106.闘幻の聖女
その日の午後、リテリアはミラベルの案内でカレアナ聖導会ムルペリウス本部大聖堂へと足を運んだ。
彼女の面には今までに無い程の緊張感が張り付いている。
これからリテリアが相対しようとしているのは、カレアナ聖導会のトップである大聖導尊師と、彼を支える筆頭枢機卿クラレオス・ド・フェヴァーヌ聖導侯爵以下、数名の聖導会枢機卿幹部達。
そして数多くの聖導師達、上位聖癒士達、高位の聖導貴族達だった。
「リテリアさん……そう緊張なさらなくても、といいたいところですけど、それも無理な話ですわね」
深紅の絨毯が敷き詰められている廊下を、慣れた足取りでどんどん進んでゆくミラベルは、矢張り大したものだと思った。彼女はタルネアン太聖大学内で見せる凛とした顔つきのまま、臆する様子を一切伺わせない。
リテリアもエヴェレウス王国では王宮に出入りし、王族であるアーサー王太子やクロルド第二王子と何度も顔を合わせてきたが、流石にカレアナ聖導会の重鎮と面会するとなると、またひと味違った緊張が全身を強張らせている。
それでも、逃げ出す訳にはいかない。
今回リテリアが彼らのもとへ向かっているのは、自身に下された聖託の内容を改めて拝聴する為であった。
前後左右には十数名を越える聖導師や聖騎士の姿があり、彼らの表情もどこか強張っている様に見える。
やがて、目の前に豪奢な造りの大きな扉が現れた。
聖導会伝統の作法に則ったやり取りの後、その扉が開け放たれ、リテリアとミラベルは案内されるがままにゆっくりと入室していった。
大きな謁見室の奥には、聖導会のトップである大聖導尊師の年老いた姿があり、更にその手前には背筋をぴんと伸ばした枢機卿達の、威厳に満ちた顔が幾つも並んでいる。
「エヴェレウス王国シンフェニアポリス本部所属、特級聖癒士リテリア・ローデルク、お呼びに与り只今参上致しました」
ここでもまた、聖導会の作法に則った礼を執り、名乗りを上げたリテリア。
その後、大聖導尊師からの労いの言葉や枢機卿何某からの幾つかの言葉を拝聴した後、いよいよ本題へと入ってゆく。
筆頭枢機卿フェヴァーヌ聖導侯爵が進み出て、装飾された巻物を広げて朗々と声を響かせた。
「リテリア・ローデルク殿。本日この時より、貴殿を闘幻の聖女に任ずる」
室内の厳かな空気がほんの一瞬だけ、和らいだ様な気がした。
居並ぶお歴々のどの顔も、リテリアに任ぜられた闘幻の聖女という言葉の響きに、密かな嬉しさを噛み締めている様な色を滲ませていた。
リテリアは心臓が高鳴るのを必死に堪えながら、矢張り作法通りに頭を下げ、聖癒士の礼を執った。
「謹んで、お受けさせて頂きます」
その瞬間、謁見室内に割れる様な歓声と拍手が響き渡った。
年老いた大聖導尊師は穏やかな笑みを湛えて、何度も頷く。
「リテリアさん、おめでとう」
ミラベルが満面の笑みを浮かべて、リテリアの手を取った。
これまでリテリアの前に現れた聖女はいずれも己の我欲を全面に押し出しており、その役割を果たしているとは到底いえなかった様に思う。
だからこそ、リテリアは余計に気を引き締めた。
聖女とは何か。
どうあるべきか。
これから、その答えを自らの手で導き出さなければならない。
◆ ◇ ◆
ひと通りの儀礼と手続きを終えた後、リテリアはムルペリウス本部大聖堂内の会議室へと足を運んだ。
フェヴァーヌ聖導侯爵や、その他数名の枢機卿に呼ばれていたからである。
先程までの任命式とは異なり、今回は人数こそ少ないものの、別の意味で身が引き締まる思いだ。大聖導尊師が居る前では枢機卿達も場を弁えて多くを語らなかったが、この会議室では彼らは容赦無く、色々な言葉を投げかけてくるだろう。
それに対しリテリアはどう対応すべきなのか。
頭の中で思考を巡らせてはいるものの、これといった解決策は出て来ていない。こうなったらもう、出たとこ勝負だと腹を括るしか無いだろうか。
そんなリテリアに、フェヴァーヌ聖導侯爵は穏やかな笑みを向けて席から立ち上がった。
「よく来てくれた、ローデルク君。まあ、そう緊張せずにリラックスしてくれ給え」
この筆頭枢機卿殿は、先程までの威厳に満ちた表情とは打って変わって、柔和な笑顔でリテリアに席を勧めてくれた。きっと緊張を和らげようと心を砕いてくれているのだろう。
リテリアは失礼が無い様に一礼しながら腰を下ろす。この時、傍らにミラベルが居てくれたのはリテリアにとっても大きな助けとなっていた。
仮にここでリテリアが何か粗相をやらかしたとしても、きっとミラベルが色々と助けてくれそうな気がしたのである。
情けない話ではあったが、今は兎に角、誰かの助力が必要だということを自ら認めざるを得ないだろう。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
「さて……ローデルク君に態々御足労願ったのは、ひとつ確かめたいことがあったからなのだが」
いいながらフェヴァーヌ聖導侯爵はずいっと上体を乗り出す様にして、リテリアの面を覗き込んできた。
「君は、聖癒結界を発動したことはあるかね?」
聖癒結界とは、聖女だけが行使し得る権能の様なものだ。霊素を解放することで一定範囲内の負傷者や病人などを複数纏めて、一瞬で回復させるという能力だ。
聖癒士は単一の対象にのみ、治癒術もしくは回復術のいずれかを行使することが出来る。聖癒結界の様な強力な技は、まさに聖女だけの特権といえるだろう。
この問いかけに対し、リテリアは素直にかぶりを振った。どうすれば聖癒結界が発動出来るのか、全く想像すら出来なかったからだ。
枢機卿達は幾分困った表情で顔を見合わせる。
聖託は確かにリテリアを聖女として選んだ。が、肝心のリテリアが聖女としての能力を発動する術を知らないというのは、一体どういうことなのか。
と、ここでフェヴァーヌ聖導侯爵が質問を変えてきた。
「では、最近何か治癒術や回復術以外で新たに身に着けた技能はあるかね?」
これには、思い当たる節があった。
ソウルケイジから伝授された聖気弾と聖気衝が、該当する。その旨を伝えると、枢機卿達は一様に成程、と頷いていた。
「まさにそれだよ、ローデルク君。聖気弾を発動させる時の霊素の流れを作り出しながら、周囲に自分の力を張り巡らせるイメージを思い描いてくれ給え」
いいながらフェヴァーヌ聖導侯爵はいきなり、取り出したナイフの切っ先で自身の指先を軽く裂いた。うっすらと赤い点がその箇所に浮かび上がる。
すると他の枢機卿達も同じ様に、自身の掌や指先に傷を入れて自らに出血を強いた。
リテリアは内心で驚きながらも、フェヴァーヌ聖導侯爵に指示された通り、聖気弾を発動させる時と同様に霊素をコントロールしつつ、その力を周辺に発散させるイメージを頭の中に描いた。
すると――その数秒後には、枢機卿達の傷が一斉に消滅し、傷が癒えた。
ミラベルが隣の席で、素晴らしいと黄色い歓声を上げた。
逆にリテリア自身はただただ、驚くばかりだった。聖気弾や聖気衝に用いる霊素制御術が、まさか聖女の権能を発動させるトリガーになっていたなどとは、まるで想像もしていなかったからだ。
「君はどうやら、最初から聖女の素質があったのだろう。それを引き出してくれたのが、君の恩師たる光金級殿という訳だな」
フェヴァーヌ聖導侯爵は、ソウルケイジにも心からの感謝を贈らねばと静かに笑った。
そしてリテリアは、ミラベルからの祝いの言葉を聞きながら小さく頷いた。
ソウルケイジはこれまでに何度も、リテリアの人生に転機を与えてくれていた。
そして、今回も。
あの黒衣の巨漢は、不愛想で大くを語らないが、リテリアにとっては何にも代え難い人生の恩人だった。




