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松戸物語

作者: 三郎

私は久しぶりに外に出た。世界は大きく変わっていた。

ある晴れた日の空、上空に浮かぶ真昼の太陽はそこはかとなく地味に見えた。いや、それは自分自身の冴えない人生を投影しているだけであり、実際その太陽は輝いている人には素晴らしい情景に見えているのだろう。ごまかすわけではないが、そのような情景には対して憧れてはいない。

(まだ、生きれているだけいい)

陳腐なセリフを心の中で吐き、私は思い足取りで松戸駅の階段を登った。未曾有のバイオハザードが世界中を襲い、世界は大きく変わった。その中で人々が持つ希望と欲望、そして不安がごちゃごちゃな色や音を奏でながら、世界は混乱しつつも前に進んでいる。この自立した人々の考えに感銘を受けて、私は2年ぶりに外に出ることにした。

2年で街の景色は大きく変わった。バスのロータリーが大きく修繕されており、プレハブ小屋のような駅前の交番は新築ピカピカのデザイナーズハウスに変わっていた。それとは裏腹に人々の表情は怒りや焦り、そして不安に満ちていた。やはり未曾有のバイオハザードコロナウイルスの影響か?

松戸の常磐線から東京の上野というかなり大きい駅でおり、そこにある西洋美術館に向かった。ここは昔ながらの堅苦しい美術品で溢れており、中に入ると胃が痛くなるのだが、まあしかし、それ故に民度は高く、気に入っていた。

モネやゴッホ、ピカソやロダン等、名だたる芸術家たちの作品は正直私の心には響かない。しかし、こうして外に出ることが1番の心の栄養だと思い、苦しくも頑張った。

いつか見たロスコはよかった。繊細な情景を網膜にまざまざと焼き付けてくれる芸術としての歴史的な名作に私は人生における価値観の変化を感じた。古代より人間たちはこうした芸術を創造主、まあ、何か未知なる偉い生命体のために捧げている。そんな気もした。

高台にある美術館を下り、アメ横の入り口にある、じゅらくというレストランで昼食を食べた。ここは子供の頃に行ったことがあった。当時は大きなレストランとして栄えていたが、経営難なのか今までは小さな個人レストラン、洋食屋という佇まいだった。

私は、恥ずかしながら高校一年の9月に高校を辞めてから家に引きこもっていた。そのころは最悪だった。全てが真っ黒く塗られているような暗黒の時代で、かなりキツかった。まあ学校に行く方がきついのだが、、、

その間に色々と遊んだ。最低のクズに感じるだろうが、誰よりも遊んだと自負している。当時八万円のパソコンを買い、インターネットに明け暮れた。2000年の話なので正直今ではありえないくらいボロボロのパソコンで、特に動画は酷かった。ジェイソンウィリアムスのスーパープレイを15秒見るのに30時間ぐらいローディングしていた。まあ科学技術の進歩は凄まじいと当時を思い出すたびに思う。22年後はそう思えるのだろうか、、、?

私は無理をするのが嫌いだ。今の日本人には考えられないだろうが無理はしたくない。努力しないわけではないが、無理はしたくない。まあ40の太ったおじさんの思想など誰も興味はないだろうが、、、

最近はしかし、モテる。2年前もモテた。やはり女性は太ったおじさんが好きなのだろう。

家に帰り、もう大人なので、シコシコ抜いて眠りについた。不貞腐れてタランティーノの映画を見るような真似はしない。ワインも最近量がかなり減った。

次の日、珍しく私の携帯が鳴った。昔ながらの着メロが勢いよく鳴る。まるでマライアキャリーの悲鳴のようだ。

「もしもし」

「あっ、さぶちゃん?」

さぶちゃんとは小学校時代のあだ名だ。当時はなぜかスクールカーストの上にいた。

「は、はい、、、」

「私、里帆よ」

りほとは当時付き合っていた女だ。Bまでいった。

「ああ、久しぶり、、、」

少し緊張して声が裏返った。

「元気?」

「うん」

「今度さ」

里帆は、少し間を置いた。

「同窓会やるんだけど、、、」

同窓会か、、、そういえば当時の仲間たちは何をしているのか?今では放送できないような人間ばかりだ。この辺は昔から、そういう貧しい地域だった。片親で小学生ながら売春で稼いでいるフィリピーナとか、親が躁鬱病で金持ちの家に強盗に入り、全国放送された子とか。(彼女はその後吉原で風俗嬢になった)女の子はまだいいが、男は絶対に放送できない。彼らと会うのは気が引けた。

「よかったら来て」

「ああ」

少しの間を置いてそう答えた。

「あ、そういえば、、、」

「え?」

「彼どうなった?」

私は思い切って質問した。

「裕太君、、、」

裕太とは親が障害者でいじめられてた子だ。これはさらに放送できないが、彼は人間の理不尽を相当味わった。

「ああ、裕太君ね、、、」

「、、、」

私は緊張で心臓が破裂しそうにドキドキした。

「死んだわ、、、」

「ああ、、、そうか、、、」

予想通りの言葉だが絶句した。

「悪いことしたな、、、」

「しょうがないよあの状況じゃ、、、」

「まあそうだな、、、」

「世界はそうやって回るのよ、、、」

今じゃ大炎上しそうな言葉を吐きながら、つぐみは苦労しきって老けた声でこう言った。

「私、裕太とやったことあるわ、、、」

私はさらに絶句した。人は本当に絶句すると白い斑点が視界に溢れる。

「はあ、、、」

声にならない声が漏れた。

「まあ強制だけど、、、」

今では絶対に放送禁止だろう。しかし、当時は割と当たり前だった。

「はあ、、、まあしょうがない」

「、、、」

私たち二人は気まずい雰囲気の中で電話を切る。秋が終わり冬になりそうな窓越しの景色がより一層物悲しさを強調した。

私は当時を生きていた。当時をどう生きるかをいまだに考えていた。昔、小野田二等兵という人が30年近くグアムで米兵から隠れてたという話を聞いたことがある。私はその小野田二等兵によく似ていると思った。彼が戦後も戦時中を生きていたように、私もいまだに当時の南中時代を生きているのだった。

あれから世の中は大きく変わった。もう今はああいう感じの学生はいないかもしれない。今みれば子供じみた世界だったろう。しかし、私には当時がトラウマでありながら青春なのだ。当時の甘美な香りは今も私の脳裏を魅惑してやまない。当時は正直楽しかったのだ。ただのどうしようもないクズだが、当時は楽しくてしょうがなかった。学校に入り、仲間と笑い合えば、孤独や不和など消去された。私はあの学校を出てよかった。なぜならあの学校ほど私の思考回路にハマる世界はないからだ。今でも確実にそう思っている。

まあこれからは世間がそれを許さないだろうし、それならそれなりの幸福があるとは思う。しかし、将来テクノロジーがさらに進化してタイムマシーンたるものができたら3日ぐらい入ってみたい。

明くる日ラインに里帆のアドレスが載っていた。40近いおばちゃんが堂々とラインのアイコンに自撮りの顔を載せている時点でこの地域がいかに特異かがわかる。昔と変わってなさそうな目鼻立ちだが、よく見ると目尻の皺が年齢を物語った。

「ぷっ」

私は自分の滑稽さに驚いた。里帆の顔写真よりもいつまでも過去を崇拝しているカルト教信者のような自分の思想にだ。宗教を否定するわけではないが、まあ、今の時代に心の救いを求めるというのは無知なのか弱いのか、、、自分にも言えるがやはり人間は努力し続けるべき生き物なのだろう。と、超知的生命体の助言をいただいた。気がした。


私は風を感じていた。何かが起きそうな希望の風を、、、


まあ昔は大変でした。ちなみにフィクションです。

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