97 プガルト防衛戦①
深夜、早鐘の音が都市中に響いた。魔族の攻撃を報せるものだ。
ニコラ・メルカは飛び起き、走る。
カッセル邸の階段を駆け上がり、屋上へ。既にそこには何人ものカッセル家家臣がいた。ニコラからすると部下になる。
カッセル邸の屋上からは都市プガルト全体が見える。街の大半は夜闇に沈み、城壁の上や大通りの要所にのみランプの火が灯っている。空には下限の半月、薄雲がかかり月明かりは弱い。
ぐるりと見回すと、外周にある第一城壁の4箇所に攻撃を受けた箇所を示す大篝火が燃えていた。
「メルカ殿、見ての通り4箇所です。いずれの地点からも『大規模攻撃』『援軍を求む』と発光信号がありました」
「多いな。本格的な攻撃か」
プガルトを包囲した魔族は今まで散発的な攻撃を仕掛けてくるだけで、本気で都市を陥落させようとする様子はなかった。だが今回は牽制にしては規模が大きい。
夜間なので城壁側で敵の規模を誤認している可能性もあるが、本格的な攻城戦が始まったと見るべきだろう。
「攻撃箇所に援軍を出す。デリック、セルジュ、オドレイ、メラニー、兵を連れて向かってくれ。細かな判断は任せる」
ニコラはその場に居た部下に指示を出す。一同は頷き、走り出す。
本当なら今直ぐニコラ自身が城壁に駆けつけたい。だが、4箇所のうちどこが本命か不明だし、5箇所目が攻撃される可能性もある。
現状プガルトで最も強力な戦力はニコラなので、安易には動けない。
「ニコラ殿、とうだ?」
声に振り向くと、フランティス・デベルが屋上に上がってきたところだった。まだ片足を引き摺っている。
「フランティス様、魔族から4箇所に同時攻撃です」
「そうか……俺はまだ万全には程遠い。それでも、そこらの剣士ぐらいには戦えるぞ」
そう言ってフランティスは笑うが、こんな状態の彼を戦わせる訳にはいかない。デベル家の当主を失うのは大きな損害だし、何より回復すればトップクラスの剣士として大きな戦力になるのだ。どう考えても割に合わない。
「どうか、もしもの場合は逃げてください。夜間攻撃は厄介ですが、逃げる分には闇が味方してくれます」
「……まぁ、そうだな。分かった」
自分でも理解してはいるのだろう、フランティスは悔しそうに言った。
「新規に発光信号! 南南東方向、5箇所目です!」
部下の声がした。顔を向けると、発光魔術の点滅が見える。点滅パターンは『高位魔族多数』『窮地』を意味するものだ。他の地点より深刻な状態である。
状況的にはここが本命の攻撃地点だろう。ニコラが出るべき場面だ。しかし、嫌な予感がした。
5箇所への攻撃は少し多い。城壁を落とすなら攻撃地点を減らして戦力を集中させた方が無難だ。夜間は敵の状況を把握しにくいことを利用して、こちらを撹乱する意図が見える。
「最低限の人員のみ残し、カッセル邸の残存戦力を5箇所目の攻撃地点の救援に回す。だが、私はまだここに残る」
ニコラは指示を出す。自身が出撃しないことで第一城壁が早期陥落する危険はあるが、それでも違和感を重視した。
部下達が走りまわり、程なく援軍が出撃していく。
ニコラは自分の判断が間違いでないか不安を抱きつつ、待機する。城壁の上には攻撃魔術と思しき光が飛び交い、戦闘音も響いてくる。今のところ城壁は敵の攻撃を食い止めているようだ。
時間が過ぎていく。一番心配な南南東方向の攻撃地点もまだ戦闘が続いている、今からでも向かうべきか、迷いは消えない。
と、魔力弾が空に打ち上げられ炸裂した。それは発光信号を出す余裕すら無い場合の合図だ。場所は第二城壁、嫌な予感は当たった。
「指揮権移譲! 二コラ・メルカは出る!」
叫び、ニコラはカッセル邸屋上から身を躍らせる。姪のように空を飛ぶことは出来ないが、風魔術で落下の衝撃を殺すぐらいはお手の物だ。カッセル邸の中庭に着地すると、身体強化魔術を発動して渾身の力で地面を蹴る。
風を切り、夜の街を駆け抜けていく。プガルトの道はカッセル邸から放射線状に伸びているので、移動はし易い。
魔力弾の打ち上げられた城壁上から追加の発光信号はまだない。現在の主戦場は第一城壁だが、第二城壁にも一定の兵は配置している。続報すら出せないのは尋常な状況ではない。
「魔族侵入!!」
巡回中の兵のものだろう、近くから叫び声が聞こえた。恐らく一本隣の道だ。
二コラは全力で地面を蹴り、声の方向に向かう。
民家の陰を抜けると、兵士3人の死体が見えた。そして、その傍らには見覚えのある魔族が居た。手には巨大な両手剣、胸元には黄玉、ヤニック・アプサロンだ。
『宝石持ち』が単身で浸透、恐ろしい事態だ。ニコラが出撃しなくて良かった。
「カッセル家家臣、魔術師ニコラ・メルカだ」
「黄玉位ヤニック・アプサロン、貴殿とは二度目だな」
名乗りが終われば戦闘だ。ニコラは素早く魔力を練り、魔術を構築する。爆裂型の魔力弾と魔力槍の混合、構築完了と同時に放つ。
ヤニックが身に纏う闘気は凄まじい。しかし、ニコラもレブロ第二位の魔術師だ。加えて、トリスタという同等の使い手を知っている。何度か模擬戦闘をしたこともあった。対処方法はとにかく手数での圧迫だ。
全速力で魔術を構築し、ヤニックの周囲の空間ごと狙う。
ヤニックの大剣が翻り、魔力槍が次々と斬り散らされる。有効打にはならないが、向こうも接近する余裕はなさそうだ。
中距離を維持しようとするニコラと接近を試みるヤニックのせめぎ合いが始まる。
ニコラの魔術構築速度はドグラスをも上回る。ヤニック相手でも簡単には踏み込ませない。
継戦能力では一般的に魔術師よりも剣士に分がある。一対一の戦いとして考えればヤニックが有利だ、魔力切れまで粘れば良い。しかし、ここはレブロ側の勢力圏内、戦っていれば当然応援が来る。
やがて接近してくる幾つもの足音。取るに足らない攻撃でも釣り合った天秤を傾けることはできる。
「ふむ。貴殿に補足された以上、単独浸透は失敗か。一旦退こう」
増援の接近に気付いたらしい。ヤニックはそう言うと後に飛ぶ。ニコラは当然追撃をかけるが、ヤニックはこちらに体を向けたまま、凄まじい早さで下がっていく。撃ち込んだ魔力槍もあっさり斬られた。
ヤニックが道沿いにあった三階建ての民家を斬る。一撃で倒壊し、瓦礫と土煙を撒き散らす。ヤニックの姿が土煙の向こうに隠れた。ニコラが魔力槍を乱射しつつ、瓦礫を跳び越え土煙の先に出ると、ヤニックの姿は既にない。逃げられた。
その時、都市プガルトに鐘が鳴り響いた。第一城壁の放棄を指示するものだ。ついに支え切れなくなったようだ。ここからは市街地で遅滞戦をしつつ、第二城壁での防衛に移行する。
ニコラは第二城壁へと走った。




