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Jilo's Emotion

 一体何なのだろうか。身体のあちこちに不快なしこりがあるかのようだ。僕には特に体調が悪いだとか、人間関係に困っているだとかいう心配事は無い。なのに何故、通りを歩いているだけでこんな気持ちにならねばならんのだ。気晴らしのつもりで散歩に出掛けて逆に気分を悪くするなどそうそう無いだろう。原因さえ分かれば何とかなるかもしれないのだが…。考えれば考えるほどむしゃくしゃしてきて、蚤が頭に登ってくるような感覚になる。ついに限界になり、唸りながら頭を掻きむしってしまった。しかし、周囲の目が一斉にこちらを向く事はなく、横目で見ては目を逸らす者が大半であった。

 あてもなく歩いていると、さびれた古本屋があった。人はほぼ入っていない。雰囲気は嫌いではない。しかし、古本屋というのが良くない。なんにせよ、近所には本屋というものが全くと言っていいほどに無い。そんな事を言うと「ネットで買えばいいじゃないか。」と言う人がいる。違うのだ。僕は新しい本を眺めるのも好きなのだ。下手すると、あの空間に浸る方が本を読むという目的よりも先行しているかもしれない。なんだかんだ思いつつも、足は古本屋に踏み込んでいた。山積みの本からカビたような臭いがしている。ここだけ数十年前の時空にあるようだ。何度も読まれたのであろう、茶色に染まった本をしばらく眺め、店を後にする。この店が視界から消えた瞬間、世界は現代の時空に還ってきた。僕は酔ったように気分が悪くなり、咄嗟に振り返った。相変わらず頓挫している古本屋の異質感に安堵する。

 かの梶井基次郎の小説「檸檬」の主人公は、芸術に関心があったようで、音楽や詩が好きだったようだ。贅沢品も買っていたようだが、今では安く手に入る物も多い。僕には全く理解できない…というか、そのようなモノを売っている場に行く事が無い。しかし、彼の生活が「えたいの知れない不吉な塊」に蝕まれてから、みずぼらしいものに惹かれるようになったという。これには非常に共感できる。その例が先程の古本屋である。ただ古臭いだけではない。そこそこ開発の進んだ土地にあるからこそ、より惹かれるのだ。ど田舎にあるよりも遥かに良い。他にも、廃墟のような古臭さは非常に趣を感じる。言葉に表しにくいが、感傷的な気分にさせられるのだ。ともかく、今の僕の心境は彼に似ているのではないかと思うのだ。

 そこで思いついた。僕も、彼のように檸檬を設置し、本屋を爆破する妄想をすれば気が晴れるのではないか?丁度近所にはスーパーがある。僕はウキウキで駆けつけた。しかし、スーパーの前まで辿り着いて足を止めた。

「なんでレモンなんだろ…?」

 通行人の邪魔になっている事に気付かずに立ち尽くす。彼は檸檬を全体的に気に入っていたが、そんな気に入ったものを爆弾に見立てるなど僕はあまりしたくない。彼は思いつきでやったのだろうが、僕は計画を立てる。どうせなら苦手な野菜を使うなんてどうだろう?カボチャなんか良さそうだ。大きくて破壊力も強そうだ。…ダメだ。こんなモノ本屋に置いていく奴なんて不審者である。僕は本屋にわざわざカボチャを置いて去っていく自分を想像して、あまりの間抜けさに頭を抱えた。では、ナスやトマトなんて丁度いいサイズではないか?いや、トマトは汁が飛ぶとさすがにまずそうだな。

「ウィンウィンウィン」

 自動ドアがゆっくりと開く。そういえば、最近は飯を適当に済ませるせいで、スーパーに来たのも久々であった。果物のエリアに行くと、早速レモンが目に入った。確かに、どこか惹きつけられる見た目をしている。気がつくと一つ、発色の良い大きなものを掴んでいた。柑橘系特有の皮の感触が右手を癒した。この掴みやすいフォルムに、程よい重量。「つまりはこの重さなんだな。」という言葉にも、どこか納得できた。一種の感動を覚えた僕は、それをカゴにそっと入れた。カゴの緑をバックにすると、レモンイエローがより鮮やかになった。

 そして目当てのナスを探そうと顔を上げると、視界にはアボカドがあった。僕はアボカドが大好きである。片手にずっしりと感じる重みに、貫禄のある種、そして美味い。この果実は、あらゆる所に力強さを秘めているのだ。今日の晩にでも食べようとアボカドを手に取る。照明が深緑に反射して、メキシコの太陽を感じさせる。アボカドは自分にとっての『この重さ』を持っていた。

 そして本命のナスにようやくたどり着いた。しかし、改めて見ると微妙に感じた。みずみずしい紫はいいのだが、形が想像以上に爆弾に向いていない。そして案外軽い。もっと高級な、太いナスならば話は違うのだろうが、生憎そんなものは売ってないし、あってもこんな事に使いたくない。とりあえず、手に取ってしまったのでカゴに放る。レジでは、店員に怪訝な目で見られた。レモン、アボカド、ナスというよく分からない組み合わせを見たらそんな顔にもなるだろう。僕の計画を知っているはずもない彼女を見て、僕は少しだけ口角を上げた。

 さて、本屋まで戻ってきた。ここまでの道のりは、楽しくて仕方がなかった。あの本屋が僕の妄想の中でどんな末路を迎えるのか、カウンターにいた店員はどんな顔をするのか、妄想の妄想が広がっていた。僕は店のドアを勢いよく開けた。大きめの音で、眠そうだった店員が顔を上げる。店の一番奥には学生であろう見た目の男が、勉強熱心に立ち読みしている。その背後で僕はニヤついて、袋をガサガサし始めた。男は僕の方をチラッと見て、すぐに手元の本へ視線を戻す。僕は悩んだ。ここはアボカドを置くべきなんだろう。しかし、食べようと思って買ったものを置いて出て行くという行為は躊躇われた。そこが引き金となり、自己嫌悪の渦に引き摺り込まれてしまった。なんでこんな事を真似しようと思ったんだ?僕が真似した所でただの迷惑でしかないのに。そもそも、彼が爆破の妄想をしたのは丸善だ。僕はなんでこの古本屋を選んだ?大した理由もなく爆破してもなにもスッキリしない。残るのは罪悪感だけだ。そもそも、計画立ててこんな事してる時点でどれだけ幸せ者なんだ。彼の辛さと同等に扱ってる時点で間違っている。

 自身の思考にメンタルを潰されて、呆然と顔を上げた。生きているのが一段と辛くなった。部屋の片隅に監視カメラが見えた。ここでの行動を見られたと思うと、思考まで見透かされたような気分になった。せかせかと近くにあった本を一冊抱えてカウンターに行った。店員はやる気無さげにレジ打ちをする。一刻も早くその場を去りたかった僕は、釣り銭を受け取るのも忘れて店を飛び出した。その後は、一切振り向かずに趣もクソもない街並みを走り抜け、家の近くの路地に辿り着いた。左手に抱えた本は、タイトルが見えないほどにボロボロであったが、更に汗が染み込んで追い打ちをかけていた。恐らく、一度も読まずに後ろめたい気持ちだけが残るだろう。右腕にさげたビニール袋を覗くと、果物たちが夕陽を受けて光っていた。僕はおもむろにレモンを取り出して、思いきり皮ごと齧った。その果汁は辺りに香りを振り撒いた。甘さ、酸っぱさ、その他諸々が混ざり合い、苦味しか感じなかった。

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