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“若き青春時代”を学校に置き忘れてきた私、気が付けば時は流れ老婆の姿に……

作者: 夜狩仁志

エブリスタの、三行だけの小説から長編小説まで100文字(三行程度)~8000文字。『超・妄想コンテスト』第187回テーマ「忘れもの」投稿作品、「あの日、私が学校で忘れてきたモノ」を加筆修正したものです。

 今朝も私は、誰よりも早く学校へと登校する。

 それは、一人で自習する場所が欲しかったから。

 それだけではない。

 一番乗りするという行為が、誰よりも抜きん出てるという欲望を満たしてくれる。

 さらにそんな私の姿が教師からは真面目で熱心な生徒として見られ、成績の内申にも有利になることで、私はこれを毎日続けていた。

 さらに、静まり返った広い教室を独占するのは、何か特別な存在になったかのように感じられて、私の優越感をも満たしてくれる。


 しかし稀に先客か居ることもあり、私の機嫌を損ねることもあった。その人物は学年トップの佐藤君。

 私より早く来て、教室で一人、勉強しているときがある。

 彼は品行方正で成績優秀。おまけに運動神経も良く、容姿も整っており、女子だけではなく同性からも人気があった。教師からの評判もいい、絵に描いたような優等生。

 悔しくも、私よりも優れていると思わせるような、そんな完璧な彼の存在が目障りに感じ、嫉妬で私の心を濁らせてくれた。


 基本、私は誰ともつるまず一人でいることが多かった。私以外は全てライバルに見えたから。

 表面では仲良く振る舞うけど、内心では敵と認識していた。

 しかし社交的で明るい彼の周りは、いつも人で溢れていた。周囲に振り撒くその笑顔には、悪意や敵意などはなく、分け隔てなく友人達と接していた。本当に優しい人間なのだろう。


 同じ学力、成績でも、そこが彼と私の違い。


 でも、私が見る限り、彼は友人と遊び呆けているのに見えるのだが、何故か私よりも成績が良いというのが、腹が立つ。


 友達なんて作ってどうするの?

 そんな人間と仲良くなってどうするの?

 そいつらは近い将来、なんの意味も持たなくなり、卒業してしまえばいつの間にか消えていなくなっているというのに。

 くだらない人間関係など大切にするより、良い成績を積み、良い大学に入り、一流企業に就職する。そして将来、安泰の生活を手に入れる。その方が遥かに有意義だというのに。


 そのために私は寒い日だろうと早起きをし、学校へと向かうのだった。



 今日も私は、人も疎らな通学路を歩き、一番に正門をくぐり、まだ誰にも踏み荒らされていない廊下に足音を響かせながら教室へと向かう。


 そう、誰もいないはずの校舎。


 しかし……


 廊下の奥の角で、人らしき影が横切っていった?のが目に入った。


 私以外の生徒か職員なら、別に不思議ではない。だけどその姿が明らかに、腰の曲がった年寄りに見えたから、一瞬自分の目を疑ったのだった。


 そんな学校の関係者なんて聞いたことない。

 私の見間違い?

 いや、あれは確かに白髪頭の、腰の曲がった女性だった。

 認知症の老人か誰かが、迷い込んだのかしら?


 そう考えて、私はそのまま無視して教室に向かおうとしたが、もし何らかの事件に発展し警察沙汰にでもなり、その日の朝に私が登校していたとなったら、後々面倒なことになりそうだったので、仕方なしにその年寄りの後を追うことにした。


 そのまま廊下を突き進み角を曲がる。私の足でも、歩行速度の遅い老人に追い付くのは簡単で、案外直ぐに見つけることが出来た。


 その老人、白髪頭の茶色いカーディガンを羽織った、品の良さそうな老婆は、私のクラス2年3組の教室にちょうど入っていくところだった。


 私は外から少しの間、様子をうかがう。

 老婆は中央の席に歩みより、何をするわけでもなく、机を擦りながら佇んでいるだけだった。


 見る限りこれはきっと痴呆で、間違えてこんな場所に迷い込んだのだろう。さっさと追い払ってしまおうと考えた。


 私はタイミングを見計らって教室内へ入ると、

「どなたですか? ここでなにをしてるんですか?」

 と問い詰める。


「あら~」


 老婆は振り向き、惚けたような口調で、無邪気な子どものように微笑みながら言う。


「見つかっちゃったのね」

「は? 」


「ごめんなさいね。私ね、忘れモノを取りに来たのよ?」

「忘れ物、ですか?」


 こんな老人が朝から学校に忘れ物?

 やはりボケているのでは?


 ……とも思ったが、その言葉遣いや身のこなし、目の輝きからは、そのようなものは見受けられなかった。

 意外にもしっかりとした振る舞いで、私の質問に受け答えるのだった。


「見つかっちゃったなら、今日は帰るとしますか~」

「ちゃんと帰れますか?」


「大丈夫よ、ありがとう。貴女は、こちらの学生さん?」

「そうですが? それが何か?」


「そう…… 貴女も忘れモノ、しないようにお気を付けなさい」


 顔に刻み込まれたシワを更にしわくちゃにして笑って見せながら、そのシワよりも深く、暗い声で意味深な忠告してきた。


 は?


 一体なんなの?

 何様のつもり?


 迷い込んできた年寄りのくせに、偉そうに。


 老婆はそう言い残し、逆にその場で唖然としていた私を置いて教室を出ていってしまった。


 ハッと我に返り、私も直ぐに廊下に出るが、不思議とあの老婆の姿は、どこを見渡しても見えなくなっていた。


 いったいなんなの?


 朝から気味悪い、そして腹立たしい言動を聞かされて、非常に気分が悪い。


 気を取り直し自分の教室へ行き、自席に座ると荷物を整理する。

 そんなところに、更に追い討ちをかけるかのように、佐藤君が教室へとやって来てしまう。


「あれ? おはよう。今日も一番乗りなんだね」


 馴れ馴れしく近寄ってきては、挨拶なんかしてくる。


「おはよう。ねえ、ここに来るとき、廊下で老人見なかった?」

「え?廊下で?見てないけど?どうしたの?」


「別に……見てないならいいわ」

「珍しく声をかけてくれたかと思ったら、そんな変なこと聞いてきて、今日は少し変だね」


 そう言って明るく声を出して笑う。


 変なことを聞いてしまったと、我ながら恥ずかしくなる。

 これでは、私がボケてるみたいじゃないの。


 結局、その日のことは、何も無かったかのように過ぎ去り、私もそんな些細なことはすっかり忘れていってしまった。


 それからというもの、私は毎日毎日勉強に明け暮れていた。

 ただ好成績を収めるために、

 良い大学に進学したいがために。

 佐藤君、負けたくないために……

 あの日の不思議な老婆のことなど、目まぐるしく変化する日々に押し流され、どこともなく忘却していった。


 私は、とにかく誰かに負けたくなくて、常に見えないなにかと競うように生きていた。

 無事に高校もトップの成績で卒業し、一流大学に入学卒業し、無事に一流企業へ就職することができた。


 職場では、やればやるほど成績が上がり、評価もうなぎ登り。

 入社間も無くして、ある企画に携わるグループの一員に抜擢され、そこで大きな評価を得ることに成功する。その後、今度はある一つの企画のリーダーを任されて、それも大成功。

 それを機に上司からも、周りからも認められる存在へとかけ登っていった。


 仕事に打ち込めば打ち込むほど、成果を出し評価される。そして出世する。するとまた大きな権限を手に入れる。

 このプラスのサイクルが楽しくて仕方なかった。私は時が過ぎるのも忘れて、ただひたすら仕事に打ち込んだ。


 どんどん信頼され、頼りにされ、大きなプロジェクトを任せられ、職場での私は充実していた。

 幸せだった。

 私生活を捨ててまで仕事一筋に取り組む。

 それが直接評価へと繋がり、私の欲求を満たし、自己の存在意義を高めてくれる。

 周りから認められ、評価され、信頼され、その度に私の気持ちは高ぶって行った。


 しかしある日……

 がむしゃらに仕事に取り組んできた代償か、私は身体を壊し入院することとなった。


 その時だった。


 ベッドに横たわり、なにもない真っ白い天井を見つめながら、今までの人生を振り返ってみると、私の後ろにはなにも無いことに気が付いたのは……


 権限も経歴も業績も信頼も、それは職場に限られた中での話。いつか仕事を辞めれば、それは全て消えてなくなる儚いもの。

 こうして職場から離れた病院の一室で、痛感させられたのだ。

 私にはそれを失ったらなにも残っていないということに。


 私の私生活は常に独りだった。


 友人は一人もいない。

 学生生活は常に勉学に励み、友人などは足を引っ張る邪魔物か、もしくは自分を脅かすライバルとしか見ていなかった。


 無論、見舞に来るような人はいなかった。


 職場の人間も誰1人としてやって来なかった。

 お互い一歩でも会社から足を出せば、もうそれは他人同士。

 仕事以外の付き合いなど一切してこなかったのは、この私自身だった。


 たった一週間の入院生活だったが、初めて孤独という名の恐怖に怯えた瞬間だった。


 職場に戻った私の存在は今までとなにも変わらなかった。

 むしろ業績が落ちる度に、仕事や人材や金銭が飛ぶ鳥のように、私から逃げていった。


 親しくもない同級生の『私たち結婚しました』という風の便りが届くたびに、そんなもの!と悔し紛れの悪態をついてきたが、その報告もこの年齢になると、まったく届かなくなる。


 この頃は私も、若くはなかった。


 一人風邪をひき寝込んだ夜、あの心細さと孤独感。毛布の中で、このまま独りで死んでいくのかという恐怖と絶望感に、身体を震わせた。


 そこからはアッという間の人生だった。


 仕事しか知らない私には、それ以外の時間の使い方が分からなかった。

 仕事量は減っていき、それに反比例し過ごし方の分からない無駄な時間が増えていった。


 そして退職。

 それなりにまとまった金銭が手元に残るが、逆に言えば、その時の私にはお金しかなかった。

 金では買えないものがあることを実感し、そしてそれが私の手からこぼれ落ちていったということも驚愕した。

 もうそのことに気が付いた時は、既に手遅れだった。


 私は今年で80歳を迎えた。


 肉親は既に他界。数少ない知り合いも既に他界。

 家族なんかいない。

 友達だって一人もいない。

 同僚も覚えていない。生きているのかすらも分からない。

 部下も上司も、退職してからは一切関わってない。

 身体の機能は衰え、私の持つ全ての能力が消え去っていき、残るは一つの命のみ。


 今日も独り寒空の下、私は意味もなく公園のベンチに座る。

 今はただ、長すぎた人生を早く終わらせたい一心で。


 目の前では、これから冬休みに入ろうとする学生たちがはしゃいでいる。

 この先、自分の身に起こることなど、なにも知らないかのように……


 教えて上げたい。

 こんな人生を歩まないように。

 もっと大切なものが、周りにはあるということを……


 その時だった。

 私の脳裏の奥深くから消え去られていた、かつての記憶が呼び戻される。

 学生の時、あの時、学校へ朝一で登校した時のことを。

 見知らぬ老婆が校内に徘徊し、そして私に告げたこと……


 ――忘れモノ、しないように――


 この事だったの?

 あの人も、何らかの事情で青春時代を送れずに、それを取り戻すかのように校舎に忍び込んだというの? そして既に無いはずのものを、探し求めて去って行く。

 今の私には痛いほどその気持ちが理解できた。


 そう……あの人は私に忠告を。

 なのに、それなのに私は……

 なんて愚かだったのかしら……


 私の身体から、全ての何かが流れ落ちていくように、曲がった背中を更に折りたたむように、その場でうなだれるのだった……


 気が付くと私は深夜、母校の校舎へと忍び込んでいた。

 校舎はあの頃とは別に新しく建て替えられたものだったが、あの頃の記憶を辿り、似たような位置に存在する教室の、同じような間取りの席へと腰を下ろしていた。


 月明かりのみ差し込む真っ暗な教室で、私はこのまま死んでも良いと思いながら、昔を偲び目の前の机を撫でていた。


 悔やんでも悔やみきれなかった。

 今さら、どうしようもない。

 ただ、その時ふと、あの時の成績を競っていた男子生徒の佐藤君の姿が、頭の中をよぎっていった。


 彼は今どうしているのだろう?

 まだ生きているのだろうか?

 卒業後の生活は?

 幸せな人生だったのかしら……?


「あら、貴女?」


 誰もいないはずの教室で声がする?


 振り向くと、そこには1人の老婆が。

 その瞬間、体に電流が走ったかのように思い出す。

 あの日あの時に出逢った老婆。

 彼女が月明かりによって、浮かび上がっていた。


「貴女も来ちゃったのね」


「……ごめんなさい。あの時、あなたに教えてくれたのに。

 忘れモノをしないようにと……

 なのに私は、あなたの忠告に耳を傾けようとしなかった。

 蔑み馬鹿にして……」


 周りともっと仲良くすればよかった。

 もっと友達を作ればよかった。

 遊びに行けばよかった。

 彼氏を作って、いろんな楽しいことをして過ごせばよかった。

 こんな私に話しかけてくれた佐藤君に、もっと仲良くしてれば……


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 私の人生、一体なんだったのだろう。

 取り返しのつかない、大切なものを忘れてきてしまった。


 自然と目頭から雫が流れ落ちていく。

 とうの昔に枯れ果てたと思っていた涙が、止めどなく溢れる。

 取り返しのつかない人生。

 もう手に入れることの出来ない失ったもの。


 真夜中の教室に、私の嗚咽の声だけが響き渡る。



(どうしたんじゃ?)

(そうか……この子も)

(かわいそうに……)

(なんとかしてやりたいのぅ)


 泣き声に紛れて、誰かの姿なき声が聞こえてくる。

 その声は私の回りに集まってくる。


 しわくちゃになった顔を上げると、教室内はいつの間にか大勢の人が。

 年老いたの老人ばかりでなく、中にはまだ10代のあどけなさを顔に残す旧帝国陸軍の軍服をまとった青年姿も見られれば、モンペ姿のおさげの少女まで。


 私も彼らと一緒。

 青春を置き去りにしてきてしまったものたちの末路。

 しかし私は、自らそれを手放した自業自得の愚かな人間。


(なあ、この子だけでも、なんとかしてやれねーかな)

(そうね、私たちはもう構わないけど)

(俺たちの力を合わせれば、この子だけはなんとかなるかもしれん)


 私は後悔と申し訳なさで泣き続け、いつの間にか泣き疲れて、机の上で気を失っていった……




「……大丈夫? ねえ起きて」

「ぅっ……」


 若い男の子の声?

 泣き疲れて、寝落ちしていた?

 私はゆっくりと目を覚ます。


「大丈夫?」


 教室内は既に朝日で満たされ、白く包まれていた。

 どうやら一晩寝過ごして、朝一番に登校した学生に見つけられたようだ。


 なんて惨めな老婆なのかしら。

 本当の理由も言えるはずもない。

 ボケ老人と罵られてもしかたない。


「ごめんなさい、探し物をしていて……」

「さがしもの?」


 男の子は首をかしげる。


 その声、顔……

 見覚えがある。


 学生時代の佐藤君。


 似たような子がいるものだと思いつつ、早くこの場を抜け出さなくては、警察沙汰になってしまう。


 私は涙を手で拭こうと顔にあてる。


 ……えっ?


 自分の枯れ木のような骨と皮の乾燥した手が、みずみずしく張りのある艶やかな白く細い手に?変化していた。


 思わず目の前で掌を裏表にし、何度も指を閉じたり開いたりする。


 これは夢?

 でも、紛れもなく私の意思で動く手。


 そしてその袖。

 黒い上着の袖に白い3本の線。


 これって、私の高校時代の制服?


 視線を下げると、ふくよかな張りのある胸に赤いスカーフが目に入る。


 頭を撫でれば、禿げ上がったみすぼらしい頭ではなく、黒光りする光沢のある長い髪。


 頬は弾力あるもち肌。


「こ、ここは、どこ?」

「どうしたの? 夢でも見てたの?」


 悪意のない笑顔の佐藤君……


 とっさにスマホを取り出し、日にちを確認すると……


 私はあの日に戻っていた。

 学校で老婆と出逢った日の朝に!?


 私は天を仰いだ。


 もう一度……

 やり直しても、

 いいの……ですか?


 昨夜、私の回りに集まった人影は、青春時代になにかを忘れてきてしまった人達なの?

 みんなの力で私だけ、忘れ物を取りに来ることが出来たの?


 理解が追い付かない私は、これが現実なのか確かめるかのように机を手で撫でる。


 その机の中央には、なにか鋭利なもので刻まれた、真新しい文字が掘られてあった。


『探し物は見つかりましたか?

 もう失くさないでくださいね』


 あぁ……

 これは、あの女性の?


 ありがとう……ございます。


「あの、探してる物ってなに? 手伝おうか?」


 気がつくと、佐藤君が心配しながら私の顔を覗き込んでいた。


「ううん、もう大丈夫。見つかったから……」


 忘れ物、見つけたから。

 ここに、あったから……

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