90 バーバラ・ウェンスト
騎兵800に歩兵2000、ウェンスト軍は戦場に到着した。
「ギリギリだねぇ。間に合わせるよ」
ソニアの隣で、バーバラ・ウェンストが叫ぶ。僅かに白髪の混じった黒髪が風にそよぐ。嘗て高原の黒百合と称えられた美貌は齢50を超え皺が刻まれて尚、凛然とした美を感じさせた。
鎧の上から紋章入りの白いサーコートを纏ったバーバラは槍を前方の魔族軍に向ける。
「山岳騎兵隊、構え!」
山岳騎兵隊は領地周囲に山岳地帯の多いウェンスト家が作り上げた精鋭部隊だ。全員が身体強化魔術と闘気運用を習得しており、品種改良した馬に強化魔術をかけることで下馬状態なら峻厳な高山も踏破する。
彼女らはその能力を活かしレブロ東方の山脈を越え、戦場にたどり着いた。
「全騎突撃! 歩兵は後からついてきな」
槍を携え、800騎が一斉に身体強化魔術を発動、馬を強化し走り出す。
大地が揺れた。
ソニアも馬に身体強化をかけ、バーバラの隣を走る。
「ウェンスト公、改めて感謝します!」
「おうさ!」
突撃する騎兵の最前列には魔術師が配置されている。魔術師達は馬を駆りつつ、前方に魔力防壁を展開し、遠距離攻撃から部隊を守る。
レブロ辺境伯軍は今まさに敗走しかけ、魔族軍はこれを蹂躙せんと前のめりになっている。脇腹を突くには絶好の状況だ。
「しかし、ブラーウ! よく戦場を当てた! お手柄だ」
「お褒めに預かり光栄です」
ソニアの持ち込んだ援軍要請にバーバラは「魔族が来たなら是非もなし」と即座に応じてくれた。
レブロに向かうなら山を越えるのが最短である。ならば越えるとして、問題はレブロの何処を目指すかだった。第一要塞群か、都市プガルトか、もっと南か。山の上からなら軍がいれば見える。微調整は下山中に可能だ。しかし大まかな位置は戦況を予想し判断するしかない。
ソニアは見事、援軍到達時点でのレブロ辺境伯軍主力の位置を当てていた。
魔族軍に向け、進む。
魔族側の動きはやや鈍い。攻撃魔術の射程に入るが、パラパラと魔力弾が飛んでくるだけだ。防御に当たる魔術師達は余裕をもって対処している。
「前に出るよ!」
バーバラが叫び、魔術師達が僅かに速度を落す。最前列が交代し、バーバラが先頭に出る。魔術師は露払いにと魔力槍を構築し放つ。
騎兵隊は魔族軍に突入した。
全騎が身体強化し、槍にに闘気を纏わせた突撃。その衝撃は凄まじい。モンスターを従えた魔族軍と言えど、引き裂くだけの力がある。
バーバラの槍に練り上げられた闘気が渦巻く。すれ違いざまの一撃でグリーンドラゴンの頭部を突き抉り、勢いそのまま敵を蹴散らしながら駆け進む。
魔力弾を乱射していたソニアは、魔族の動きが妙に悪いことに気付いた。混乱と、あとは何かを守るような動き。
「妙だね。戦力を防衛的に一点に集めようとしてる……いや、これは護衛か」
ソニアと同じ疑問を抱いたらしい。嵐の如く槍を振り回しつつ、バーバラが言った。
「はい。同意見です。恐らくさっき見えた飛行する魔族、負傷したアレを守っているのでは?」
ソニア達からもリリヤと魔族の空中戦は見えていた。技量がリリヤと同程度ならトップクラスの魔族だ。
魔族は強さイコール地位である。リリヤと戦っていたのは恐らく敵部隊の司令官だろう。予期せぬ敵に混乱しつつ、負傷した司令官を守っている、恐らくそういう状況だ。
「よし、反対側に抜けて、そこに向けて再突撃だ」
バーバラがニヤリと笑った。
◇◇ ◆ ◇◇
ウェンスト軍の騎兵隊が走り出し、魔族軍が動きを止めた。
「命令変更! 隊列を再構築! 横隊を形成せよ!!」
リリヤは再び最大声量で叫ぶ。
フィーナ王国とスコーネ連合国との関係はさて置き、カッセル家にとってのウェンスト家は古き盟友だ。間違いなく援軍である。
リリヤの無茶な命令に、各指揮官と兵士は必死に応え、形を作る。
デコボコで曲がった、隊列らしきものが出来上がっていく。状況を考えれば、素晴らしい練度だ。
ウェンスト騎兵が魔族軍追撃部隊に突撃し、切り裂いていく。恐らく最精鋭たる山岳騎兵隊だろう。
魔族側はドラゴンを集結させるような、妙な動きを見せている。魔族は何をしているのか、リリヤは考える。
「レミートを守ろうとしている?」
妥当な推測だろう。傷は回復魔術で治せたとしても、出血量を考えれば意識不明もあり得る。
なら――
「魔術師隊! 私に合わせて攻撃を集中!!」
リリヤは叫び、魔族が守ろうとしている辺りに向けて対龍級の魔力槍を撃ち込む。リリヤの指示に従って、魔術師隊が遠距離魔術を集中させる。
ウェンスト騎兵が魔族部隊を突っ切って反対側に抜けた。騎兵はUターンして、再び突撃を仕掛けるようだ。動きからして恐らく狙いはこちらと同じだ。
「ウェンスト騎兵に魔術を当てないように注意して! 騎兵が近付いたら攻撃対象を敵前列に変更! 同時に歩兵は前進。私は出ます!」
リリヤは飛ぶ。消耗しているが、まだ、幾らか魔力はある。
未だ敵戦力は強大だ。だが、混乱の最中なら或いはレミートを討てるかもしれない。
だが、魔族はある意味思い切りが良かった。空から見ると分かる。撤退しようとしていた。
リリヤは上空から攻撃魔術を撃ち込むが、高位魔族の魔力防壁に阻まれる。
ウェンスト騎兵が突撃を仕掛けるも、集結させられていた大型モンスターが壁となり衝撃を殺す。
魔族軍追撃部隊が北に下がっていく。
ウェンスト騎兵は再度Uターンして敵中を脱し、態勢を立て直していた。
リリヤはウェンスト騎兵の所に下りる。
「カッセル家家臣筆頭、メルカ家のリリヤです。ウェンスト公、バーバラ・ウェンスト様でいらっしゃいますか」
面識はなくとも誰がバーバラかはすぐに分かった。戦場に女性は少ないし、纏う闘気の格が違う。容姿もなるほど、高原の黒百合と呼ばれていた訳だ。
「ああ、バーバラさ。ランタナの継承者殿。細かな摺り合わせは後として、追撃できるかい?」
「厳しいです。魔術師隊の魔力は残り僅か、負傷者も夥しい」
「そうか。こちらも山越えで疲労しているし、ウェンスト軍だけで追撃は無理だ。仕方ない、見送るか」
リリヤは「はい」と返して、息を吐く。
「援軍、心より感謝いたします。お陰で軍を維持できました」
「いいや、当然のことだよ。人類領域の守護をカッセルにばかり任せて、こちらこそ心苦しい」
バーバラ・ウェンストが優しげに微笑んだ。




