91 ドグラスは山歩き
俺、ドグラス・カッセルは背嚢を背負い、都市プガルトを目指して山中を小走りで進んでいた。
プガルトまでの道のりでは、山を登ったり降りたりを繰り返すことになる。今朝は峻厳な岩山を登っていたが、今は下りだ。既に森林限界よりも下がったため、辺りには木々が茂っている。
時刻は夕方、山は徐々に暗くなり始めていた。長い列で、獣道を進む。身体強化を常用しているため、移動のペースは極めて速い。
「空気が濃くなってきましたね。息が楽です」
隣のブリュエットさんが、少しホッとしたような顔で言う。無理な速度で登るため順応が間に合わず、標高の高い地点だと息が苦しくなる。身体強化で緩和はされるのだが、それでも苦しい。
「ポールさん、体調は大丈夫ですか?」
俺は後ろを向き、すぐ後ろを歩く冒険者のポールさんに話しかける。レブロを目指すヴェステル王国別動隊には冒険者50人が補助要員として同行していた。魔術か闘気のどちらかで身体強化ができることが条件なので、補助と言ってもベテラン揃いだ。ポールさんも手の再生直後ではあったが補助要員に志願してくれていた。
宮廷魔術師10人に近衛騎士200、冒険者50、ユリアン王子に俺の計262名がヴェステル王国別働隊の全容になる。
「ああ、じゃない。はい。大丈夫です」
ポールさんの言葉遣いが相変わらずぎこちない。プガルトに着く頃には普通になっていて欲しいところだ。
「良かった。無理はしないでくださいね」
腐葉土の上を木の根に気を付けながら進んでいく。
と、視界の先に動くものが見えた。鹿だ。鹿の群れだ。
俺は即座に動いた。魔力刃を多数構築し、鹿に向け放つ。何かに気付いた鹿がこちらに振り返り逃げようとするが、避けられるような軌道で放ってはいない。鹿の首が7つ落ちた。
「鹿です! 時間も程よいので大休憩にしましょう。解体をお願いします」
俺は声を上げた。先を急ぐ行軍ではある。しかし、どうしたって無停止無休で進むことはできないし、体力の維持には食事も大切だ。二度焼きのパンは十分な数を持ち運んでいるが、それだけでは精がつかない。つまり肉は大切である。
冒険者だけでなく、近衛騎士もわらわらと鹿に向かい、手分けして解体していく。近衛は高貴な戦士だが、雑務を厭う人達ではない。
俺達魔術師はその間に火の準備だ。程よく細めの木を魔力刃で切り倒し、魔術で火を付ける。生木だが、魔術師の火力の前では着火は簡単だ。煙は凄く出るが、虫よけになるので悪いことばかりではない。
木材を組み、火を付ける。
程なく、鹿の解体が終わる。流石は精鋭、肉の処理も早い。後は各々好きに焼いて食べるだけだ。
俺は鉄串に肉を刺して、そのまま火で炙った。肉の焼けるいい匂いが辺りに漂う。
焼けたら、塩を振ってかぶりつく。香ばしい風味が口に広がる。美味しい。
「おひしい」
ブリュエットさんがモグモグしてる。可愛いなと思って見ていると、目が合った。ブリュエットさんは少し恥ずかしそうに目を逸らす。
……食べてるところを眺めるのは良くなかったな。反省、反省。
二度焼きパンも口にねじ込んで、夕食は終了。7頭の鹿は綺麗に食べ尽くした。
辺りはすっかり暗くなっている。このまま就寝と行きたいが、もう少し進む。俺は荷物を背負って立ち上がった。
「移動を再開します。発光魔術を!」
そう言って、多数の発光球を構築する。先を急ぐ行軍だ、魔術師の照明で夜も進む。
疲労で体は重たいが気合いを入れて、歩き出す。梟がどこかで鳴いた。
◇◇ ◆ ◇◇
フランティス・デベルは目を覚ました。漆喰塗りの白い天井が見える。窓から差す光が視界に陰影を作り、今が日中であることを教えてくれた。背中は柔らかい。ベットに横たわっているようだ。
何処だろう、と記憶を紐解く。第一要塞群の防衛戦で『宝石持ち』ヤニック・アプサロンと戦闘し、重傷を負って治療を受けていたところで記憶は途切れていた。
「フランティス様、お目覚めですか」
横から女性の声がした。横を見ると使用人風の服装の若い女性が一人立っている。知らない顔だがカッセル家の家臣であろう。
「ああ。ここは?」
「プガルトのカッセル邸でございます。お待ちください、ニコラ・メルカを呼んで参ります」
そう言って女性は部屋を出ていく。小刻みな足音が遠ざかっていく。
フランティスは体を起こそうとして上半身を持ち上げ、しかし左肩から先が上手く動かずにバランスを崩す。傷は完全に塞がっているが、万全にはほど遠いようだ。
足音が近付いてきて、ノックの後扉が開く。少しホッとしたような顔の二コラ・メルカが入ってくる。
「フランティス様、意識が戻ったようで良かった」
「心配をかけて済まない。何日ぐらい眠っていた? 状況は」
「4日程です。現在プガルトは魔族軍約2万に包囲されています。ただ、包囲部隊の中にブラックドラゴンや古龍の姿はありません」
「包囲か……想定内だな。ニコラ殿が屋敷に居るということは状況は安定しているのか?」
リリヤが第二要塞群に向かった今、ニコラが最強の魔術師だ。彼が下がれるなら追い詰められてはいないだろう。
「ええ。モンスター主体の散発的な攻撃がありますが、今のところ防げています。とはいえ、こちらから攻勢に出て敵を削る程の余裕はない状況です。私も仮眠が終わったので、そろそろ城壁に戻ります」
「なら私も一度状況を見ておきたい」
「分かりました。城壁までご案内します」
フランティスはニコラと共にプガルトの外周城壁に向かう。
城壁からは魔族がよく見えた。魔族は中規模な集団を多数作りプガルトを囲んでいた。1グループは1000体程か。
「ドラゴンはあまり見えないな」
魔族は城壁からはかなり距離をとって布陣しており、個々の敵の姿は麦粒ぐらいにしか見えない。しかし、ドラゴンは比較的大きいし色もはっきりしているので判別しやすい。
「ええ。高位魔族比率は分かりませんが、まぁ高くはないでしょう。我々を拘束する為に必要十分な戦力ではありますが」
プガルトを落すのではなく、押さえる為の戦力だ。これならプガルトは余裕がある。
「リリヤ殿が心配だな……」
こちらに居ない戦力はリリヤ達を追撃している筈だ。フランティスは “トリスタ、急いでくれよ” と心の中で呟いた。




