第九巻
幾重にも巻いた巻物を掴んだ。千代女は声に出して読み上げる。
「長い。難しい。『誘引ずは、口惜しからまし、桜花、実来ん頃は、雪の降る寺』とは、実の在る御屋形様を示している。そんなことは、分かっている」
巻物を手繰っていく。
「何々、甫庵の講釈だぞ。まず、漢字は多くの意味を持つ。確かにな。この和歌は、『実』と漢字で書いてある」
巻物の中で、甫庵の講釈が続く。甫庵によると、読み方は伊勢物語を踏まえているらしい。『真』と同じ意味を持って、人の器量を示す。
「『実』の字が、領国を治める主の器を示すと、快川和尚が手を叩いた。ほう、誰もが褒める御屋形様だから当然だ」
信玄の姿を思い浮かべて、千代女は笑んだ。
「快川和尚様は『太守桜を愛す蘇玉堂、恵林もまた是れ鶴林寺』と返歌をした。『太守』と応じていた。分からん、さっぱり意味が知れない」
きっと信玄と快川の二人だけが通じ合う、文の道なのだろう。
「甫庵が、御屋形様に何度も解釈を求めたって書いてあるぞ。けっ、甫庵も分からなかったんだな。でも御屋形様から答えとして差し出されたのは、源氏物語と伊勢物語だった。互いに難儀なことだ」
御伽衆の甫庵なら、終日、薬湯を煎じて、物語を読み込んだだろう。
「さらに幾重にも意味は重なる。そんな説明で満足できないぞ。甫庵、しっかり語れ。読む音で考えれば、『さねこんころ』には源氏物語が意味に加わる」
薄雲巻の光源氏の和歌を踏まえる必要があるらしい。源氏物語を知らない千代女には、甫庵の巻物だけが頼りだ。読み進める。
「光源氏は、浮気がばれたんだな。それで、不実を妻が責めた。妻に、光源氏は『明日もさねこんなかなかに』と返す。『さね』は「まことに」「本当に」の意味を持つ。明日は必ず、本当に帰ってくると光源氏は妻に伝えた」
躑躅ヶ崎館の寝所で甫庵が披露した解釈だと、巻物に書いてあった。
背を伸ばして、千代女は読み上げる。
「明日になってしまえば、本当に雪の如くに散った桜が降る。桜を見逃す。快川和尚様の誘引にお応えします」
解釈を聞いて、信玄が頷いたと甫庵の喜びが巻物に綴られる。千代女の笑みが、棒道の木立の中に沈んだ。
実力を持ち、確実に道を拓いた信玄がいなくなった。信玄は有職を踏まえ、故実を慈しんだ。共に過ごす明日は実現しない。もう来ない。現実に千代女は打ちのめされた。
「長い手紙だ。棒道が、巻物に見えてきた」
千代女は和歌を、何度も反復した。言葉を選る。削ぎ落すと音になった。
「まし――」
事実とは反対の出来事を、仮に考えて思い描く時に使う言だ。例えの言い方で、思いを強めて伝える言葉だ。
もし誘いに応じなかったら、悔しかっただろう。応じたから、後悔はない。
望んで作り上げた事実と、真実の間に仮定は幾らでも存在する。千代女は事実と反対の出来事を想像する。
もし死んでしまったら、残らなかっただろう。生きて残る。
何が生きると問うのは、素破の職分ではない。何が死ぬと考えるのは、素破の役務ではない。
千代女は死を喧伝する。三年を費やして、真実と反対の事実を躑躅ヶ崎館から流し続ける。素破として、在り続ける。
千代女の口が、くっつと広がった。笑んだ自分が信じられないほどに、歓喜が広がる。綻ぶ蕾は砂礫を押して茎を伸ばし、峻険な頂で咲き誇った。
事実として死んだ信玄を伝えれば、生きておる真実を隠して保つ。脈々と存命する。死の証拠を掲げて、生きるために信玄は揺るがぬ死を作った。誰にも覆せぬ死を手に入れた。
伸ばした根が、水を吸い上げるほどに笑みが止まらぬ。事実とは反対の真実があると、千代女は知った。完全なる喪失の中に、違えぬ冀望があった。
永き時を信玄は生き続ける。身体はぐるりの山へと変わり、風は耳目と為る。住まう民に慈悲の雨を降らせ、飛礫に富を託す。
蒸気を孕んだ重い狼煙が、ずずいっと黄昏に進んだ。白が消えて行く。手が離れた。
「口惜しからまし」
もし素破として誘われなかった、悔しかっただろう。誘われたから、口惜しくない。
巻物を破った。裏返す。
「手紙は、端的に書く」
千代女はたっぷりと墨を付けた筆を、反故に押し付けた。
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次回が、最終話となります。