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101.北側研修地点の闇

 ヒルミナは、笑いが堪え切れなかった。

 今、目の前に平民上がりの馬鹿な特級聖癒士が居る。この女は突然ヒルミナ達の野営地に踏み込んできて、貴女達の所為で自分達の班が酷い目に遭った、などと吠え散らかしてきた。

 が、すぐさまヨルド達がその女――リテリアを取り押さえ、後ろ手に頑丈な麻縄で縛り上げた。

 周囲には、他の学生や教授連中は居ない。ここは聖女だけのプライベート空間として、立ち入りを禁止していたのである。それがまさかこんな形で功を奏するとは、ヒルミナ自身思ってもみなかった。


「ねぇねぇ、何が気に入らなくてこんな馬鹿なことしたのぉ?」


 くすくすと笑いながら、ヒルミナは手にした扇でリテリアの頬を軽く叩いた。

 特級聖癒士は、とぼけないでと叫んだ。


「貴女達がカティアにしたことは……全部、分かってるんだから!」

「ん~? 俺達が何だってぇ?」


 ヨルドがリテリアの髪を鷲掴みにして、自身の方に顔を向けさせた。これに対しリテリアは、今にも噛みつかんとする勢いでヨルドに食って掛かった。


「貴方達ね……カティアに酷いことをしたのは!」

「だから、それを知ってどうなるってんだよ。この薄汚い平民風情が」


 そのままリテリアの横っ面を草生えの地面に力ずくで押し付けた。どうやらこの生意気な特級聖癒士は、少しばかり痛い目を見せてやらなければ、己の立場というものが理解出来ない様だ。

 ヒルミナはもう、可笑しくて堪らない。

 こんな田舎女風情が蒼雲の聖女に挑みかかろうなどとは、身の程知らずも良いところだった。


「そんなに知りたければ、自分で経験してみればぁ?」


 いいながらヒルミナはヨルドに目配せ。どうせこの女も遅かれ早かれ、始末するつもりだったのだ。それがこの実戦研修という場になっただけの話である。

 ヨルドは待ってましたとばかりに舌なめずりしながら、他の四人の貴族令息達を従えて、少し離れた茂みの向こう側へとリテリアを引きずってゆく。


「や……やめて! 何するつもり?」

「だから、教えてやるんだよ。俺達がカティアにどんなことをしてやったのか。あの女、ヒィヒィ泣きながら、今まで見せたことも無い顔を披露してたんだぜ。お前にも、同じ快感を教えてやるよ」


 尚も抵抗するリテリアだが、ヨルド達五人は哄笑を撒き散らしつつ、彼女を連れて森の中の暗部へと消えていった。


「ほぉんと、単純な女だわねぇ。ばっかみたい」


 ヒルミナはこれ以上は堪え切れないとばかりに、甲高い笑い声を放った。

 これであの女もおしまいだ。純潔を失う以上、聖癒士ですらいられなくなるだろう。

 良い気味だった。


◆ ◇ ◆


 その、少し前。

 リテリアは、森の中を走っていた。

 足場が悪い為、全速力で駆け抜けることは出来なかったが、それでも何とか夜までには北側研修地点に到達することが出来るだろう。

 左右にはアルゼンとレオの姿もある。更に少し前方では斥候役のミルネッティも、同じ方向を目指して小気味良い程の走力を発揮していた。


(ソウルケイジ様がメテオライダーとの戦闘に入る前に、何としてでも彼らから真相を訊き出さないと……)


 リテリアの心には若干の焦りがある。

 もしもソウルケイジが星界からの化け物と真正面からぶつかれば、囮にされた蒼雲の聖女とその取り巻き連中はただでは済まないだろう。

 正直なところ、リテリアはヒルミナやヨルドがソウルケイジの火力に巻き込まれて命を落としたところで、然程苦にはならないと考えている。

 自分は決して、聖人ではない。全ての命が尊いなどとは思わない。それ程までに人間が出来ていないことを、リテリアはよく自覚していた。

 死なせたくないと思うのは、自分にとって大切なひと達。王国の平和を守り、力の無いひとびとを守ってくれる騎士達。そして何の罪も無く、平凡ながら穏やかな人生を歩む市井の民。

 まかり間違っても、己の欲望の為に他人の人生を踏みにじる様な輩を助けたいとは欠片にも思わない。寧ろ、制裁を加えて贖罪させるべきだという怒りの念すら湧く。


(私は善人なんかじゃない。聖人君主でもない。そんな素晴らしい存在になるつもりもない)


 自己弁護だとは思う。だがそれでも一向、構わない。

 罪を憎んでひとを憎まずなどという言葉は、リテリアの心には何も響かなかった。実際に被害に遭い、人生を滅茶苦茶にされたひとびとの悲しさを全く顧みていない偽善だとすら思っている。

 だからヒルミナやヨルドがソウルケイジとメテオライダーの戦闘に巻き込まれて命を落としたとしても、きっと罪悪感を抱くことは無いだろう。申し訳ないと思うことも無いだろう。

 だがそれでも、まだあの連中を死なせるのは早い。

 カティアに乱暴を働いた犯人を確定させなければ、今後また同じことが起きるかも知れない。

 そしてカティアも、この後の人生に暗い翳を落としたまま生活していかなければならないだろう。それだけは絶対に避けなければならない。

 ソウルケイジはきっと、自分が北側研修地点に足を踏み入れれば、メテオライダーとの戦闘は待ってくれるに違いない。彼はひたすらリテリアの命、その存在を守ることだけを目的としている。

 自分が戦闘に巻き込まれることを、彼は絶対に避けようとする筈だ。

 リテリアには自信があった。確信があった。だからこそ、ヒルミナやヨルド達が居る北側研修地点へ走ることに一切、迷いを見せなかった。


「ミルネッティ……見つけた様だな」


 傍らを走るレオが僅かに息を弾ませながら、低く囁いた。

 前方を行くミルネッティが何度かこちらに振り向きながら、手信号を送ってきている。ヒルミナとヨルド達が休憩している草地を発見したということらしい。

 ここでリテリアは速度を緩め、アルゼンとレオに交互に視線を流した。


「では、作戦通りに……」

「リテリア嬢も、決して無理をしない様にね」


 硬い表情で頷き返すアルゼンに、一瞬だけ微笑を向けたリテリア。

 その一方で、レオは周辺の気配を探っている。


「余計な邪魔者は居ないな。まぁ、何か来ても俺とアルゼンで何とかするさ」

「はい……宜しくお願いします」


 リテリアは幾つかの星が瞬き始めている濃紺の天を見上げた。

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