾げるリテリアに対し、傍らに立ったレオが、お前さんならもっと上でも良さそうなもんだと豪快に笑った。
実はこのレオが、リテリアとソウルケイジに同行するもうひとりの仲間だった。
「ま、宜しく頼むぜ、聖女殿。あんまりこき使わねぇでくれよ」
「んふふ……それはその時のお楽しみということで」
リテリアは悪戯っぽく笑いながら、壁際のソファーに視線を流した。
ソウルケイジは相変わらず無表情のまま静かに腰を下ろし、手にした文書を黙々と読みふけっているばかりだった。




